2009年1月31日土曜日

新聞の小説とまんが

 新聞の小説や 4 コマ漫画はとても大切だ.何となく新聞の文字を読むのが億劫な気持ちの時にも、紙面に心を向かわせるきっかけを与えてくれる.漫画はページを開くきっかけになるし、出来の良い時には朝から愉快な気持ちにさせてくれる.連載小説は、新聞の紙面全体の通読に取りかかる準備を促してくれるし、出張などで新聞が溜まってしまった時には、連載小説の筋をたどりながら、新聞のまとめ読みに抵抗なく進むことができる.連載小説が楽しい時は新聞紙面自体を開くことが待ちきれない時もある.間が空いてしまった時には、必死で欠けた日付を探し出して読むこともする.でも、ここのところ購読紙の朝と夕の連載小説が、両方とも私の肌に合わない感じで、とても悲しい.ちょっと我慢の日々が続いている.そんな気持ちを慰めてくれているのは、伊豆新聞に毎日掲載されている秋竜山氏の『そうずら君』である.秋竜山氏の絵がとても好きで、週刊朝日にむかし連載されていた『すってんころりん』も気に入っていた.『そうずら君』は静岡出身の作者が伊豆への愛を込めて描いている作品で、からすシリーズ、カニと魚シリーズ、ご近所歩きのシリーズ、夫婦の会話シリーズなどなど、定番の脱力コメディーがゆるりゆるりと間をおいて廻ってくる.この漫画の単行本が出るのを楽しみにしていたのだが、ひょっとしてと思って、ネット検索してみたら、既に2巻まで発刊されて、廃刊になっていた.とてもショックだった.なんとか古書店を探してみたい.これからは、気に入ったものを切り抜いて集めておくのが良いのかもしれない.

2009年1月30日金曜日

息子のインフルエンザ

 下田小学校ではインフルエンザ A 型が猛威をふるい、学級閉鎖が相次いだ.うちの上の息子は、1 ヶ月ばかり前「インフルエンザって、どんなものだか一度経験してみたいな」などと言っていたのだが、先日小学校から昼休みに電話があり、体調を崩して保健室で寝ているので連れ帰ってほしいと言われ、たまたま女房が出かけていたので、私が迎えに出かけた.ふだんは休む間もなく飛び回っている元気者が青白くしおれて、自宅に戻るとすぐに布団に潜り込んだ.翌日、女房が病院に連れて行ったところ、やはりインフルエンザで、学級閉鎖もあって、1 週間以上自宅休養することになった.本人はだいぶ苦しい思いをしたようで、「どんなものだかよく分かったから、もうインフルエンザにはかかりたくない」としみじみ語っていた.

2009年1月29日木曜日

強風がつづく

 ここ数日強風が吹き続けている.よく辺りで見かけるかつぎ漁師の老婦人が「参ったよ.ここんとこ遊んでばっかりいるよ」と愚痴をこぼしていた.この時期は、ナマコ突きの漁が盛んだ.水温はずいぶん下がってきているので、ナマコもかなり姿を現し始めたようだが、海に出られないのではお話しにならない.来月に入ると、ワカメの刈り取り作業も行うようになる.私もワカメの定期採集に出かけなければならない.デスクワークや出張の合間にフィールドに出るため、予定していた日に海に出られないとうまく順延できないことも多くて、悲しくなる.フィールド調査の日が、少しでも穏やかな日になってくれることを、祈りたい.

2009年1月28日水曜日

メガネの破損

 夜寝る時に、外したメガネを枕元の敷き布団の縁の下側に押し込んでおいた.どういう加減か、早朝に枕元を通過していった女房が、これを踏みつけたらしい.目覚めて手にしたメガネの右側のガラスが割れていた.私の頭は襖ギリギリにあるので、襖を開けて中から何かを取り出そうとして、私の頭と襖の間の細い危険エリアを通過したものらしい.想定外の出来事であり、不覚であった.メガネのレンズは落ちてはいないが、レンズを縦断するひびが 2 本入っていて、まともな視界を得られなくなっている.仕方が無いのでオフィスまでは割れメガネをかけて出かけ、オフィスの引き出しから 10 年くらい前まで使っていた度数のほぼ同じメガネを取り出してかけた.装着や視界に大きな違和感は無かった.割れたメガネは横に細長い四角がかった楕円形でメタルフレームである.ここ 10 年くらいの主流の形である.これに対して、古い方のメガネは、やはりメタルフレームだが、レンズの面積が新メガネの倍ほどある円形に近い.これも作った当初は流行の形であった.さて、古いメガネをかけて人と会ってみると、皆が変だと言う.似合わないと言う.作った当初は確かに似合うと言われていた.これは、皆が古いメガネの私の顔を見慣れないためなのだろうか、それとも私の加齢によって顔かたちと昔のメガネがマッチしなくなったのだろうか、それとも、この丸メガネの形自体が現代では時代遅れの形と認識されているのだろうか.新しいメガネを作っても、この細長メガネと丸メガネは両方保存しておいて、10 年くらい経ってから、いずれが似合うかを誰かに問うてみることにしよう.そうすれば答えが出るだろう.そのころ私の眼の度数がどうなっているかについては、あえて考えないことにする.

