2011年9月21日水曜日

ヤマボウシがここにも

 トチノキに興味を持ったのがきっかけで、木の名前を調べ始めた.ずいぶん前に買って「積んどく書籍」になっていた「落葉図鑑」が活躍しはじめた.南三陸町へ向かって三陸道を往復し始めた頃だから 6 月半ば頃のこと.調査用の公用車であるダットサントラックの助手席で、高速道路の脇を埋める緑の木々を目で追って楽しんでいた.なかにひと際に目立つ不思議な木があった.適度に高木なのだけれど、樹形としてはなんだかてっぺんの方が平たくて、その平らかに空に開けたところに、まるで白いハンカチをまき散らしたように見えるのだ.緑のこんもりとした木の平らなてっぺんが、遠目には雪をかぶったように白く見える.それが道路際から見渡せる山のあちらこちらにポツンポツンと見えたので、とても気になった.でも、周りの人々は海の研究者.尋ねてみても正体は不明だった.たしか、南三陸町まで 5 往復もした頃のこと.私が復路のダットサンを運転して調査から戻って来て、農学部正門をくぐろうとした時に、自動車用ゲートのバーが上がるのを目で追っていて、ひょいと上を見て驚いた.なんと、あの白いハンカチを頭にまとった大きな木が、守衛所のすぐ近くに 1 本見えたのだ.調査用具を車から降ろし、ダットサンを所定の位置に戻し、さらに事務関係の諸手続きを終えたあと、すぐに木のところに取って返した.そして、目当ての木から、虫食いのない中くらいの大きさの葉を そっと1 枚頂いた.葉の側脈はみんなぐるっと葉縁に平行な感じに内側を巡って先端方向に向けて集まっていた.葉の外形は丸みを帯びて小振りだが、末端だけはキュッと尖って、なんだか見分けが容易そうに思えた.図鑑内をパラパラと探索し始めて間もなく、樹種が判明した.「ヤマボウシ」だった.「あれ、どこかで聞いた名前だな」と思って、しばらく経って思い出した.女房が一昨年の秋、将来シンボルツリーになるようにと家の前に植えた木だった.ひょろっとして、パラパラと枝を天に向けた若木は、あの山々の木々とは同じものに見えなかった.でも、帰宅して玄関脇の木を見上げてみると、なんとここにも白い花が、まだ疎らだけれども咲いていた.

2011年9月13日火曜日

定禅寺ジャズフェスでのハーモニカ

仙台駅 3 階で演奏中の吉田ユーシンさん
 10 日土曜日の午後のこと、デスクワークに飽いて、ひとりで定禅寺ジャズフェスティバルの会場へと出かけた.いろいろな締め切りに追われているので、とてもフラフラゆったりとは過ごせない状況だったが、どうしても聴きたい演奏がひとつだけあった.吉田ユーシンさんのハーモニカライブだ.吉田ユーシンさんはブルースハープを吹く人なら知らぬ人はない名プレーヤーである.『アタラクシア』という CD も出ているし、凄まじいまでに詳細にブルースハープの扱い方と演奏の仕方を述べた教則本も出している.でも、私自身はこれまでライブ演奏を直接聞いたことがなかった.ライブの行われたのは不思議な場所だった.仙台駅の 3 階フロアが 2 階に向かってせり出しているバルコニーのようなところがステージで、観客はここからの演奏を 2 階フロアで仰ぎ見ながら聴く.演奏者は下に向かって乗り出さないと観客が見えないし、観客は首の角度を固定したままで 50 分ばかりの時間を過ごす.双方ともに妙な具合に辛い案配だった.仕方なし.演奏は伴奏無しやら CD 伴奏付きやらといろいろだったが、後半に向かってだんだんに盛り上がって行く感じだった.でも、観客の居る場所は駅構内ということもあって、事情の分かっていない旅行者や通勤客が行き交うなか、聴衆だけが頭を上に向けている状態は、傍から見ると奇妙だったに違いない.曲目は トレインサウンドに始まり、「アメージング・グレースを演ったかな?はっきり順番を覚えていないので、間違っているかもしれないが、イン・ア・センチメンタルムードジョージア・オン・マイ・マインドサマータイムと朝日のあたる家メドレーが続いたと思う.14 時 46 分には今年の定禅寺ジャズフェスに特別な約束事である鎮魂の A 音を鳴らした.1 分間吹き続けるのはさすがに苦しいようで、ベンドがかかったり、コードっぽくなったりした.A 音は駅前の他の会場からも聞こえて来た.近くに居た人が「いつまで音合わせやってんのかなあ」と仲間と話していたのが、可笑しかった.鎮魂黙祷のあとの残り時間は、枯れ葉の演奏だった.ブルースハープばかりでなくクロマチックも登場していたと思う.演奏が盛り上がって来て、もっと聴きたいなあ、と思った頃に、ライブは終了した.駅から歩いて大学のオフィスに戻り、仕事を続けた.疲れよりも心身ともにリフレッシュした感が勝り、仕事がはかどった.

