2009年12月17日木曜日

逆三角めがけて

 熱海から東京に向かうこだまに乗った時のこと、N700 系の車両内でトイレに行った.新幹線には男子の小用トイレがあって、大昔の電話ボックスのような窓がついている.仕事鞄を抱えながらなんとか扉を開いて狭い空間に体を押し込め、小用便器に向けての放水を始めようとした.そのとき、便器内部の壁面にマークがあるのが目に留まった.小さな逆三角形が縦に 3 つ並んでいる.なるほどこれをめがけて撃てば、もっとも跳ね返りが少なく、掃除も楽なのであろう.そこで、思いっきり逆三角形を狙い撃ちした.ちょっとしたことではあるけれど,なかなか良い考えだなと考案者を褒めたくなった.

2009年12月15日火曜日

7階の窓から

 3 学期は講義のために下田から筑波に通っている.1 限の講義は朝 8 時 40 分からなので、下田から出かけて筑波に前夜泊する. 7 時半にはつくばキャンパスのオフィスに出かけて、講義内容の最終チェックなど準備を行う.冬の早朝のキャンパスはとにかく寒い.下田暮らしに慣れた身には肌に痛い寒さで、手袋とマフラー無しには我慢ができない.人気がないガランとしたキャンパスはよけいに寒々しい.苦行のようなそんな朝だが、空気は澄んでいて明るい.おかげでささやかな楽しみがある.我々が共用するセンタ−教員のオフィスは 7 階にあり,部屋の幅いっぱいの大きな窓が北西方向に開いている.良く晴れた冬の早朝には,ここから富士山が見えるのだ.窓の左の縁ぎりぎりくらい、ちょうど真西の方向に真っ白な三角形が小さく浮かんでいる.右手の真北の方角には大きな筑波山の双峰がそびえている.でも、早朝の壮観が楽しめる時間は短い.1 限の授業が終わって戻ってくる頃には、たいてい富士は姿を隠してしまっている.

2009年12月7日月曜日

フードの水たまり

 私のウェットスーツの上着にはフードがついている.生地厚 6.5 mm の冬用両面スキン(表裏の両面が布張りでなくゴム生地)であるため、かなりゴワゴワしている.脱ぎ着は大変に困難で、手首の部分とフードのついている首の部分がとくに細くなっているために、脱ぐ時には裏返ったゴム生地に囲まれて、洞穴のような場所からなかなか抜け出せなくなる.閉所恐怖症の方には耐え難いだろう.力まかせに引っ張ればよさそうなものだが、両面スキンのスーツは裂けやすいので、むやみに力をかけることはできない.しばらく暗いトンネルの中で四苦八苦するのが潜水調査時のルーチンになっている.海から戻って脱いだあと,真水での水洗を終えたウェットスーツはハンガーにかけて干す.表面がゴムのウェットスーツは撥水性が良くて、乾きやすい.半日もすればよく乾いてくる.ゴムは直射日光に長時間さらすと良くないはずなので、いつも早めに取り込む.ところが、表面がすっかり乾いているのを確認してハンガーからウェットスーツを外そうとしたとたん、服や顔にバシャッと水がかかる.ハンガーにかけた状態のフードは上向きになっているために水が溜まりやすいし、蒸発しにくいのである.困ったことに、いつもこの事実を忘れてしまい、何度でも同じことを繰り返す.先日、このウェットスーツを干したまま出張に出たことがあり、1 日はさんで帰ってきた時にまだスーツがぶら下がっていた.乾いているのを確認して取り込もうとしたところ、大量の水を浴びてズボンがビショ濡れになった.どうも、留守中にかなりの量の雨が降ったらしく、ほぼ私の頭の容積に近い量の水を浴びた.さすがに懲りた.次こそは、きっと失敗しない.