2009年1月27日火曜日

こずえ見上げて

 ここのところ、毎週筑波に出かけている.先週は曇りと小雨で、日中の明るさがずっと変わらないように思える日が続いたが、今週は抜けるような青空だった.早朝 1 限の講義に向かう時に空を見上げると、キャンパスのあちこちで、空に向かって枝を拡げる大きな木々があった.木の幹から枝が分かれ、その枝がまた枝を発して、先端はどんどん細くなり、青い背景に黒い細密画が描かれたようだ.枝の分岐パターンは規則的なわけではなさそうだ.気ままに分かれたものたちが、細かく細かく空間を埋め尽くして美しい.生き物の系統樹を思い浮かべた.多様性とはこの空間を埋め尽くす美しい細かな枝のように思える.また、人の世界を思い浮かべた.気ままに自由にうごめく人々が、世を継ぎながら少しずつ埋め尽くしてゆく世界は美しいのではないか.自由に動けぬ苦しさ、いらぬ仕切りが個々の振る舞いをむやみに邪魔するしくみがあると、いびつに歪んだ無惨なこずえになるのではないか、そんなことを、とりとめも無く考えた.

2009年1月26日月曜日

ネクイムシ参上

 ワカメを定期的に採集して、コンブノネクイムシの付着状況を調べている.もう何年も繰り返しているこの季節のルーチンだ.今年は 1 月あたりからワカメへの侵入がぼちぼち始まった.19-20 日の大風の時あたりに多くが移動したのではないだろうか.台風や冬の時化や春の嵐は定期的に起こる季節的なイベントなので、この機会を移動に利用している海洋生物は多いのではないかと考えている.でも、なかなか実証でできないことがもどかしい.こちらの研究室でイソバナに住むヨコエビの研究をやっていた K 氏は、イソバナの壊れ具合と台風の襲来時期を関連づけて、嵐の移動への関与の可能性を探っていた.なかなかうまい仕事の進め方だった.誰も手をつけられない厄介なエリアに、研究の宝が眠っているように思う.自信と知恵と根気が試される.

2009年1月25日日曜日

仮面ライダーとの 10 年

 日曜日の朝は子供たちが早く起き出すせいで、一緒に叩き起こされる.なぜ子供たちが早く起きるかといえば、テレビ番組のためである.朝7時からゲームもの、戦隊もの、仮面ライダー、プリキュアシリーズ、チャンネルを変えて、ゲゲゲの鬼太郎と続く.日曜の朝のみ許されるテレビ漬けタイムである.今日から新しい仮面ライダーが始まった.仮面ライダーディケイド (DCD) という.どうやら過去の 9 種類の仮面ライダーに変身できるという不思議なヒーローのようだ.おもちゃ会社の在庫一掃のために登場したのかと思ってしまう私は、汚れたおとなだろうか.なんでも 9 月から始まる新ライダーシリーズまでの中継ぎ番組だと言う噂もある.でも、番組の意図はともかく、画面に次々に現れるいわゆる『平成ライダー』はいずれも懐かしい.ちょうど上の子が初めて仮面ライダーを見始めた頃と時期が重なるからだ.朝食時に子供たちと見るうちに、登場するものたちの名前やおおまかなストーリくらいはフォローしていた.そんなわけで、私の子育て暦と平成仮面ライダーの 10 年(ディケイド)はほとんどぴったり重なっているのだ.ちょうどこの新仮面ライダーあたりで、うちの子たちも仮面ライダーを離れるだろう.私の子育て期間も、ここで一段落となりそうである.

2009年1月24日土曜日

深海ファミリー

 全然形が異なるために別種とされていた異なる 3 科に属する深海魚が、実は同一グループの幼魚時代と雄と雌であったことが判明したそうだ.科のような高次の分類群に分けられていたものが同一種として併合されるとは、驚くべき話である.きっかけは遺伝子解析だったらしい.これによって、成魚の見つからなかったリボンイワシ科、雄しか見つからなかったソコクジラウオ科、雌しか見つからなかったクジラウオ科という異なる 3 科がクジラウオ科ひとつにまとめられることになるという.浅海の魚類であれば、形態情報に生態についての情報を付加することによって形態や色彩の異なる雌雄や幼体を同一種に位置付けることができることも多い.魚類ではないが、私もかつて、別種とされていたワレカラが同種の雄と雌であることを生態調査と飼育実験によって示したことがある.今回のようなユニークなタクサ併合は、生態についての情報を得にくい深海なればこそ生じたものであろう.おそらくは、海の中には別種と分類されて実は同種の動物たちが、まだまだ人知れず暮らしているはずである.なんだか愉快な話ではある.

2009年1月23日金曜日

ビーナスの誕生

 最近絵を描くことが好きになった娘が、私のもっている美術全集の1冊を拡げて眺めていた.ルネサンス絵画あたりの巻だ.通っていた保育園がキリスト教系であったため、宗教画に馴染んでいたためだろうか.あるいは、全集の端の方の巻であるために取り出しやすいせいなのかもしれない.ボッティチェリの『ビーナスの誕生』を見つめて、「変な絵だし、変な女の人だねえ.これは何の絵なの?」と聞くので、「女神のビーナスさんが海の泡から生まれたばかりの様子だよ」と答えた.すると「なんで生まれたばかりなのに、もう大人なの?」と問われた.私は返す言葉を失った.どうして、女神は大人なのだろうか、ビーナスに子供時代はないのだろうか、と私の方が考え込んでしまった.

