2009年4月29日水曜日

ちんだらはんだら

 保育園生の息子は朝食の食卓についてもなかなか食べ進まず、些細な事で気がそれては食事半ばで遊び始める.台所が片付かないうえに登園時刻は迫るので、私も女房もイライラしてくる.そんな女房が今朝不思議な言葉を発した.「早くしなさい!ちんだらはんだらすな!」女房は九州の出身でふとした瞬間に不思議な方言が飛び出すことがあるのだが、だいたいの言葉は意味を想像する事ができる.でも今回ばかりは息子も私も頭の中がハテナで埋め尽くされた.造語かと疑ったのだが、そうではないと言う.試しにネット検索をしてみた.すると『ちんだらはんだら』は無かったが、『ちんだはんだ』というやはり九州の方言が見つかった.標準語でいうところの『ちぐはぐ』とほぼ同義で、もともとは着いたり(ちぐ)離れたり(はぐ)することを言うらしい.つまるところ、女房の言葉は『ちぐはぐなことをするな!=だらだらするな!』という事になるらしい.面白い言葉なので、私も使ってやろうと機を窺っているところだ.

2009年4月27日月曜日

富士山いいな

 私が小学生の頃、カメラというのは全てフィルムが入っているものだった.撮影用フィルムを買う際には、まず白黒かカラーか、メーカーは富士かさくらかコダックかという選択があった.枚数は少なめなら 12 枚撮り、ふつうは 24 枚撮り、たっぷり撮るなら 36 枚撮りという具合に選んだ.撮影後はフィルムを現像に出して、画像を印画紙に焼き付けたものが帰ってくるまでは、写真の出来は分からなかった.そんなわけで、ここぞという光景に遭遇した時には構図に加えて絞りやシャッタースピードを変えながら、ひたすら枚数を撮りまくるしかなかった.実家に残っていた古い写真を取り出して見ている時に、未整理の箱からネガフィルムとそれを焼いた写真がたくさん出てきた.中に、36 枚のフィルムの 1 本が丸ごと全てほぼ同じ構図の富士山のものがあった.高速道路から撮ったものらしい.おそらく、東京の実家から父母の郷里である関西に夏休みを利用して出かけた時に、私が車中から撮ったものだろう.昔から富士山の姿が好きだったから、目前にそびえる大きな姿に感動して撮りまくったのだろう.写真が出来てきて、同じような写真が袋からぞろぞろ出てきたために、父に叱られたおぼろげな記憶がある.先日家族で沼津に出かけたおり、沼津市内から大きな富士山が見えた.その姿にいたく感動して、息子がデジカメ写真を撮りまくっていた(右の写真はそのうちの一枚).カメラのメモリー残量も十分にあるし、現像のための出費もないから、取り立てて叱る必要もない時代になった.でも、その後ろ姿を見て、遠い昔の自らの背中を見た気がした.われら、外観は違っていても、似た者親子なのである.

2009年4月21日火曜日

途切れるくやしさ

 下田から東京に向けて車で走ってゆくとき、ラジオをつけておくことが多い.CD を聞くことはない.車載の CD プレーヤーは下の息子によっておよそ 5 年前に破壊されたからだ.スロットタイプの挿入口に何やら平べったいものを押し込んだらしく、修理不能となってそのままになっている.たいていは音楽番組でなく、AM のトーク番組を聞いている.ラジオの話題を耳で追っていれば眠気覚ましにもなるからだ.気になる話題がとり上げられている時、さあ面白そうだと次の語りを待つタイミングでトンネルに入ってしまうことがある.アンテナの張られているトンネルは私のルート上には少ないため、プツッと放送が途切れて、肝心なところで話題を拾えなくなる.急いで出口を目指しても、出口ではたいていもう話題が変わっている.知りたかったことが永遠に分からなくなる歯痒さで一杯になる.同じような経験は映像でもある.山手線など最近の首都圏の電車には液晶モニターが車両内の扉の上に取り付けられていて、乗り換え情報や天気の他に企業のコマーシャルや雑多な生活情報の提供を行なっている.クイズや4コマ漫画などやっていることもあって、しばしば見入ってしまう.見入っているうちに目的駅に到着して降りねばならなくなるのだが、クイズの答え待ちや漫画の落ちを見る直前や料理レシピの紹介直前が降車のタイミングになることがしばしばあるのだ.何とも中途半端な心持ちで降車しなければならないあの感じは本当に嫌なものである.トンネルにはアンテナをつけてほしい.電車内の放送の区切りは駅到着にタイミングを合わせてほしい.爽やかに移動させてほしいのだ.