2009年12月6日日曜日

金ちゃんヌードルの音

 我が家では滅多にカップラーメンを購入しない。先日マックスバリュに出かけた時に『金ちゃんヌードル』が 88 円の特価になっているのを見て,なんだか無性に食べたくなった。ひとり分だけ買って帰ると子供たちにずるいと騒がれるので,家族 5 人分を買って帰った。まあ,だいたいこういう成り行きになるから結果的に割高になって,ゴミが多く出ることもあって我が家庭においては敬遠されるのである。そのような訳で,ようよう買って帰れば,珍しいので子供は喜ぶが,女房には嫌な顔をされる。でも,まあ若干は家事の省略を助けることはできるのだからと説得して,結局日曜の昼食時に食することになった。子供たちはずいぶんと昼食時間を楽しみにして,なんだかちょっとしたイベント気分であった。待ち遠しいイベントは始まるまでが楽しいので,始まってしまえば終わるのも早い。『金ちゃんヌードル旨味カレー』の麺も具もほとんど食べ上げて,スープが容器の高さの5分の1くらいの水位になったとき,縁を持って,円を描くように容器の底を振ってみた。スープに隠れた具がないかをチェックするつもりだった。すると,ジャラジャラと音がした。何か硬い粒が底に残っていたかと調べたが,見当たらない。何度振っても音がする。金ちゃんヌードルはプラスチック容器が2重になっていて,内容器はギザギザになっている。熱さを外容器にじかに伝えない工夫だろう。どうも粘度の高いカレースープがこのギザギザにぶつかる時に音を出すらしい。試しに,スープをほぼ等量の水道水に入れ替えて再び振ってみると,音は格段に小さくなった。その後,女房と子供たちの容器のスープの水位が下がるのを待って,順々に振らせて頂き,日曜の昼下がりをジャラジャラ音で楽しんだ。

2009年12月4日金曜日

朝トロール

 大浦湾の朝は湾口から陽が射す.沖を望むと海面がキラキラと銀色に輝いて,まぶしく美しい.快晴の今朝は陽光がことさらに奇麗だった.朝 8 時半から定員 7 人の『あかね』に 4 人で乗り込み,Ta さんの月次トロール採集を手伝った.Ta さんは記録と採集サンプルの処理,操船が Ts さん,Sa さんと私が網の操作だ.船尾からトロール網を広げながら流し,あらかじめ決めておいた距離を曳航する.いちど網が海底に届いてしまえば,網上げまではすることがない.パリッとした青空の下で朝の若々しい光に包まれて,浜を通う新鮮な空気と世間話を楽しんだ.網を入れ,網を上げ,収穫物を容器に移す.2 地点でこのルーチンを繰り返したあと,船は舳先を陸に向けた. 1 時間弱の朝のひと仕事が終わった.