2011年9月11日日曜日

仙台中央郵便局へ夜走る

 本日午後 7 時から 30 分の間に、農学部キャンパスから仙台駅近くの仙台中央郵便局まで自転車で疾走し、往復して来た.日曜日の夜の仙台市内を自転車でビュンビュン走った理由は次の通りである.高知大学教育学部で 17 日から日本プランクトン学会と日本ベントス学会の合同大会が開催される.この学会の口頭発表では、発表用のパワーポイントファイルを事前に CD-ROM に焼いて提出しなければならない.その締め切りが明日だったのである.なんとか速達で投函するために、大慌てで出かけたのだ.日曜夜に郵便を受付けてもらうためには、ゆうゆう窓口でなければならない.農学部のキャンパスからだと仙台中央郵便局と仙台東郵便局がリーチの範囲にあるのだが、前者の方がやや近い.パワポファイルの制作に一日を費やし、夕方になって漸くなんとかでき上がったので、自転車を走らせた.東二番丁通りをひたすらに南下して、定禅寺通、広瀬通を横切り、青葉通りでは自転車ごと地下道をくぐって渡り、目的地に達した.そして大学のオフィスに戻って来た.途中あちらこちらから演奏が聞こえて来た.屋台もまだまだ営業していた.今日は定禅寺ジャズフェスの 2 日目、すなわち最終日で、午後 9 時終了のため、最後の盛り上がりのエネルギーが、道路のところどころにはみ出していた.来年は私もあの雑踏のなか、音楽を楽しみながら、そぞろ歩きたいものだな.帰りに農学部正門前の SEIYU に寄って『レジで 20 % 引き』の弁当を買ってオフィスに戻り、遅めの夕食とした.