2009年1月22日木曜日

四苦八苦

 出版社の編集者の方から絵本原稿についていろいろとアドバイスを頂いた.どうしても私は科学者頭から抜けきれない.自分の伝えたい内容が先走ってしまって、子供が見えていないことに、改めて気がついた.自然観察教室の時などにも言えることなのだが、本当に子供の目線で、子供のために何かを伝えようとすることは、難しい.体のどこかに潜んでいる私の中の子供の心を呼び起こして、相談するしかなさそうだ.文章や絵に『語らせる』ことの大切さを説かれた.よく語る作文を、行なってみたい.

2009年1月21日水曜日

演説よみました

 昨夜、オバマ新大統領の就任演説をリアルタイムで聞こうと思っていたのだが、疲れていたせいもあって、睡魔に負けて眠ってしまった.ようやく、今日の夕刊で演説全文の和訳を読んだ.アメリカ初の黒人大統領の就任で、ヒーロー登場のようなムードがある.それに、演説上手で知られている人だから、劇的な短い演説になるのだと思っていたら、ちょっと違っていた.現状直面している問題を丁寧に取り上げて、それらに対処すべき国民としての心構えをとくとくと説く感じの、学校の校長先生の訓示に近いイメージのものであった.ここは、手際よく格好の良い、短くて名文のちりばめられた演説を残せば、後々の歴史にも残るし、いろいろなテキストにも取り上げられるはずである.そのことは本人にも分かっていたはずだ.あえてそうせずに、現実的な演説を行ったことに対して、好感が持てた.既に自らが浮かれていてよい状況にはなく、明日にも仕事に取りかかって、経済やら対外関係やら社会福祉やらの山積した問題に挑んでゆかねばならないという、そんな自覚を表現しているように思えた.この時期に、かの国に姿を現した彼に期待したい.

2009年1月20日火曜日

焼きそばパン

 昼食時にゆっくり食事をとっている余裕のない時にはパンを買う.午前 10 時を過ぎると学類講義室のある建物の書籍部の脇のスペースでパンの販売が始まる.下の階には焼きたてパン屋の常設店舗があるが、単価が高くて節約を旨とする我ら貧乏教員向けではない.それに、店員の声がハイテンションに賑やかなのもなんだか落ち着かない.2 階のパン屋は昼食時をはさむ時間帯のみに現れる.棚の上に袋入りのサンドイッチやら菓子パンやらをずらずらっと並べて、商品がほぼ売り切れたら撤収する.講義からオフィスに戻る途中の場所にあることも好都合なので、たいていここでパンを2-3個買う.30 年以上昔に実家の近所にあったパン屋のパンのような素朴な味わいだ.私が買いに出かける時間が遅くなければ、ここにはたいてい焼きそばパンも置かれている.私も 2 回に 1 回くらいは買う.焼きそばパンというのは、ティーンエイジャーのパンであるような気がする.中学生や高校生が、学校の購買部の周りや商店街のパン屋の店先で焼きそばパンを買い求めて頬張る姿は、なんだかサマになると思う.いま筑波に来る折に時々食べてみて、そんなに優れて美味しいものではないと思うけれど、ただ、食感とかソースの味わいとか紅ショウガの途中参戦とかの織りなす奇妙な味わいに、何だかよく分からない幸福感がある.あんぱんや焼きそばパンは、日本人の編み出した創作パンだろう.焼きそばパンが青春の味であれば、あんぱんから私が抱くイメージはサラリーマンだ.仕事の合間や電車の中で、おもむろに袋から取り出したあんぱんを口にくわえながら、新聞を開くイメージだ.自分を投影しているのかもしれない.いつもの 2 階のパン屋には、あんぱんがたいてい 1 個だけしか置いていない.焼きそばパンはゴロゴロと並んでお客を待っている.あんぱんは、やはりここでは場違いなのかもしれない.

2009年1月19日月曜日

座禅でリフレッシュ

 日曜日の午前中に下田市内の寺で開かれた座禅会に参加した.かなり仕事が忙しく、時間の惜しい状況だったのだが、既に何回も顔を出している女房の強い勧めで出かけてみた.粘っこい想念が体の内側のあちこちに貼り付いた状態になっているここのところの日常を、座禅でリフレッシュすれば、かえって仕事もはかどるのではないかとも思った.まず、読経を行い、そして約 30 分間の座禅体験をして、それから本堂の拭き掃除を行い、さいごに、お茶を飲みながら参加者が歓談した.座禅の最中に、何を考えてよいのか分からない状態からだんだんと何も考えない状態に移行してポカーンとしてゆく過程がなんだか面白く、少々心地良くもあった.間違いなく、確かに良いリフレッシュになって、戻ってきてからすぐに仕事に取りかかることができた.出かけていた分の時間を取り戻すこともできた.充実である.