2009年4月16日木曜日

幼カジメいっぱい

 午前中はカジメ定期調査のために、海の中にいた.今年はカジメ幼体の定着数が例年になく多いようだ.この 3 か月の間に定期調査の基盤上へ幼カジメ 50 個体近くが加入してきた.基盤上カジメの初期数が 60 だったから、それをしのぐ勢いだ.計測 10 年目に入って老個体が次々と姿を消し、昨年までの新規加入数も低下気味であったので、私の群落は潰えてしまうかと危ぶんでいた.でも、これから持ちなおしてゆくかもしれない.今年加入の幼カジメたちの今後の生長が楽しみだ.野外群落の長期変動を考える時、齢構成および加入や生残の年変動は大切な要因であるが、それを確かめることができるほどの長期調査を続けてゆくことは、なかなかに大変なことである.もちろん短期決戦的な研究だってやるけれど、息の長い調査をこつこつと続けることも臨海実験所というポジションに所属する研究者としての責務のひとつだと考えている.

2009年4月15日水曜日

セミがでた

 仕事場である臨海実験センタ−は海に面しているが、自宅は研究棟の横から階段を上り切った小山の上にある.下田の海岸は山が迫っているため、海岸からちょっと坂を登るとすんなりと山の環境に入ってゆくような場所が多い.夏になれば、イノシシの足元に赤いカニが走り回るような光景を見ることすらある.今夕、夕食のために自宅に向かう階段を上ってゆく途中、周りの雑木林からのセミの鳴き声を聞いた.ジーというハルゼミの初鳴きだ.まだ数は多くない.1 匹 1 匹の所在を突き止めることができそうなくらい、くっきりとまばらに鳴いている.この季節、朝はウグイスが鳴き、昼はキツツキの音が聞こえ、夜はコノハズクの声が聞こえる.春ゼミの参戦で、下田の自然音環境は一段と豊かになりそうだ.

2009年4月14日火曜日

ダッキーがやって来た

 娘の誕生日プレゼントとして不思議なぬいぐるみが我が家に現れた.ダッキ−ココアというタカラトミー製のロボットぬいぐるみである.頭と前足と背中に接触センサーがついていて、他に音声感知センサーと姿勢感知センサーも付いている.抱かれ方を認識した上で、なでられるといろいろな声を出す.声を出しながら、まぶたの開閉も行なう.心憎いのは、指定しておいた就寝時間や起床時間に眠る準備の発声をしたり起きがけには何かしら新しい話をしたりすること.それに、初めのうちはうまく言葉が出なくて鳴き声だけなのに、時間が経つと徐々にいろいろな話をし始めるという点である.気まぐれに独り言のように声や言葉を出すこと、放っておくと居眠りをすることも面白い.はじめは、子供だましのおもちゃだろうからすぐに飽きてしまうだろうと冷たい目で眺めていた私だったが、ここのところどうも気になって、ついついいじりたくなってしまう.どうも私も子供たちと一緒にその奇妙な魅力にはまってしまいつつあるようだ.  

2009年4月13日月曜日

ウミホタルとの6ヶ月

 昨年の 9 月に採集したウミホタルを飼い始めてから既にまる 6 か月が過ぎた.室温条件ではあったが私の部屋は冬期もエアコンを使わないので、夜間は野外海水温よりも温度が下がることもあっただろう.最初は半月に 1 回の換水を欠かさず餌もほぼ毎日やっていた.しかし、おっかなびっくりながら少しずつ間を空けていったところ、現在では換水は 2 か月に 1 回、給餌は 1 週間に 1 回である.それでも維持できることが分かってきた.もっとも、水温が上がってきたら再び頻度を増した方がよいのかもしれないし、もう少し給餌の頻度を上げたら、あるいはもっと増えるのかもしれない.まあ、そのあたりは今後調べてゆけばよいことだ.とにもかくにも無事に冬を越すことができた.海を知らないウミホタルたちにもずいぶんと大きな個体が現れた.加えて、新たに生まれた微小な個体たちも多く同居している.4 月になって室温が上がるとともに水が温んで来て、ウミホタルたちは明らかに活発になった.給餌するのは仕事を終えて帰宅する前の、たいていは深夜である.壁ぎわ灯のみ点けて天井灯を消す.そして、水槽のフタを開けて少量の餌を投入する.水底に落ちた餌の臭いに気付いて、まず近くに居たものがザワザワと動いて泳ぎ出し、しばらく蛇行した末に餌にたどり着く.その後、遠くからフワリフワリと離陸してきたもの達がやはり蛇行し、あちらこちらに寄り道しながら餌に向かってくる.やがて餌の周りはお祭り騒ぎになる.その経過を眺めるのが密やかな楽しみなのだが、春の訪れと共に、餌の投入に対する彼らの反応が速くなってきた.おかげで私は少しばかり早く帰宅できるようになった.