2009年12月3日木曜日

はしゃぐシッタカ

 伊豆の近辺では,磯で獲れる円錐形の巻貝を総称して『シッタカ』と呼ぶ.殻の径に対して丈が高いことから,尻高という名を語源にすると聞いている.でも,殻高のウニが『コシダカ』なのに,巻貝だと『シリダカ』なのは不思議だ.シッタカのなかでも最も美味とされるのがバテイラである.このバテイラの牧場づくりに取り組んでいる.牧場というのは,牧草を育成してそれを植食動物に食わせる場所であり,人には利用できない食物を栄養段階ひとつ経ることによって利用可能にする場所だ.ところが『海洋牧場』という言葉を耳にすることがあっても,実際に植食動物の牧場であるものは不思議と見当たらない.一般に海洋牧場というとなぜか大きな生け簀の中で大型魚類を畜養する場所がイメージされる.我々が目指しているのは,字義通り,植食動物を牧草によって育てる海洋牧場である.植食動物がバテイラ,牧草が褐藻類のカジメである.海中の大型ブロックにカジメを植え込むとカジメはそこで根付いて生長する.そのカジメを巻貝類の移動を阻む柵でブロックごと囲って,カジメを育成しながらそれをバテイラに食わせようとするシステムだ.海藻の生長速度と貝の摂食速度のバランスがうまくとれれば,手間のかからない牧場になるはずである.そうすれば,小さなバテイラを柵内に放り込んで放っておくだけで,やがて粒の揃った大きなバテイラを収穫できるはずだ.夏からの数ヶ月で,貝類移動防止柵のついた巨大ブロックを海底に沈め,カジメを植え込んだ.この『牧場』にいろいろな密度でバテイラを放って,海藻の生長と貝の摂食速度のバランスがとれるポイントを求めたい.そのため,今日の午前中にバテイラを牧場ブロックに放ちに出かけた.全ての個体には識別マークをつけて,数段階の密度となるように数を調えた.網袋にブロック単位でまとめたバテイラを入れて,海中の現場に運んだ.それぞれのブロック上の囲いの中で網袋の口を開き,密度コントロールしたバテイラを一斉に解放した.狭い場所に封じ込められていた貝たちは着底するや腹足と触角を思い切りのばして素早く体を起こして這いはじめた.多数の貝たちがいっせいに生き生きと動き始めた様子は,授業から解放されて休み時間に校庭に飛び出してくる子供達に似て,なんだかはしゃいでいるように見えた.海底で一緒に作業をしていた Y 君はこの研究の担当学生なのだが,海から上がってきて潜水器材の片付けをしている時に,全く同じようなコメントをしていた.貝たちの様子はそれほどに生き生きして見えたのである.これから,ちょくちょく彼らの様子を見に出かけることになる.彼らは牧場で元気に暮らしているだろうか.次の時も元気一杯に我々を迎えてくれるだろうか.

2009年12月2日水曜日

歯間ブラシの快感

 セミナーの打ち上げの時に,誰かが持ってきた粘度の高い海外の食品を口に入れてモグモグやっていたところ,奥歯の詰め物が取れてしまった.歯のトラブルはここ 10 年遡ってみても記憶が無い.仕方なく,本当に久々に歯科の予約を取って,詰め物を入れ直してもらった.ついでなので,歯の健康診断も受けることにした.とくに素晴らしい健康状態でもないが,目立って悪いところはないというような診断が下された.そして,今後歯茎の健康状態を良くするためのひとつの方法として,歯間ブラシの使用法を教えて頂いた.先端が L 字に曲がった全長 10 センチばかりのブラスチックのスティックの先に長さ 10 ミリ余の微細な針金が飛び出していて,それにブラシ状の毛が生えている.いってみれば,ごく微小な試験管ブラシのようなものだ.これをどのように歯列に差し込んでゆくかを習ったのである.歯と歯の間の基部の方にあるわずかな隙間は,前歯でははっきりしている.しかし,奥の歯では,ほぼ歯茎の張り出しに隠されていた.この隙間に順に歯間ブラシを貫通させてゆくのである.こんなところに隙間があったのかと驚くような場所にブラシが潜り込んでゆく様子を,ミラーで観察させて頂いた.なんだか自分の体のなかの秘境探検のようだ.探検隊がすんなりトンネルを通過できる場所がある一方で,かなり痛覚を刺激される部位もあって,そんな場所では歯間ブラシが血まみれになる.しかし,担当の歯科医師さんによれば,数回繰り返すうちに歯茎が引き締まって出血は止まるとのことだった.数日続けてみたところ,はたしてその通りで,出血の止まったところはブラシ挿入の痛みもなくなった.そうなってみると,この歯間ブラシというものはずいぶんと気持ちがよいのである.慣れてみると体のツボを押されているようなそんな快感をともなってくるのだ.ひととおりブラシを差し込み終わると,歯列が眼を覚ます感じがする.電動歯ブラシに続いて,今年は歯のケアのために気持ちの良いことを,もう1つ覚えてしまったようだ.