2011年8月31日水曜日

テレビ無くラジオにはまる

 仙台宅にはテレビがない.下田暮らしの時代にはテレビ依存度が結構高かったので、当初はなんだか画像の情報に飢えたような感じだったのだが、じきに慣れてしまった.テレビに取って替わったのはラジオだが、ほとんど NHK しか聞かない.NHK 第1が主で、こちらがスポーツ中継や国会中継なぞをやっている時には NHK FM である.下田に居た時は電波状況が悪くて、とくに中波はほとんどまともに入らなかったので、いま都会のラジオ放送を満喫している.もっとも、聞きたい番組をリアルタイムで聞くほどの余裕はないので、当初は朝の情報番組と夜のニュース関連番組を聞くことが主体だった.ところが、在宅時に始終つけているうちにいろいろな発見があった.NHK 第1というのはニュース主体の放送かと思っていたら、なかなかに素敵なコンテンツがあることが分かって来た.お年寄りのための番組だと思っていたラジオ深夜便は、じつは魅力的なトークや情報に満ちている.落語をやっている時もある.真剣に聞きはじめると、眠れなくなってしまう.よく考えると、これは、じつは私がお年寄りに近づいたという証左だろうか?日曜の朝は、名作の要約朗読である文学のしずく、なぎら健壱のフォークに関するトークから、音に会いたいという過去の環境音再現番組、そして、落合恵子の絵本の時間へと、耳の離せない状態が続く.いやはやラジオは、侮れない.
 上方演芸会真打ち競演は漫才や漫談や落語などのお笑いをライブ録音で楽しめるものだ.やはりこれらの番組にも全く縁がなかったのだが、筑波大での月曜の授業のために日曜日の夕方に下田を発って、東京駅から高速バスで筑波に向かう途中、聞いていた携帯ラジオで真打ち競演という番組の存在を知って、それを聞くのが楽しみになった.バスで文字を読むと忽ちにして気分が悪くなる私は、行き来の高速バスではいつもラジオを聞いていたのだ.番組の開始と終了の時刻がちょうど高速バスに乗車している時間内に収まっていたのも幸いした.
 そして、ズッポリとはまってしまったのが、ラジオドラマである.存在すら知らなかったのだが、書籍とテレビドラマの中間をゆく世界である.聞いていると、なんだかイメージの世界がふわっと眼前に広がってゆく.お笑い番組もほとんどのドラマも土日に集中していることに気がついた.しかし、土日のその時刻には在宅しないことが多い.そこで、ラジオ録音できるボイスレコーダー SANYO ICR-RS110M を購入した.操作性からみると、とても今のスマートフォン時代に販売している製品とは思えないような武骨かつ時代がかった物体なのだけれど、道具としては本当に便利で機能も優れている.メインのボイスレコーダー部分は持ち運びできる大きさである一方でスピーカー音量が小さいのだが、スピーカーアンプつきでアンテナにもつながっていてエネループ電池の充電ができるクレードルに座らせれば、文句無しの音量が出るし、安定した電波状態での録音もできる.MP3 ファイルとしてパソコンに取り込んで整理することだって、容易にできる.もう日常生活に手放せない状態になった.土曜朝のラジオ文芸館はとても楽しみで、このドラマっぽい朗読がきっかけで、読書に誘われたりしている.土曜の夜のしっかり楽しめるドラマは FM シアターである.これを聞きはじめると仕事が手に着かなくなってヤバいので、これを聞く楽しみを仕事を終えるための餌にしたりする.新日曜名作座はほとんど魔法の世界だ.とても2人の俳優だけで演じているとは思えない.しかもあらゆるジャンルの物語から毎週何かしら放送しているのである.森繁久彌と加藤道子がやっていた番組を 2008 年から西田敏行と竹下恵子が引き継いだということで、4年目だということになる.前作のように半世紀も続く番組となることを祈りたい.週末の他に週日の月曜日から金曜日の夜に 15 分ずつ放送されている少々ヤング向けのドラマもある.青春アドベンチャーだ.たいていは 5 回がユニットの続きものであるため、続きが翌日に持ち越されるときの、あの連続ドラマのイライラ感を楽しむことができる.大好きなアレックス・シアラーの物語が放送されていたのを知ったのがきっかけで、この連続ものも聞くようになった.
 さて、明日は NHK ラジオの革命の日である.NHK ラジオのインターネットストリーミング放送が開始されるのだ.震災後しばらくの間、やはりストリーミングで聞くことができて、引越時期に電波の入りにくい下田で放送を楽しむことができて本当に幸せだった.震災関連の東北の情報を聞いたり、一般放送を楽しんだりして、ずいぶんと強力な心の支えになっていた.しかし、震災後の安否連絡情報の行き交いが少なくなる頃に休止となってしまっていたのだ.あの、休止を知った日にはがっかりしたので、本格的にインターネットで聞けるようになる日が来て、本当に嬉しい!NHK ネットラジオの名前は らじる★らじるで、ヘンテコな赤犬キャラも登場している.明日の午前 11 時から、ここで聞けるようになるらしい.http://www3.nhk.or.jp/netradio/ 楽しみである.