2009年1月18日日曜日

ナマコの食事

 ナマコの不思議な食事風景を見た.自宅の玄関に、いろいろな生き物を入れては眺めている小型の水槽があって、今はその中に大きさ 20 cm くらいのマナマコが入っている.食用に貰ったのだが、すぐには食べなかったので水槽に入れたまま、ペットになってしまったものだ.眺めていると、赤みを帯びた体が蛍光灯の光を浴びながら動く様子がけっこう美しい.触手を広げてかなり活発に動き回る姿も面白い.でも、多少とも長く飼うためには餌をやらねばならない.ナマコにやるべき餌とは何だろうかと考えた.ナマコは海底にいて砂泥底の表面の有機物を飲み込んで食べているというのが、私たちにとっての一般常識だ.水槽内の砂底には有機物が少ないだろうからそれを供給してやろうと考えて、周りを見回すと、金魚の餌があった.金魚すくいで買ってきた金魚に、ほんのしばらく与えていた顆粒状の餌が残っていたのだ.まあ、水底に沈めば、これも有機物の餌になるだろうと思って、水槽内にざらざらと放り込んだ.ところが、これが水に浮くタイプの餌で、全く沈む気配がない.水面に列を作ったまま、プカプカと浮いていた.でも、慌てることもない.そのうちに沈むだろうと放ったまま、まる 1 日経った.仕事から帰って、ひょいと水槽をのぞいてびっくりした.ナマコが水面で金魚のエサを食べているのである.口が前面のガラスに張り付いた状態だったので、触手を上手に使って、水面に並んだ粒状の餌を端から順番に丁寧に口の中に送り込んでゆく様子が、とてもよく見える.海底を這い回るものだと思っていたナマコが、水面まで上ってきてエサを食べていること、餌が金魚の餌であること、とても巧みに餌を口に取り込むこと、それらのいずれにも驚いた.金魚の餌が最適な餌だとは思えないが、少なくとも好んで食べようとする餌であることは分かった.この餌でしばらくナマコ君を飼い続けてみたいと思う.

2009年1月17日土曜日

コード進行のこと

 コード進行のことが気になって仕方がない.コードというのは、要するに和音のことである.曲のメロディーのバックで奏でられる和音の繋がりがコード進行だ.絵の背景みたいなものだ.ジャズのアドリブ演奏の時には、コード進行をなぞりながら演奏するのが、伝統的な方法である.コードの構成音とその周辺の音を使って瞬時に即興演奏をするのだから、大変なお勉強と練習が必要になる.実際には『リフ』と呼ばれる先人たちの使ってきたコードに沿うフレーズがいろいろあって、それを覚えてつなげて演奏することもあるらしいのだが、それとても、途方もなく大変なお勉強が必要である.いつの日かバンドの中でハーモニカでジャズ演奏をすることを夢見ている私だが、そもそもコードが何であるのかを 30 歳をとうに過ぎるまで知らなかったのだから、厄介である.今は曲に併せて、とりあえずコード構成音を吹いて合わせる練習を時々やっている.でも、さすがに『研究第一』なので、アドリブの世界にうまく向かってゆけるか否かは、衰えゆく頭と確保できる隙間時間の活かし方にかかっている.まあ、ヘンテコな夢でも余分に抱えている喜びというのは、あると思う.

2009年1月16日金曜日

冬の潜水

 下田では、冬のいちばん寒い時期の海でも、なんとかウェットスーツで潜ることができる.だから周年ドライスーツを使うことがない.ウェットスーツは厚さ 6.5 mm のものだ.今頃から 2 月にかけてがいちばん寒い時期になる.船外機付きの船を浜に寄せてもらい、ダイビング器材や調査用具を積み込む.そのとき、寄せる波が足を洗う.マリンブーツの隙間からしみ込む水の冷たさに驚き、本当にこんな水に全身を浸すのかと、毎度思ってしまう.船を調査地点に停めてもらい、準備を終えると、スキューバ装備を装着した体を後から海面に落とす.間もなく、こめかみあたりから頭がぎゅーっと締め付けられるように辛くなる.悪さをした孫悟空の気持ちが分かる感じがする.耐え難い感じになる頃に、嘘のように頭も体も楽になって、体に感じていた冷たさもぐっと和らぐ.それからは、素晴らしい冬の海を楽しむことができる.春や夏にはなかなかに得難い透明度がある.海水が澄んだガラスに変わってしまったかに感じることもある.若々しくて美しい海藻たちが笑っている.何ともいえない清潔感と静寂感がある.動物たちが、大人しくうずくまっているせいもあるのだろう.小一時間の海藻の計測が終わる頃には、ウェットスーツ越しにも海水がひんやり感じられるようになって、手足の指先が冷たくなってくる.寒さの不快を感じる前に、冬の海の青みを体に刻んで、陸に上がる.私は水が好きだ.体に水が触れるのが好きだ.だから、まだまだウェットスーツで潜る.

2009年1月15日木曜日

六曜なるほど

 六曜というものが気になった.カレンダーで順番をたどってみると、基本的には先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の順で並んでいるのだけれど、なんだか時々並びの順序が違っていることがある.どうも気持ちが悪いので、調べてみたら、不思議なルールで決められていることが分かった.この 6 種類を旧暦の毎月初めの日に順番にひとつずつ割り振って、そこをスタートに 6 種類を繰り返し並べているのだ.ずらずら並べていって、翌月の旧暦 1 日の前の日(晦日)まで続ける.だから、旧暦の晦日と 1 日のところでは、並び順が乱れるのだ.旧暦の 1・7 月は先勝スタート、2・8 月は友引スタート、3・9 月は先負スタート、4・10 月は仏滅スタート、5・11 月は大安スタート、6・12 月は赤口スタートとなるわけである.疑問が解決して、すっきりした.ちょっと考えてみたら、六曜がカレンダーに書いてあれば、潮を知ることができることに気がついた.六曜の順番の乱れているところが、旧暦の 1 日であるから、そこはほぼ新月である.そこから 15 日目が満月だ.いずれも大潮だ.1 日目からの 15 日で 1 サイクルの潮の順番は、大大中中中中小小小長若中中大大である.それにしても、こんなふうに機械的に割り振られた六曜で縁起をかつぐのもなんだか不思議な話である.いっそ、優劣のない呼称の配列にしてやれば、神経を使って慶弔行事の日程を決める必要もなくなるし、結婚式場なども仕事の集中が起きなくなって、楽になるのではないか、などと仕様もないことを考えてしまった.