2009年11月17日火曜日

インフルの日々

 11 月に入って少しばかり気が緩んだせいなのか,誰かが放り投げた新型インフルエンザのウイルスをしっかりと受けとめてしまった.医者にかかって陽性反応に太鼓判をいただき,1 週間の自宅蟄居となった.2 泊 3 日でやってきた高熱と頭痛と下痢に苦しんだあとは,わりに穏やかなものだった.朝晩タミフルを服用しながら,自宅でも家族とは部屋を分けて仕事を行い,本を読み,新聞を読み,ラジオを聞いた.小学校がやはりインフルエンザで学校閉鎖になったため,幸い元気なうちの子供たちも私の蟄居後半からは一緒に家に居ることになった.しかし,何しろ父の部屋にはインフルエンザが居るということで,みながマスクをして,私の部屋に入ってくることはなかった.食事は女房が毎回部屋に運んでくれたので,大変に丁重に扱われているような案配だった.おかげで,いつになく静かに作業や考えごとを行うことができた.ひとりぼっちではなく,家族は一緒に居て,でも私の邪魔をしない.そのうえ,絶えず気遣ってくれる.なんだか理想的なシチュエーションにおかれた.そんな日々も今日で終わりである.明日は外気に触れることができる.嬉しい.でも,この得難く静かな持ち時間から離れることは,ちょっとだけ惜しい.

2009年11月6日金曜日

踊る月と花火

 10 月 31 日に下田から船をチャーターして日帰りで式根島に出かけた.定期船では 1 泊しないと式根島でなにがしかの活動を行って帰ってくるのは難しい.しかし,社会人の集まりである伊豆海洋自然塾のグループでは,みなが日程を合わせて 1 泊してくるのはかなり困難だ.そこで,スノーケリングのスキルアップツアーとして漁船チャーターによる日帰り行となったのである.天気はとても良かった.雲は少なく空は晴れていた.しかし,風が強く波の高い日に当たってしまったため,往路復路とも 2 時間余の船旅は揺れに揺れた.メンバー 10 余名のほとんどは船室に横になり,私を含む 3-4 人が幌のついた後甲板に居た.少々潮のしぶきを浴びても外の空気を感じていたかった.体を起こしていることをすぐに諦めて,ゴザと毛布を敷いた甲板に横になった.そして,アップダウンしながら前後左右に傾く船底に体を密着させていた.幸い船酔いすることはなかったが,往路は本当に何も面白いことがなかった.ひたすら我慢しているだけだった.その日,皆でワイワイと楽しく 2 つのポイントでスノーケリングをして,生物観察を行って,帰途についたのは夕方だった.午後 4 時頃に式根島を発した船は夕暮れの迫り始めた海を突っ走り,下田目指して再び大波の中に突っ込んでいった.私は再び往路と同じ場所に横になり,暮れゆく空の様子を眺めながら,船底に張り付いて揺さぶられていた.空の色は刻々と変わっていった.思いついて携帯していた小型ラジオのスイッチを入れて耳にイヤフォンをねじ込んだら,とてもきれいに音楽放送が入った.美しい夕焼けが黒ずむと星が見えはじめて,やがて満月が現れた.船の揺れに合わせて視野の中を満月が全方向にダンスする.音楽に合わせて踊り狂う.ときどきは視野の中から飛び出して,またしばらくすると戻ってくる.がつんがつんと揺れている船の上で,細かい潮の飛沫も絶えずかかってきたが,気持ちはどんどん静まって,澄んだ世界の中に浮かびはじめた.何ともいえずに気持ちがよかった.月の踊りが始まってしばらくして,船は下田港内に入ったらしく,船の揺れがおさまった.我にかえって,荷物を取りまとめて下船準備を始めた.船は岸壁に近づきはじめたので,外を眺めていた.すると,突然,沖の方から花火が上がった.私たちの着岸を祝うかのようなタイミングで上がった大きな花火だった.度肝を抜かれつつも,むやみに嬉しかった.ちょうど大きな花火大会が始まったところに,私たちは戻って来たのだった.さっさと上陸して荷物を揚げると,皆で花火の観賞を続けた.花火大会の終わりが私たちのツアーの解散の合図となった.