2011年8月19日金曜日

トチノキに癒される

 東北大学農学部の雨宮キャンパス内は緑が濃い.巨木から小さな灌木まで、なんだかやたらにいろいろな樹種がある.すっかり調べ上げるのは難しそうだ.なかで、分かりやすいのはトチノキだ.それでも、最初はホオノキだと思っていた.栃木県出身の院生 M 君が「あれはホオではありません.栃木県のトチです」とアピールしたので、樹木図鑑を調べた.そして、正しい主張であることが分かった.名前がなんであれ、私はこの樹にずいぶんと癒されている.わが研究棟の2階にはベランダ状通路がある.そこの手すりに寄りかかって南側を眺めると、向こう側の研究棟に沿うようにドーンとそびえるそのトチノキがある.
 垂れ下がった手のひらのような緑葉がきれいに並んでいる.葉の垂れ具合は、むく犬の垂れ耳のようだ.ぼんやり眺めているだけで、疲れ目がほぐれ、慌ただしさに揉まれる心が軽くなる.樹名を教えてくれた M 君によれば、秋を過ぎるとこの濃く茂った葉どもがことごとく落下して、樹の枝だけになるという.なんとも潔いことだ.ちょっと調べてみたところ、手のひらのように広がった葉のかたまりは掌状複葉というひとつの葉で、落葉の時には葉柄ごとポロッと落ちるらしい.葉の落ちたトチノキの樹容もきっと見事なものだろう.楽しみだ.M 君はきょう、公務員試験の合格が決まった.このトチノキの緑は彼にとって、このキャンパスで最後のものになるのだな.おめでとう.

2011年7月12日火曜日

復興支援拠点ホームページ

 4 月から東北大学農学部のメンバーとなり、大震災からの災害復興のための研究に従事することになった.海洋生物学分野で、殊に水産業の復興のために私たちの成すべき仕事は果てしなく存在する.異動の決まった時には、異動前にまさか大地震があろうとは思っていなかった.ましてや、震災復興の最前線で働く事になろうとは、下田で 3 月 11 日を迎えるまでは夢にも思っていなかった.実際のところ、3 月 11 日を迎えた後でも、自分のことで精一杯で、何が起きたのかを実際に東北に来て、目で見てしっかり認識するまでは、自分が何をできるのか、東北で何かやれるのか、などということは、考える事もできなかった.
 こちらに来て、6 月から漁場調査のために潜り始めた.漁師さん達は自分たちの漁場がどうなっているのか、調べる手立てすらない.でも、海中の様子を知りたがっていた.いまは家も漁船も車も失って、漁の再開の目処が立たなくても、海底に魚介類の元気な姿を確認できれば、明日への希望をもつ事ができる.今を耐えれば何とかなる日が来る、と思うことができれば、それは太い心の支えになる.この1ヶ月、潜水器材をトラックに積んで、走っては潜り、潜っては走り、を繰り返して来た.6 月後半になって、日本水産学会の災害復興支援拠点が東北大学農学部に設けられる事になった.私は支援拠点事務局のメンバーになった.初仕事はホームページの作成だ.素朴でぎこちない出来だけれど、なんとか約束の期日までに立ち上げる事ができた.
https://sites.google.com/site/fukkoushienkyotentohokuuniv/
 復興と言うのは易く、被災した人々が普通の暮らしを取り戻すには、果てしない道をたどらなければならない.だからこそ、沢山の人たちの日々の前向きな力の積み重ねを絶やしてはならない.私たちも、微力ながら前進する力となりたいのだ.