2009年1月14日水曜日

自転車こわい

 筑波大学のキャンパスは広い.だから、学生達のほとんどが自転車で移動する.教員にも自転車移動の人たちが多いようだ.朝の通学時間、夕方の帰宅時間、授業と授業の間の休み時間での教室間の移動時などは、自転車の河ができる.穏やかな流れではなくて、激流だ.下田から毎度出かけてゆくために、自転車を所持できず、いつも重い仕事鞄を提げて、オフィスと教室と宿舎の間をヨッチラヨッチラ駆け回っている身には、この自転車の河がとても恐ろしい.自転車の河は渡るタイミングが難しい.道路の向こうに行こうにも、信号もないし横断歩道もないから、流れの切れ目を見切ってゆくしかないのだが、抜きつ抜かれつしながら流れる河は、なかなか途切れることがない.こちらは命がけで漕ぎだして、濁流にのまれそうになる.流れの中を泳いでゆくのも危ない.流れに逆らってゆく時は、相手を見てうまく避けることができるのだが、流れと同方向の場合が案外に怖い、どんなふうに誰がうしろに迫って来ているかが分からない.いきなり肩越しにビューンビューンと自転車が飛び出してくる感じになる.こちらは、自転車がぶつからぬように、イレギュラーな動きをしないよう努めるしかない.自衛策は、なるべく階段のあるルートをとること、そして学生の移動時間を外して移動すること、それに、自分も自転車を獲得することだ.落語の『まんじゅう怖い』によれば、まんじゅうがこわいこわいと言っているとまんじゅうを貰えるらしいから、私も自転車がこわいこわいと言ってたら、誰かが自転車をくれるだろうか.

2009年1月13日火曜日

くるりくるりと

 東京駅でホームに上りの新幹線が入線して来て、それが折り返し下り列車になる場合、10 分くらいの短い時間のあいだに車内清掃が行われる.どこからともなく現れたピンク色のおばさんたちが統率のとれた無駄のない動きで、車両に乗り込んでゆく.大変にテキパキしていて、とても格好良いと思う.待つだけの時間なので、窓の外から清掃の様子を拝見していた.車両内に入った人たちは 1 車両 2 名くらいの担当で、まずシートの向きを全部反対にしてゆく.進行方向が逆になるのだから、やむを得ないことだろう.ものすごい勢いで、シートを順々にくるりくるりと回してゆく.なにかコツがあるのか、いとも簡単に向きを変えてゆく.その作業をやりながら、あるいは場合によっては座席の向きを変えてから、シートにかかった頭当てのカバーを取り替えていった.そして、座席シートの上と下の掃除だ.シートの上は、扇のような不思議な形の特別なほうきで掃いてゆく.シートの下は座席間隔にちょうど合わせたトンボを使って掃いてゆく.いずれの作業もものすごいスピードで進んでいった.なんだか、ちょっとしたショーを見ているような気分だった.あのおばさんたちは、家に帰ったらどんな掃除をしているのだろう.いつもの癖で猛スピードの掃除をしているのか、それとも反動でのんびり掃除に徹するのか、ちょっと知りたくなった.

2009年1月12日月曜日

ホームの下

 東京駅で新幹線の向かい側のホームをなんとなく見ていたら、ホームの下を台車を押して行き交う人々の姿がちらちら見えた.ホームの下に業務用の通路があるらしい.ホームの下というのは、落っこちたら危ない、奈落の底のようなイメージがあったから、そこを人が行き来しているのは、何だか不思議に思えた.地底人の世界を垣間みたような、そんな気がした.

2009年1月11日日曜日

ハーモニカおじさん

 ジャズの黄金時代を華々しく飾ったジャズジャイアンツ達が年毎に姿を消してゆく.超技巧で流麗なピアノトリオが素晴らしかったオスカー・ピーターソンが亡くなって 1 年ちょっとが過ぎた.そして昨年も押しつまってから、新聞の訃報欄に『オープンセサミ』のフレディ・ハバードが亡くなったとの知らせがあった.だんだん寂しくなってゆく.1995 年に三島にソニー・ロリンズが来たことがあって、出かけていった私は、ゾウさんの鼻のようにサキソフォンを振り回してブイブイご機嫌サウンドを吹きまくるステージに感動した.いまは、もう 78 歳くらいのはずだが、どうか頑張ってほしい.もっと高齢のジャズのハーモニカおじさん、トゥーツ・シールマンスはもう 86 歳のはずだ.私は彼の演奏の生音をまだ聞いたことがない.せっかく同じ時代に生まれていて、聞けないのはとても口惜しい.どうか元気でハーモニカを吹き続けて、私がコンサートに行ける機会を作ってほしい.