2009年11月5日木曜日

小芋たち

 女房の実家の九州から,ときどき野菜が送られてくる.義父母が丹精込めて育てた作物たちで,大きさも形も不揃いだが,いつも美味しい.何年か前にサツマイモがどっさりと送られてきた時に,大きさが 10 センチに満たないような小芋がたくさん混ざっていた.他の芋とまとめてそれらの小芋もふかしてもらったところ,ちょっと手を伸ばして食べるのに大変具合がよかった.包丁で切る必要もない.ほとんど一口か二口で食べられるし,薄い皮は剥かなくても気にならない.小芋ばかりまとめて菓子鉢に持っておくと,大変によいおやつになる.女房に聞いてみると,小芋は作り手にとっては出来損ないだそうだ.でも,私が気に入った旨をお義母さんに伝えておいてほしいと頼んでおいた.すると,翌年からは『くず芋』と呼ばれるそれら小芋たちをまとめて送ってくれるようになった.今年も小芋たちが届いて,さっそくかわいらしい焼き芋とふかし芋ができあがった.

2009年10月28日水曜日

スベスベワレカラの辞典掲載

 新種を作ったことがある.大学院時代に発見した種名の分からないワレカラをよく調べたところ,過去に未記載の種であることが分かり,新種としての論文記載を行って発表したのである.ヒドロ虫類の茂みに棲んでいるワレカラだったのだが,体の表面に毛が少なくて光沢があったので,ラテン語辞典を調べて『毛の少ない』という意味の『glaber』という言葉を使うこととした.これをそのワレカラの属名である Caprella に合わせて語尾変化させて Caprella glabra とし,和名は『スベスベワレカラ』とした.それからもうすぐ 20 年近くが経とうとしている.ここのところ新種記載など分類学の仕事からは遠ざかっているが,まだまだ興味が萎えたわけではない.つい先日『動物学ラテン語辞典』という本が新しく発売されたのを聞いて,すぐに学会割引価格で購入した.これまで Jaeger's の 『A Source Book of Biological Names and Terms』という古くから知られた英語とラテン語の本はあったが,これに相当する日本語とラテン語の本が発刊されたのは画期的なことなのだ.届いたばかりの本をパラパラとめくって,知った語をいろいろ引いてみては楽しんでいた.ふと『glaber』を引いてみて,びっくりした.用例として挙げられていたのは Caprella glabra だったのだ.スベスベワレカラという和名も掲載されていた.私のワレカラはいつの間にか辞典に収まっていたのである.嬉しい発見だった.

2009年10月22日木曜日

ベントスを聞かれた

 プランクトンとベントスの研究者が集う学会の年次大会が函館で開催されて,ベントス研究者である私も出かけてきた.会期中は函館駅近くのホテルに泊まった.古くからあった観光ホテルを無理矢理ビジネスホテルに改造したような,新旧和洋がないまぜの不思議な風情のホテルだった.部屋は狭かったがとくに不快なこともなく,朝食はけっこう美味しかった.チェックインした日に外出から帰って,鍵を預けようとフロントマンに挨拶したところ「プランクトンというのは分かりますが,ベントスとは何のことですか?」と尋ねられた.私たちは学会から格安パックツアーで申し込んでいたため,学会に関する情報がホテルにも届いていたのだろう.私は水生生物の生活型による区分けを 2 分ばかりのミニ講義で理解してもらい,ベントスとは底生生物であることを伝えた.翌朝,出掛けにホテルの玄関脇にある『*** 御一行様』と書かれた黒い掲示板に眼をやると『プランクトン・ペントス学会御一行様』と書かれていた.私はすぐにフロントに取って返して『ぺ』を『べ』に書き換えてもらった.