2011年4月17日日曜日

夜行バス

 仙台への荷物の移動は、4 月に入ってからようやく動き出した引越便に任せた.ヤマト便や日通は 4 月に入っても下田から仙台までの輸送を受けてくれなかったので、ウンと言ってくれたアート引越センタ−に頼んで運んでもらった.東北新幹線はまだ全通していないので、自分の体の移動には自家用車または夜行バスを利用している.荷物の移送が必要な時には自家用車だが、東京圏から 5 時間、下田からだと 8 時間超かかる運転はやはりちょっと辛い.身ひとつで動くには、東京−仙台間の片道料金が 3,000-4,000 円程度の夜行高速バスの方が経済的だ.定期運行の路線バスではなくて、ツアー形式で客を募る高速バス便である.東北新幹線復旧前の今こそ書き入れ時と各地から観光バスをかき集めているらしく、かなり増発されている.私の乗車は、ふつう新宿西口から仙台駅東口に至る径路である.乗車のための集合時間になると深夜なのに周辺の歩道上は人で溢れ、ツアー会社ごとに点呼があって、自分の乗るべきバスの号車に各々が割り振られてゆく.4 列シートのトイレなしバスは途中 2 度ばかりサービスエリアなどで止まって、トイレタイムを設ける.その度ごとに車内の灯りがともされて、目を覚まさざるを得ない.寝心地の悪さと浅い眠りで到着時はふらふらだ.でも、経済的に『どこでもドア』的な空間移動ができるので、たいへんに重宝している.

2011年3月21日月曜日

最終回の脱稿

 昨年 4 月からの 1 年間、静岡新聞の連載『静岡海描』の下段にある研究者コメントコラムのおおよそ 200 文字をほぼ毎週書き続けてきた.月曜日掲載だったのだが、素敵な水中カラー写真が顔の連載だったので、紙面がモノクロの時は休載となった.だから、『ほぼ』毎週である.先週末に、ついに最終回を脱稿した.ひと安心した.生物カメラマンの阿部秀樹氏は毎週写真を提供して私より遥かに分量の多い原稿を書き続けてこられた.いつもどこかしらに取材旅行に出かけておられる身で、よくぞ続けてこられるものだと感心しながら、私はその尻尾にしがみついてきた.最終回は海を漂う幼生の話で、海原にぽつんと漂うある底生生物の幼生が写っていた.こいつもやがて脱皮して変身して大人になるのだな、と思いながら原稿を書いた.大きな災害で人も物も大きなダメージを受けて、途方にくれているこの国も、人々が力を合わせて見事に脱皮して、そして前にも増して立派な体となって歩んでゆけるとよい.一日も早くそうなることを心から祈りながら、今できる支援を少しずつでも続けてゆきたい.

2011年3月19日土曜日

カナダからの電話

 南三陸町志津川で毎年春にお世話になっている T 家の消息が知りたくて、震災直後から安否情報を集めていた.テレビ番組で T 家のご主人の声を聞いた気がしたので、その旨もメモして Google Person Finder に消息を知りたい旨登録して携帯連絡先を書き込んでおいた.するとしばらくして、留学中の T 家の娘さんがカナダから私の携帯に連絡を入れてきた.Finder を見たのでテレビ番組を自分も見てみたいということだった.その後まもなく、テレビ番組で出てきた場所に避難していることが確認できたらしい.ネット情報網のものすごい力を見た気がした.その後も Finder を通じて、多くの人々の安否確認ができた.でも、まだまだ直接話をするには至っていない.志津川の皆さんのご無事な声が聞きたい.今はただ祈るのみである.

2011年2月13日日曜日

本の背が声をかける

 私は本屋に入って手ぶらで出て来ることがほとんどないうえに、本を捨てることも滅多にない.研究関連の本はとくに発行部数が少なく、古書店で安くなることもなかなか期待できない.書店に姿のあるうちにとりあえず捕まえておく.だから溜まる一方だ.決して読書速度が速いわけではないので、未読本が積み重なってゆく.積ん読が加速してゆく.いずれもとっても読みたい本たちなのだが、容易に順番が回ってこないうちに、ずいぶんと変色したり、本棚の奥の湿ったところなんぞにあるとカビが生えたりゴキブリの糞攻撃に曝されたりする.でも、仕事合間や家でごろっと転がった時なぞに、なんだか本の背に呼ばれるように思うことがある.いまこのタイミングで私を手に取りなさいと、声をかけられる.そんな時は、ふと手に取ったものが、その瞬間にとても必要な情報をたっぷりジューシーに含んでいて、私の中の読書畑の乾きを潤してくれる.なんとなく、ゾロゾロと本の背が始終目に触れていることがとっても大事な気がする.何もかも電子書籍に変わってしまったら、本の背との密やかな会話もなくなってしまいそうだ.何もかもが実体のないあぶくの様なものに変わってゆく世界には、容易についていけそうにない.