2009年1月10日土曜日

ハーモニカと楽典

 ハーモニカをいじり始めるまで、楽譜も読めなかったし楽典などというものの存在も知らなかった.ドレミというのは、リコーダやハーモニカで出る同じ音であると信じていたから、キーなどというものは理解を超えた存在だった.まずブルースハープを始めた時に、驚いた.メジャーとかマイナーとかいう種類があるうえにどうして 種類も A だの B だのがあるのかが全く分からなかった.困り果てて、ピアノを教えていたことがある女房に楽譜の読み方の本を買ってもらって読み始めた.30 歳をずいぶん過ぎてからのことだったのだが、衝撃は大きかった.楽典の本の中は、眼からウロコ的な事項に満ちていた.ドレミというのがいくつもある音階のひとつに過ぎず、等間隔でないある決まった音の配列(全全半全全全半)を指すのだということを知った時が最もショックだった.ドレミはいろいろな音から始められるのだということ、だからこそキーというものがあるのだということを初めて知った.何より、音楽理論が理路整然としていて数学的なイメージが強いことに驚いた.クロマチックハーモニカを始めた時に、それらの知識は、たいへんに役に立った.今に至っても、まだまだ覚えられないこともたくさんあるし、ハーモニカだってまだへたくそだ.頭で分かっても音では分からないこと、聞き分けられないことだらけだ.でも、音の世界というのがこういうものであることを、知ることができたということは、大きな財産だと思う.人生の中で、大きな得をした感じなのである.ハーモニカに感謝感謝である.

2009年1月9日金曜日

ピノキオさん

 ここ数日にわたって NHK BS-2 で『ターザン』『ピーターパン』『ピノキオ』『ハイジ』といった題名の映画がぞろぞろ並んでいたので、ディズニー映画かしらんと思って我が家の子供たちのために予約録画の設定をしておいた.「内容なんぞたかがしれとるわい」と思って、私本人はまるで見る気なんぞなかった.ところが、帰宅した子供たちが夕食前に再生して釘付けになっていた『ピノキオ』をちらっと見てびっくりした.何だ、これは、実写ではないか.しかも、何ともいえない不思議な雰囲気が画面全体に立ちこめていて、話運びのテンポも絶妙なのだ.素晴らしい映画だ.ピノキオは木の人形が CG で出てくると思ったら、最初から人間だし、オジサンだった.どこかで見たことのあるオジサンだ.でも、見ているうちに、人間のオジサンが操り人形の子供に見えてきた.すごい演技力だ.あのヘンテコな体の動きはどこかで見たことがあると思って考えたら、思い出した.えらく強烈なイメージの残っている『ライフ・イズ・ビューティフル』に出てきた健気なお父さんだった.あのお父さんには、最後まで頑張った坊やが本当に最後に戦車をゲットしたことを、心から教えてあげたかった.お母さんにも会えたことを教えてあげたかった.だから、このフラッシュメモリあたまでも覚えていたのだ.気になってネットで調べたら、ロベルト・ベニーニという有名な俳優さんで、『ピノキオ』では監督と脚本も担当していた.昔はよく映画を見たのに、最近遠ざかっていた間に世界ではいろいろな映画たちが羽ばたいていたのだなと、ちょっと垣間みて感心してしまった.将来、運良く長生きできたら、たくさんの映画を、時代を遡りながら観賞してみたいものだ.そういえば、子供たちが見ていた『ハイジ』も実写だったようだ.あれは一体どこの映画だろう.いやいや、これ以上深入りするのは、今は止めておこう.

2009年1月8日木曜日

水仙が香る

 家に通じる上り階段の両側は林になっていて、灌木やら雑草やらが茂っている.階段は 40 段ばかりあって、かなり急だ.うちの子供達にはここを転げ落ちたものもある.10 段ごとに踊り場がついていたおかげで、大事に至らずに助かった.夜になって家に上ってゆく時には、灯りが十分には届かないこともあって、闇に眼が慣れるまで注意を怠らぬ必要がある.今日の夕方、夕食のために一度家に帰った時に、暗くて細い階段をそろそろ上っていった時のことである.中くらいのところでふと強く水仙の香りがした.そういえば、階段の両脇には水仙の群生がちらほらあったはずだ.冬の水仙はここいらでは見慣れているせいもあって、ふだんは注意も払わないし、昼間は香りに気付いたこともなかった.暗い中で、階段の途中あたりで眼も闇に慣れて、視覚の緊張が解けた時に、嗅覚が強く働いたのかもしれない.あるいは、そよ吹く横風が香りを運んでくれたのかもしれない.あすは明るい時間にどんな水仙が香っていたのか、確かめてみよう.

2009年1月7日水曜日

寄生者による支配

 寄生というと、寄生者は自分の潜り込んだ寄主の挙動に『あなた任せ』で従うしかないようなイメージがあると思う.寄生者への依存度を高めたために体の構造の特殊化や退化などの変化が生じている場合には、なおさらそんなふうに見えるだろう.しかし、実際には寄生者が寄主の行動のコントロールを行うことがあるらしい.ヨコエビで知られている例では、ヨコエビを中間宿主とする寄生虫が次の寄主である魚に乗り移りたい時に、ヨコエビが魚に食べられやすいように、ヨコエビの行動を変化させるという.ふだん昼間は物陰に潜んでいるヨコエビが、明るい岩の上に堂々と姿を現すようになるというわけだ.同様の例はカタツムリでも知られているはずだ.そんな話を昨年末の筑波での講義でもちょっとしたばかりだったのだが、つい先日、これに関係のある面白いニュースが届いた.細胞内小器官のミトコンドリアや葉緑体は、進化の過程で細胞に取り込まれたバクテリアや藻類が細胞の一部と化した共生者だということが定説になっている.潜り込んだものたちは細胞内に住まわせてもらっているのだから、家主である細胞の支配を受けているものだろうと考えられていたが、どうもそうとばかりは言えないらしい.ある藻類について調べたところ、細胞内小器官である葉緑体が細胞の核遺伝子に働きかけて、その発現に影響を与えている場合があるらしいことが発見されたという.良く働くやつだと思って住まわせておいたら、実はあれこれ口うるさい居候だったということが、細胞レベルでもあるのかもしれない.