2009年4月12日日曜日

どう見えるのか

 最近の犯罪では監視カメラの映像がよく公開される.コンビニ強盗や ATM 詐欺の際の映像などはかなり鮮明だ.現代では自分の所在も姿も誰かしらにモニターされている可能性がある.なんだか気持の悪い話だけれど、便利の代償だし、とりあえず悪いことをしでかさなければ、当面の害はない.ニュースや新聞のモニター映像を見ていて考えた.人には自分が外部からどのように見えているのかは分からない.鏡に向かう時の自分の姿はかなり特殊な場所におかれたほとんどスチルの画像で、自分という全体の形質の把握からはかけ離れている.それは幸いでもあるのだけれど、ちょっと不幸でもある.1 週間くらいの期間、寝ている時間以外の自分の姿を外側からずっとモニタリングした映像を見ることができたら、得るところは大きな気がする.思い描いている自分と現実の自分とのギャップに大きな衝撃を受けそうだが、それを一致させる努力に心を傾ける機会を作ることができるかもしれない.群衆の中をどのように歩いているのか、電車の中でどんなふうに振る舞い、どんなふうに居眠りしているのか.人と話をする時、笑う時、怒るときにどんな表情をしているのか.食堂で自宅でどんなふうに食事をしているのか.そして、酒を飲むときどんなふうに会話し、どんなふうに酔っぱらって、どんなふうに眠るのか.よく考えると、自分以外の人間たちが普通に見ていることである.それを同じように自分自身も見られたら、自分という人間をもう少し良く理解することができて、もう少しこましに生きられるのではないかと思う.

2009年4月11日土曜日

春宵のキャンパス

 2 日間にわたって行われる大学院説明会のために昨日から筑波キャンパスにやって来た.大学院説明会は大学院進学を考える自大学と他大学の学生たちへの研究室ガイダンスで、研究室公開やポスターの展示、ガイダンス講演会が行われる.説明会の 1 日目の終了後、オフィスに午後 10 時半頃までいて雑務をこなし、キャンパスの中を貫く道をとおって宿泊所に向かった.街灯の明かりを建物の窓から漏れる明かりと満月に近い月明かりが助けて、辺りはうっすらと明るく遠くまで見渡せる.たどる道の両側には池があり芝生や草地があり、それに林が連なっている.春の金曜の宵のキャンパスでは、学生たちの活動がまだあちこちで続いていた.道路から見下ろす階下のピロティのようなところでパソコンを打ったり工作をしたりするのは鳥人間学生たちだろうか.遠くの建物からは南米音楽の合奏やアカペラコーラスグループの歌声が、風に乗って聞こえてくる.池の端の芝生の上では、だいぶ散りかけた桜の木の下で少人数の男女グループがちょっと肌寒そうな小宴会を開いていた.蠢き始めた自由の空気が私の体にも伝わってきて、ほんのひととき私もキャンパスの一部になれたような、そんな感じがした.

2009年4月10日金曜日

オタマジャクシの餌

 小学校低学年の娘がオタマジャクシをつかまえてきて、ペットボトルで作った飼育容器の水換えを自分で行ないながら、大事に飼いはじめた.はじめに、冷蔵庫から見つけ出したいろいろな食材を餌として少しずつ与えてみて、どれを好んで食べるかを一生懸命に観察していた.その結果、鰹節をもっとも好むことが判明したらしい.その報告にやってきた彼女が言った.「カツオは海にすんでいるんだよね.池にすんでいるオタマジャクシはどうやって海に出かけて、カツオを食べるんだろうね.不思議だね」濁りのない眼で真っ直ぐに私を見ながらそう言うのだから、私は参ってしまった.確かに、サンタクロースがたった一晩の間に世界中の子供たちにプレゼントを配り終えることができるのと同じくらい不思議なことである.

2009年4月9日木曜日

新年度の新聞

 新年度になって新聞の紙面がずいぶんと変わった.驚いたのは番組欄である.子供の頃から親しんできた 1, 3, 4, 6, 8, 10, 12 という不動の配列がいとも簡単に変えられてしまった.デジタル放送優先の配列に変わったようだが、デジタル放送とは縁のないわが家には、どうにも見辛くてならない.他にも紙面には内容や紙面の割り方に新年度の様々な工夫が加えられている.これらは進歩であり改善なのだろうが、慣れるのには未だしばらく時間がかかりそうである.慣れることに要するエネルギーは無駄だから、100 年以上も続くような不変のパターンの維持を求めたいと思うのは、私だけだろうか.