2011年1月6日木曜日

尾頭付き高級魚

 正月の食卓には、おせち料理の他に尾頭付きの高級魚がずらっとならんだ.ひとり 2 匹ずつである.高級魚といっても天然鯛なんぞではない.シシャモ(柳葉魚)である.焼きすぎて尻尾が焦げてしまったけれど、正真正銘の本物だ.実家の母が年末に築地に出かけて箱買いしてきた.そこから我が家族分割り当てをご相伴に預かった.本物のシシャモは北海道での漁獲量が少ないため、巷に出まわっている「シシャモ」や「子持ちシシャモ」のほとんどは日本より北域で多く漁獲されるカラフトシシャモ等になっている.カラフトシシャモはシシャモと同じキュウリウオ科でも色や形がずいぶん違う.本物のシシャモよりも鱗が小さくて白っぽく、干物は痩せっぽちな感じがする.でも、カラフトシシャモの方が多く出まわっていて「シシャモ=代理シシャモ」とイメージが固定されているせいか、「本物のシシャモ」の方が本物に見えない.本物は色合いも豊かで鱗が大きく体もがっちりした感じである.味は本物シシャモの方が格段に良いと思う.カラフトシシャモで感じる水っぽさというか過剰な感じの淡白さがなく、口に入れて太くてしっかりしているうえ、身が詰まって味が濃い.とても充実感のある味のおかげで酒が進んだので、もっと食べたかったが、魚好きの子供たちの見張りの目も光る配給制度は厳しく、続きは来年になりそうである.

2011年1月5日水曜日

前に言ったことを繰り返す

 加齢に伴って、同じことを何遍も言うようになる.本人は同じ相手に同じことを繰り返し言っていることに全く気がついていない.自分も結構年を重ねてきてこのことはよく知っているから、人と話をする時にはできるだけ慎重を期すようにしている.酔っぱらった時にだって注意しているつもりである.文章を書く時にも同様である.ところが、やっぱりダメなのだ.昨日、発電と送電のくだりを書いている時に、なんだかデジャブーのようなものを感じたので、ブログ内検索をしてみたところ、この話を 2008 年 10 月にもしていて、その延長で 2009 年の年初の話題にもしていることに気がついた.まあ仕方がないから自分を赦しておくとして、嫌だったのは、やはりこの時も『送電過多で自分は薄っぺらくなりかかっている』と嘆いていることである.それ以来状況が改善されていないということなのか.トホホである.積ん読が主体となっている本たちをせっせと読みたいし、ネット上に溢れている新着論文ももれなく拾い上げたい.論文も書きたいしハーモニカも吹きたい.たっぷりと充電したいのだ.でも、いつもいつも制限要因となるのは時間である.ウナギのような私の時間を、ゴム手袋でもしてしっかりと捕まえておきたい年の初めである.