2009年1月6日火曜日

まだ起動せず

 研究室の学生たちが午前中に自分たちの採集のための潜水作業に出かけた.ニューギニア地震による津波の影響の濁りなどがあるかもしれないと思っていたが、そんなことはなく、透明度はかなり高かったらしい.でも、寒かったようだ.私の方は、まだ仕事が本格起動していない.今日は、賀状のアドレス整理やメール返信などのデスクワークがメインの1日だった.明後日から、やっと私の冬のフィールド作業が始まる.明日からその準備にかかるので、そうすると今年の研究が起動することになる.シーズンの最初にフィールドに出るのは、いまだに何だかドキドキするし、気候や作業ルーチンに慣れるのにも少々時間がかかる.採集の主対象となるのがワカメで、最初は小さいので、採集もサンプルの計測や処理も楽だ.そのことは幸いではあるのだが、仕事はワカメの急生長と共にだんだんきつくなるのだ.忍者は跳躍の訓練をする時に、麻の種をまいて、生長の早いその苗の上を毎日飛び越すという.この話が嘘か本当かは知らないが、私の『修行』は、これからリアルに始まりとなる.

2009年1月5日月曜日

始めの仕事

 今年最初の仕事は、大学事務に求められての社会貢献活動のリスト化だった.昨年末から求められていたのだが、明日が締め切りだったのだ.2005 年度以降のものを挙げねばならないので、ダイアリーを繰りながら調べていった.2008 年度までの 4 年間に拾い上げられたものは、臨海実習や公開講座、研究室の学生のみが参画したものを除くと、52 件だった.平均化することにあまり意味はないけれど、平均すると 1 ヶ月に 1 回くらいになる.最近、送電に発電が間に合わなくなっている気がして、自分を薄っぺらに感じることが多々ある.今年は少し腰を据えて、充電と発電のための勉強時間と研究に費やす時間を増やしたい.それに加えて、子供たち対象に電圧の高い送電を行える活動機会を増やせたら嬉しい.この辺りが、私の新年の抱負となりそうだ.

2009年1月4日日曜日

わすれた!

 3 日夜に下田に戻ってきて、本日は新年に向けての諸々の準備の日とする.取り置きの新聞をまとめ読みしたり、旧年から新年へのダイアリー引き継ぎを行ったり、それに受け取り年賀状の整理である.そう思って、自宅のデスクに向かい、積み上げた本の上をひょいと見たら、ひと束の年賀状がある.印刷ミスしたものだろうと思って手に取ったら、何と未投函の年賀状だった.子供達に年賀状の裏面を描かせて、両面がプリンタ印刷の親の年賀状と別にしておいたのをすっかり忘れて、東京へ出かける準備のドタバタの中で、親の年賀状のみ郵便局で投函して出かけてしまったのである.新年早々に発覚した年越しの大ドジである.子供たちよ、ごめんなさい.そして、予定受取人の子供たちや先生方、ごめんなさい.1 月 4 日投函になってしまったのは、私のせいです.

2009年1月3日土曜日

驚異の食玩

 保育園の息子と街に出かけたところ、マーケットの菓子コーナーに並んでいたロボットの食玩をねだられた.日曜日の朝にテレビでやっている戦隊ヒーロー番組に出てくるロボットのミニチュアプラモデルだ.300 円くらいだったので親バカの父親は買ってやった.ひと箱分は独立した乗り物になるのだが、それを変形して 4 つ組み合わせると、大きなロボットになるのだ.要するに、最初の一つを買った時点で、あとの 3 個を買わざるを得ない仕掛けになっている.このタイプの食玩は、今は小学校高学年の上の息子が保育園の時代にも既にあったのだが、実にすばらしいプラモデルなのである.一番初めに買わされて持ち帰った時は、値段から推して大したことはないだろうと高を括っていた.ところが箱を開けて組み立て始めてびっくりした.細部にわたるまでテレビのロボットをよく再現していて、パーツには、番組イメージに近い色付けがしてあり、色付けできないところには微小なシールを貼るようになっている.驚くべきは、一切接着剤を使わなくても済むはめ込み式になっていることだ.しかも合体変形ができるように各部が可動になっている.シリーズによって 4 つから 6 つくらいを買い集めてロボットに組み上げることになるのだが、買い集めてロボットに組み上げてみると、これがかなり大きい.私のほうが虜になってしまった.私が小学校低学年ころのプラモデルといえば、プラスチックの成型時に型から外した時にできる『バリ』と呼ばれるプラスチックの薄い板が接合面にはみ出しているのが常だった.プラモデル作りの時には、まずそれを削り取って、接合面がうまくかみ合うようにやすりがけで調整してから、接着剤を付けて、それからパーツを組み合わせた.接合面はきっちりとかみ合うわけではなかったので、押さえておかないとはがれてしまうため、輪ゴムで縛るなどして放置する時間が必要だった.色も高級なもの以外は単色であるのが常で、色はすべて自分たちで工夫して塗らなければならなかった.現在のプラモデルは、まるで私たちが子供のころに「こんなプラモがあればよいなと夢に描いていたもののようである.そこまで考えて、ようやく気がついた.保育園から小学校低学年対象のテレビ番組のプラモデルがこんなに複雑であってよいはずはない.これは親が組み立てることを、おそらくはプラモデル作りが好きでこんなプラモデルの登場を夢見ていた親たちが『進んで喜んで』組み立てることを前提としているに違いない.おそらくは企画者か制作者も私たちと同年代の人々なのだろう.この正月に買わされた食玩プラモデルは、かつて私にそんなプラモデルを作ってもらって喜んでいた上の息子に組み立ててもらった.私はなんだか嬉しかった.でも、秘かな楽しみを奪われて、ちょっと寂しかったりもした.