2009年4月8日水曜日

阿修羅のフィギュア

 大変である.大変なのは阿修羅のフィギュアである.上野の国立博物館で開催されている『国宝 阿修羅展』の会場限定で販売されている海洋堂制作による阿修羅像のフィギュアが予想をはるかに上回る売れ行きとなって、ひとり2個までの当初販売がすぐにひとり1個のみとなって、それでも4月半ばまでには販売予定 15,000 個の全てが売り切れるという.興福寺には何度か足を運び、関連本もいろいろ持っているそれなりに阿修羅ファンの私としては、フィギュアを是非とも入手したかったのだが、どうも危うくなりそうだ.親しみやすさと仏像らしくない突飛な風体も相まって日本の仏像の中で人気ナンバーワンの阿修羅像だから仕方のないことだが、できれば会期後にもフィギュアを生産して、博物館のミュージアムショップで販売してほしいと切に願っている.

2009年4月7日火曜日

もっこり

 保育園の年長になった息子は、現在日本語ボキャブラリーを増すことに精進している.兄や姉と張り合うためにも、知っている限りの言葉をフルに使って背伸びして表現しようとする.すると驚くほど高度な語彙使用のみられることもあるが、正誤の境界線上で不思議な表現が生じてくることもある.間違った語彙の使用に対しては直ちに兄と姉の厳しい訂正が入るため、たいていの場合には父母には訂正後の語彙使用が行なわれる.ところが、たまに兄と姉が不在で保育園小僧が父母に話をする時には、兄姉の校閲の入る前の言葉が飛び出すことがある.これが面白い.昨日、兄姉が学校に出かけたあとの保育園に出かけるまでの時間に、貝で作るオブジェの制作が話題になった.保育園小僧が言うには「貝をつないでくっつける時にはふつうグルーガンを使うのだけれど、『もっこりボンド』でもいいんだよ」とのこと.もちろん『木工ボンド』のことで、女房と大笑いした.本人のキョトンとした顔が可愛らしかった.

2009年4月5日日曜日

真鶴道路がホットドッグに

 家族で移動する時はたいてい車を使う.もちろん交通費節減のためである.下田と東京の間を往復することが多い.経路上にはいくつもの有料道路がある.以前は何の疑問もなく利用できる有料道路を全て使って往復していたのだが、子供ができて先々のことを考え始めたら、いちいちの支出が気になってきた.最近では、厚木−東京間の東名高速道路と小田原厚木道路以外は使わないことも多い.夜間に通行すれば、一般道のみの利用でもさほど時間の差のないことも分かってきた.今夕東京からの帰りの時のことである.やはり節約モードで通行した.西湘バイパス石橋支線で小田原西 ICから石橋 IC へ抜けるのを我慢すれば 200 円儲かる.真鶴道路を我慢すれば 200 円儲かる.熱海ビーチラインを我慢すれば 250 円 儲かる.ところが、無事に全部節約したところで猛烈に眠くなってきた.仕方なくコンビニに入って目覚まし用にチョコレート入りアイス最中を買うことにした.これを運転しながらバリバリ齧るのが、私の目覚ましの秘策のひとつなのである.仕方がない、アイスを買って石橋インターを通ったことにしようと思い、コンビニに駐車した.ところが折悪しく、熟睡していたはずの小僧の1人が目覚めてしまった.当然私は1人だけずるいと咎められることになった.仕方なく、言われるままにホットドッグを買ってやった.節約したはずの真鶴道路の通行料はホットドッグに化けた.

2009年4月4日土曜日

桜満開

  BS リーグ臨海実習は最終日を迎えた.午前中のうちに掃除や片付けが行われ、好天と桜に祝福されながら閉講し、無事に解散することができた.桜といえば、このブログのスタートは昨年の 4 月 7 日で、桜花の写真から始まった.間の空いた時期があったとはいえ、気まぐれで書き始めたものが習慣化してまる 1 年 が経過したことがとても嬉しい.新たな経験であった仕事をまたひとつ終えて、うまい具合に週末満開となった桜をのんびりと楽しみたいところだったが、午後には所用のため下田から東京まで車を走らせた.樹下での花見はできなかったが、沿道の各地で咲き誇る桜たちを存分に楽しむことができた.

2009年4月2日木曜日

ウニ用の鉛筆

 スケッチにケント紙と 2H の鉛筆を使う.実習に参加している子供たちにもそれらを配った.BS リーグ未来の科学者養成講座の小中学生がバフンウニの発生する様子を観察した時のことである.メスとオスのウニから採卵と採精を行って受精させ、卵の細胞が分裂してゆく様子を観察する.その様子をスケッチしてもらっていた.スケッチ用の鉛筆の配り残りを実習用テーブルのひとところに集めて転がしておいたら、誰かが「これはウニのスケッチ用なんですねえ」と言った.見ると 『UNI』 と書いてあった.ああ、なんて下らないギャグだろう.でも、『HITODE』 とか 『NAMAKO』 と書いた鉛筆とセットにして売ったら、売り上げ倍増につながるかもしれない.このアイデアいかがでしょうか、トンボさん.

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