2009年7月31日金曜日

宝探しのプランクトン実習

 地元高校である県立下田高校の SPP (サイエンス・パートナーシップ・プログラム)の一貫として海洋プランクトンの観察会を行った.午前中のうちに高校生と先生方が研究調査船『つくば』に乗船してプランクトン採集を行い、午後にかけて採集生物の顕微鏡観察に励んだ.低水温のせいもあってかプランクトンの絶対量が少なく、参加学生たちは観察対象を採集瓶の中からピペットで吸いあげるのに苦労していた.ところがこのような時に限って、他の実習で見たことのないような生物が採集される.1 年間に私が担当しているプランクトン実習は SPP を除いても通常 5 回あるので、たいていの生物が見覚えのあるものとなってくる.ところが、それでも全く見たことのない生物に遭遇することが毎年 3-4 回はある.今回の SPP でも不思議な生物が見つかった.丸い傘の脇に袋のようなものがついていて、透明で柔らかなパーツの形が、定まった範囲の中で刻々と変わってゆく.その変化の様子を学生の1人が上手にスケッチしていて、それが何かと問われたのだが、どうもよく分からなかった.諦めかけたが、念のために図鑑に掲載の図や写真を片端から調べてみた.するとプランクトン図鑑の巻末に学生スケッチにそっくりの図が見つかった.フタツクラゲの幼生だと記載されていた.同じ種とは限らずともかなり近い種の幼生であることに間違いないように思われた.ふとした時にこんな発見があって、それが積み重ねられてゆくから、だからプランクトン観察の実習は面白いのである.ちょっとした宝探しなのだ.

2009年7月30日木曜日

みすず飴を楽しむ

 みすず飴が好きだ.『みすず飴』は長野県上田市に在る飯島商店の菓子で、果汁と水飴などを寒天で固めたものだ.もう 10 年以上も前のことだが、長野県出身の学生が帰郷した折りに土産として持ってきてくれたものを、初めて賞味した.『飴』という名前とゼリー状の中身のギャップに当初は驚いたが、なんだかその味と食感の不思議な取り合わせが気に入ってしまった.その後、筑波大の菅平高原実験センターに行くために上田駅で新幹線からバスに乗り換える時などに、駅構内の土産物店で好んで購入するようになった.一度、バスの乗り換え時間がとりわけ長かったときに、周辺散歩がてら上田城まで歩いて行ったことがある.そのときに、城址のある方面に上ってゆく坂道沿いの左手にある飯島商店の前を通った.店の入口あたりから中を覗き込んだだけだったのは、店の造りがずいぶんといかめしくて、なんだか気後れしてしまったためだ.ついに店内には入らなかった.駅の土産物店でみると、みすず飴には小さなサイコロブロック状のものもあるようだ.しかし、やはりあの直方体のものが絶対に良いと思う.紙包みタイプのものもあるが、味の種類を示す果物の名前とワンポイントの絵が付されたレトロな感じの透明セロハン包みが好もしい.口腔内でわりに大きな容積を占めるあの立体を頬張って、舌先でときどき転がしながらできるだけ長くその原形を維持しようとするのだが、やがてガタゴトと崩れてゆく.その過程での舌触りの変化と流れ出してくる味覚を楽しむのである.テーブルの上に幾種類か転がして本を読みながら順番に食べている時に、両手でセロハン包装のつまみのところを左右に引っ張ってすんなり開くものと開かぬものがあることに気付いた.中身を包んでひねるときの方向が両側で揃っているときと反対になっている時があるのだ.包装は機械によらぬ手包みで、それゆえに職人による癖が出るのだろうか、それとも機械包みでもこのようになる理由があるのだろうか.つまらぬことだが真相を知りたくなった.真剣に調べようとすれば、すぐに答えの出ることかもしれないが、なんだかそれではつまらない.しばらくはあれこれと想像してみたい.まずは、同様な傾向が一般的なものなのか、他の飴菓子などでも調べてみよう.

2009年7月29日水曜日

カレンダーからメモ用紙

 つくばキャンパスには遠隔地センタ−教員共用のオフィスがある.遠隔地センタ−とはメインキャンパスから離れた研究教育施設のことで、菅平高原実験センターと下田臨海実験センターを指す.この共用オフィスは試験シーズンなどには利用頻度が高くなり、6 畳ばかりの一部屋で同時に 4 人の教員がデスクワークに勤しむことになる.一方で、訪れる人が疎らになる時期もある.2 つの実験センターが学生実習のラッシュに見舞われる夏休みの頃はどの教員も自分の持ち場での仕事にかかり切りになって、なかなか筑波に出かけられなくなるのだ.昨日、オープンキャンパスで下田センターの宣伝を行うために、下田で実施中の実習を 1 日だけ抜け出して筑波に出かけた.共用オフィスに荷物を置きに出かけると、壁には まだ 5 月のカレンダーがかかっていた.そのまま 7 月ページにすると、カレンダーの 6 月ページはついに人目に触れることなくはぎ取られることになる.なんだか、6 月ページが可哀想な気がした.だから、ほんのしばし 6 月ページの上に刷られた日々を左上から右下まで眺めてやり、紙面に娑婆の空気を味わわせてやった後に 5 月と重ねてはぎ取った.カレンダーからはぎ取ったページは必ずメモ用紙にする.少し固めの紙は折り目をつけると手で割きやすい.ぎゅっぎゅっと折り目をつけて、左半分をしっかりと押さえ、つーっと右手で割く.決してハサミは使わない.境界の直線性がなんだか危ういまま、半分のそのまた半分になりながら枚数が増えてゆくのが愉快なのである.かくて、過ぎた月々のカレンダーページたちは第二の人生を歩み出すことになる.ペン立て横のメモ用紙の束として、出番を待っている.