2009年1月2日金曜日

アメ横に豚とスッポン

 生まれてから成人後まもなくまで長く東京にいた私なのに、アメ横に出かけた記憶がない.新年に新しいことをしてみたかったので、家族連れでアメ横に出かけた.40 歳くらいの年齢幅の一団がごそごそ歩いて、上野駅の公園口から人ごみに揉まれながら御徒町を目指した.アメ横は、新春にふさわしい活気に満ち、足は疲れたけれど、沢山のエネルギーを貰うことができた.線路沿いの大通りから細い通路に入ると、さらにそこから分岐する通路があったり、上層や地下に通じる道があったりして、まことに複雑怪奇に店舗が分布している.良い品物を見つけても、次回来たときに同じ場所に来ることは難しそうだ.怪しげな通路分岐をもぐっていったら、アジア食材の専門店街があって、独特の匂いの中で中国人や韓国人の店員たちが客とやり取りしていた.なかに豚のいろいろのパーツを売る店があって、豚足や耳はもちろん顔も並べてあった.豚の頭が皮だけペッタンコになっているので、絵本に出てくる豚の顔のようで不気味にファニーである.うちの子供たちはその不気味さにずいぶんと魅了されていた.脇にはスッポンとノコギリガザミを売っている店があって、スッポンは 100 g が 500 円だと書いてある.動いている活けスッポンを見た息子たちが、500 円ならお年玉で買えるから下田につれて帰りたいという.面倒くさい理屈を言うのは面倒くさかったので、スッポンは噛み付いて怖いからやめるようにと伝えた.御徒町を過ぎて、歩いて秋葉原に向かう途中に、自然石専門店があって、我が家族は完全にトラップされてしまった.下の息子がグラム売りのアメジストの小さな塊を買い、女房は安いけれど素敵な石を見つけて、チェーンをつけて買っていた.アクセサリー店で買うよりも安い気がした.私はラピスラズリの塊が欲しかった.開運できるし元気も出るらしい.でも、開運してからでないと買えそうにない価格だったので、あきらめた.本日の私の唯一の買い物は、750 円だけれど素晴らしくリッチな感じのヒラメのタイピンであった.

2009年1月1日木曜日

初詣に猿

 大晦日の深夜に地元の氏神様に参る習慣が数年前まではあった.しかし、夜中の寒い時間に参拝の行列に並ぶほどの根性が失せて、数十年にわたるその習慣はついえた.元旦にゆっくり起き出して、午後から地元の氏神様に続いて池上本門時に参拝に出かけた.70 歳くらいの年齢幅の一団がのそのそ歩く速度は遅く、人ごみの中では、はぐれやすくもある.今年は例年よりもかなり人出が多い気がした.不景気だと参拝客が多くなるとの通説があるから、今は不況であるに違いない.96 段の階段を登って大堂内にまで何とかたどり着くと、まるで満員電車の中である.案の定我がファミリーの 2 名がはぐれて行方不明になったが、猿回しをやっているところになんとなく皆集まってきて、すぐに再会できた.おそらく我らは猿回しを好む家系なのだろう.前回同じ場所で見た猿回しは若い男性がやっていた.今回は可愛らしい若い女性が演じていた.猿と女性との掛け合いが素晴らしくて、見ていて気持ちの良くなるショーだった.そんなわけで、前回はご祝儀無しだったけれど、今年は猿回しの女性に惹かれて、前のほうの列にいた子供たちにご祝儀を託して、女性の持ちまわる籠に投げ入れてもらった.このような場合、まことに女性は得なのである.女性といえば、正月に着物を着た女性を見ることは、きわめて稀になった.30 年ばかり前には私の父は日本橋の呉服問屋に勤めていた.そのため、当時は、初詣の参拝の往復経路の中で、父が着物を着る女性の参拝客数をカウントして、その年の景況を占っていた.しかし、やがて、モニタリングのデータが 2 桁に達しなくなるようになると父の仕事先は立ち行かなくなり、モニタリングは不要となって、カウントの習慣は無くなった.久々に私が今年試みてみたところ、往復おおよそ 1 時間の行程の中で見かけた着物姿の女性は 1 名のみだった.彼女の着ているのは、ずいぶんサイケでへんてこりんなパステルカラーの柄の着物で、奇妙に丈が短かった.残念ながら、ふつうの着物美女に会いたいという、新年最初の望みはかなわなかった.

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