2011年1月4日火曜日

科学読物研究会

科学の本って面白い
第6集 2003-2009年
連合出版 (2010 年)  1,575 円
 いまから 10 年以上前のことになるが、地元の下田市立下田中学校で特別非常勤講師を 3 年間務めていたことがある.理科部および全校全生徒対象にいろいろと自由な授業をやらせて頂いた.総合的な学習の時間を利用したものだったように思う.フクロウナギやチョウチンアンコウやハダカイワシなど深海魚の標本を他大学から借りてきて生徒たちにスケッチさせたり触らせたり、ウニを受精させて発生を見せたり、カブトガニの幼生を観察させたり、生徒たちの各々に空想上の生物を描いてもらって、それらを分岐分類で系統解析したり.自分の大学と臨海実験センタ−での研究業務と教育業務の傍らであるから、まあ何ともとてつもなく慌ただしいことであったが、楽しい経験だった.昨年の秋頃のこと、このときの授業をプロデュースして下さった MH 先生から科学読物研究会を紹介して頂いた.また、この研究会が 1981 年以来発刊し続けている『科学の本っておもしろい』というシリーズの新刊第 6 集 2003-2009(右上が表紙) を頂戴した.この本の前の方 1 割強が科学の本の普及活動について述べられた第1部で、続く第2部ではジャンル別に科学の本が紹介されている.7 年間に発刊された科学読物の 3,500 冊ばかりを検討対象として、そのうちから 365 冊について 1 ページあたり 2 冊ずつの配分で、紹介文が書かれている.加えて関連図書も156 冊が紹介されている.分類の項目の立て方がとても分かりやすいため、求めている本に容易に行き着くことができるし、自分の知らない分野の本を上手に探索してゆくこともできる.近頃は年間の本の出版数が夥しくなって、求める本に正しく巡り会うことがとても難しくなって来ている.そんな中でこのようなタイプの良い道標となるガイドブックのシリーズが 30 年にもわたって編まれ続けているというのは、ほんとうに素晴らしいことである.関わってこられた方々の熱意と努力が偲ばれる.私が下田中学でお世話になった MH 先生は第 4 集から本の紹介の執筆を続けてこられた.第 6 集巻末の執筆者リスト中に MH 先生他の先生方のお名前をたどるうち、下田臨海実験センタ−発生学研究室の卒業生で現在大阪教育大学科学教育センタ−の教員を務める NF 君の名前を見つけて驚いた.先日久しぶりに来訪した彼と話をしていたところ、やはりこの本の話が出て、いま科学教育の普及活動に力を入れているという話を聞いた.いつか私も、このガイドブックシリーズで取り上げて頂けるような科学読物や科学絵本を作り出してみたいものだ.私と NF 君の共通の恩師である W 先生は『研究は発電で教育は送電であるから、よい送電を行うためには絶え間ない発電が必要である』と言っておられた.この意味での発電と送電のバランスをとることは、いつもは難しい.どうもここのところ、私は送電過多になっているし、電気の質も劣化してきている.質の高い電気を安定供給できるように、研究に励んで充電にも努めたい.よくまとまった質の高い研究成果は美しいものであるはずで、それについて伝えようとすれば、たとえそれが口伝えの形をとっても読み物の形をとっても、それは一般の人にも分かりやすく受け止めやすいだろう.そんな良い研究をひとつ、でも素敵なひとつを完成させられるように、今年も励みたい.  

2011年1月3日月曜日

略称につき

 正月に子供たちとテレビを眺めていたら、ダイハツの新型 Move の CM で『低燃費』を『TNP』と略称していたので、嬉しくなった.略称イニシャルを考える時にしばしば英訳してからそのイニシャルを使うが、別に日本語のままだっていいじゃないかと思っていたからである.私のビジネスダイアリーや PC 上のスケジュール表には、『KSJ』が頻出する.これは『海洋自然塾』である.他の誰も使っていないと思うが、私自身は他の略称を考え得ないくらい、もうかなり昔から使っている.そんなわけで、TNP には励まされる思いがした.それでもう少し思考の跳躍を試みた.そうか、よく考えれば日本放送協会が NHK だし経団連は KDR だ.松竹歌劇団は SKD だったし日本水産学会の和文誌の英名は NipponSuisanGakkaishi である.コレデイイノダ.そんなわけで、素敵な日本語略称イニシャルがもっともっと繁茂したら良いんじゃないかと、年初にぼんやり考えた.

閲覧数ベスト5