2009年7月19日日曜日

座禅和讃

 東海大学の沼津キャンパスで毎年 6 月頃に毎週生物学実習を行ってきた.開発工学部医用工学科の学生を対象としたもので、キャンパス移転が予定されているために 5 年目にして今年度が最後となった.実習ではプランクトンの観察、土壌動物の観察、ウニ初期発生の観察などを行っていた.
 下田から熱海経由で沼津キャンパスに向かう際の最寄り駅は東海道線の原駅で、下車してから東海大行きのバスを待つことになる.たいてい 30 分未満の待ち時間だったが、通い始めの頃、いつもの習性で何か面白いものはないかと静かな佇まいの駅前広場をうろついてみた.ひと巡りしたところ、駅トイレの裏手に立っている周辺案内図が眼に留まった.何も特別なものを期待してはいなかったが、その中に白隠禅師の名前が出てきて興味を持った.禅の教えを分かりやすく広めた僧で、駅の近くに縁の寺があるという.それまで白隠禅師について何も知らなかった.富士山に並ぶ駿河の名物であることも知らなかった.自宅に戻ってからどんな人物かを調べ、座禅和讃の存在も知った.でも、それだけのことで、その後白隠禅師と座禅和讃はずっと記憶の片隅に追いやられていた.原駅での乗り換え時間が短かったこともあって、ついに菩提寺である松蔭寺にも行くことがなかった.
 ところが、つい最近、ひょんなことから自分が座禅和讃を朗ずることになった.息子の母親同士のつながりで、女房と子供たちが下田市の泰平寺で月に 1 回日曜の朝に開かれている座禅会に出かけ始め、やがて誘われて出かけたのである.午前 9 時からまず読経する.そして座禅を 30 分ばかり行い、最後に説教があって、あとは参加者の懇話会である. 1 時間半ばかりの静かなひとときだ.その読経の際に、般若心経を読むことは聞かされていたので、生物学者であった柳澤桂子氏による般若心経の解説書『生きて死ぬ智慧』などを読んでいた.ところが、皆で朗ずる経文はひとつだけではでなく、四弘誓願文などと併せて座禅和讃も含まれていたのである.時々ではあっても何度も朗ずるうちに、だんだんと中身が気になってきた.聴いたところからもおおまかには言っているところは分かるような気がするのだが、どうも詳細が分からない.そろそろ解説書をあたってみたい心持ちになっている.書画もいろいろと見たくなってきた.松蔭寺にもいちど訪れてみよう.

2009年7月18日土曜日

味噌汁の下に澄まし汁

 卒研生の初潜水作業に同伴潜水した.沖に出してもらったボートから海中を覗き込むと、ひどく水が濁っている.初潜水には向かない状況なので、あまり透視度が低かったらすぐに潜水を中止するつもりでいた.はじめのうち過呼吸気味でなかなか沈まない A 君に何とか海面下に入ってもらい、水深 10 m のカジメ海底基地付近に向けてゆるゆると移動していった.まるで味噌汁の中にいるようで、鼻先しか見えないし、なんだかむやみに水温が低かった.ところが、やがて深度 6 m を越えたところで、急に視界が開けた.らくに 10 m 以上見渡せる水塊に飛び出した.それと同時に一段と急激に水温が下がった.ダイコンが海水に馴染んだ頃合いに水温を見るとなんと 14.5 ℃ だった.真冬に近い海水温だ.味噌汁の下は冷たい澄まし汁だったのだ.監視がメインの仕事でカメラも持って来なかったので、目的の作業を黙々と続ける A 君を、じっと寒さに耐えつつ、震えながらタイムアップまで見守っていた.

2009年7月15日水曜日

早朝の伊東ダイビング

 ひょんなことから伊東で調査を行うことになった.こんな経緯である.
 伊東のオレンジビーチでは、繁茂していたアマモを大事に維持していた.夏が来ると打ち上げアマモが海水浴客の脚にまとわりつくため、海水浴客の邪魔にならぬようにと海水浴シーズンに入る前に地元ダイバーたちが潜って主に花株部分を刈り取っていた.砂浜の生物多様性維持のためのアマモ存続と海水浴客への配慮をバランスよく行っているということで、テレビでも取り上げられていた.ところが、今年になってアマモ繁茂期の 5-6 月を迎える頃に、アマモがすっかり姿を消してしまったのである.昨年の繁茂期には高さ 2 m に及んだアマモの群落が消えてしまったので、ダイバーたちは驚いた.そして、現況の把握と後に客観的な記録を残せるようにとの期待から、私たちの方に調査協力依頼が来たのである.
 調査を行った 7 月 15 日はビーチが既に海水浴客に開放されていたため、午前 9 時までには撤収するように市からは厳命されていた.集合は朝 6 時で、伊東の各所のダイビングサービスの代表の方々が当日の仕事前に集まって下さり、総勢 12 名のダイバーが 6 本の 50 m ラインに沿って枠調査を行った.全く下見調査なしなので、打合せに念を入れ、一隻のボートでピストン移送しながら、ラインを張るや一気に調査に取りかかり、午前 8 時半には完了.GPS でライン位置を記録して、全てのラインの撤収が完了したのは午前 9 時の 1-2 分前だった.すさまじい勢いとチームワークでプロのダイバーの方々が動き回る様子に感嘆した.終了するや、皆さん大急ぎで自分のショップに戻っていった.お客さんとの待ち合わせ時間ギリギリでウェットスーツを脱ぐ間もない、と大慌てだった.私は午前 4 時過ぎに下田を出たので、たいへんに長い 1 日になった.でも本当にすがすがしい 1 日の始まりだった.さて、結果から言うと、アマモはすっかり消えたわけではなかった.少なくともビーチの一画には残っていたのだ.でもほとんどのエリアで根こそぎ無くなっていた.残存カジメの状況や周辺生物の現況から、何が起こったのかを推理するのが、これからの仕事となる.
 調査の様子は 7 月 23 日午後 6 時 10 分からの時間帯に、NHK 静岡のニュースの時間枠内で放映される予定である..

2009年7月11日土曜日

結果オーライ

 梅雨空をかいくぐって、水圏生態学実習が終わった.からっとした晴れ間こそなかったが、実習中に雨に降り込められることは結局一度もなかった.乗船採集時も 2 回の野外調査時も雲がかかっていたものの雨滴の顔を見ることもなかった.野外に出る時以外にスコールのような雨が降り、いざ出かける時になると薄日すら射してくるという塩梅が続いた.実習のはじめに決めた自由テーマで 2-3 年生 5-6 名で構成された 4 つの班が研究を始める.出かけられるフィールドとスタッフで面倒見られる生物群の範囲が限られているために、実際はフルオーダーではなくてイージーオーダーのような研究テーマだが、それでもテーマ選択の自由度は高い.彼らは班毎にデータ取りと解析を進めて、最終日前日の午後に調査結果の発表会を行う.発表会はスタッフと発表班員以外で内容評価するコンペ式で、得点結果は実習の反省会(打ち上げ会)の席で発表される.今年も熱心にテーマに取り組んで自分たちで先々を考えながら解析や発表準備を進める学生が多く、皆が発表会を楽しむことができた.天候から心配した実習だったが、結果オーライであった.スタッフ一同、参加学生たち、それに梅雨の神様に感謝したい.

2009年7月9日木曜日

ノギスと仲良く

 生態学の臨海実習ではノギスが大活躍する.海水に浸けるために、普通の金属製ノギスではなく、プラスチック製の耐水ノギスを使う.今回の実習では、ヤドカリの殻サイズの計測とカニの甲羅サイズの計測で大活躍した.ノギスの使用などほとんど経験のない学生達、カニにさわったことのない学生達などなどが磯に出かけていって、岩陰にしゃがみ込んでは或るグループはヤドカリを片端から捕まえ、他のグループはカニを追いかけ回しては甲羅を押さえ込んでバケツに放り込む.実験室に連れて帰ると生かして海に返すことができないことが多いため、調査目的をしぼり込んで計測項目をできるだけ減らして、捕まえるはしから現場で計測し、計測後のものは他と混ざらぬようにバケツにストックしておいて、全計測が終わって他に移動する時に一気にリリースしてやる.数百個体の計測を行ううちに学生達はいつの間にかノギス使いに慣れ、最初のうちはカニに度々はさまれて騒いでいた者たちも、やがてカニあしらいに長けてくる.ノギスと仲良くなって、まるで手指の一部のように感じられ始めた頃に、計測は終了となる.

2009年7月7日火曜日

梅雨の実習

 梅雨の真っ最中にフィールド活動が主体の学生実習がスタートした.この実習は私たち下田の海洋生態学研究室にとって 1 年のなかで最も主要な生態学系の臨海実習である.月曜午後にスタートして土曜午前終了で、朝から深夜まで採集や観察、データ解析が続く.担当教員が私ひとりということもあって、当然ながら天候がとても気になる.朝夕しばしば天気情報を見ているが、いまのところ梅雨前線が北寄りで活動してくれているためか、ひどい雨にたたられる状況にはなっていない.下田は伊豆半島の南端ちかくに位置しているため、半島中央部まで雨雲の帯がかかっている時でも、このエリアは晴天になるようなことがしばしば起こる.せっかく筑波のメインキャンパスからやって来てくれている学生達である.良いコンディションで多くを学び、心に残る体験をして帰ってほしい.どうか天気に恵まれたよい実習になってほしいと、梅雨の神様に祈るばかりである.

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