2009年10月19日月曜日

つくり笑い

 学会の年次大会の開催される北海道に向かうため,羽田空港で学生達と落ち合った.思いのほか皆が早く集まったので出発ロビーで自由時間をつくり,学生たちは空港内の売店などに散り,私は荷物番になった.空港の最下フロアの売店で買っておいた安いおにぎりセット弁当をささっと腹に納めたあと,読書しながら合間に辺りを眺めていた.いちばん近くは東京銘菓を名乗る菓子売りの売店で,同じ会社の異なる銘柄の菓子をふたつ並んだそれぞれ屋台のような構造の店舗で売っていた.向かって左側の屋台担当の売り手は細身の若い男性店員,右側屋台の主は若いがハスキーな発声をしそうな雰囲気の小柄な女性店員だった.男性店員は客が来る時はアルカイックスマイルのような,大きいけれど不思議に引きつった笑いを浮かべて,なんだかうわずった感じの元気で対応していた.客が支払いを終えて遠ざかる途端に我に帰ったように笑みが消える.そして,笑い皺をのばすように顔を動かしている.しばらく見ていたら,客が来る度に幾度となくそれが繰り返されるので,なんだか可笑しくて本に目が戻せなくなってしまった.反して,右の女性は滑らかだった.スイスイと水鳥が静かに水面を動いてゆくようだ.接客の度に自然な笑みが浮かんでは,それがスッと弱まって次の客を迎える.2人の違いが経験の多寡によるのか,仕事に対する興味の違いに起因するのか,本当のところは分からない.でも,左の男性には「ごくろうさん,頑張って」と声をかけたくなってしまった.彼の店でなにがしか買ってあげようか,でも荷物から離れるわけにはゆかないな,などと逡巡するうちに,学生達が戻って来たので,荷物をまとめて搭乗手続きに向かった.

2009年10月10日土曜日

磯歩きダイエット

 今年も臨海実習の折りに磯に出かけることが多かった.磯に到着すると干潮時をはさんで動植物の観察や採集をしながら 2 時間以上歩き回る.出かけている間は,転ばぬように滑らぬようにといった緊張もあってかそんなに疲れを感じないのだが,帰って来たとたんに体内に蓄積されていた疲労が急速に浮上してくる.平坦な道を歩いていたのとは明らかに疲れ方が違う.不規則なでこぼこを滑らぬように踏みしめて歩いたり,潮だまりを跨ぐために小さく飛び跳ねたりすることを,ほとんど無意識に近い状態で繰り返しているからだろう.最近磯に出かける時によく『磯がま』という道具を持って行く.先端に金属の鎌状フックがついている長さ一間ばかりの木の棒で,もともとは手の届かない場所の海藻を拾ったり巻き取って採集したりするための道具だ.これを片手に持って磯に出ると,けっこう歩きやすくて重宝する.ちょっと幅の広い水路を飛び越えたり,高さのあるところを飛び降りたりする時など,いろいろに役に立つ.腰への負担も軽減されることだろう.この磯歩きという活動はけっこうなカロリー消費を伴いそうだから,『磯歩きダイエット』などというものが流行ってもよさそうである.肘や膝にプロテクターを着けた老若男女が手にはオシャレなステッキを持って磯を飛び跳ねている様子を想像して,可笑しいような楽しいような心持ちになった.

2009年10月5日月曜日

海の底に漂う

 筑波大学からはいろいろな広報誌が発行されている.年報や新聞の他に速報性のあるものや先生方のエッセイ的なものを掲載するものもある.
http://www.tsukuba.ac.jp/public/index.html
そんななかに学生生活課による『TSUKUBA STUDENTS』というのがあって 1 年間に 9 号と数回の特集号を出している.名前の通り学生生活に関わるトピックについての記事や学生または先生方からの寄稿を中心に構成されている.先日筑波に出かけた時に,昼食をとりに出かけた学食の出口付近のラックにあった最新号を手にしてみた.近づく学園祭『双峰祭』に関連した記事と別に,体育関係の先生が「筑波に居るなら日常に運動をしなければもったいない」といった内容の文章を載せていた.そこには「空気のきれいな筑波キャンパスは日々のジョギングに向いている」という紹介の一方で「プールも近くにあって利用しやすいからぜひ利用すべきだ」と書かれていて,加えて興味深いコメントがあった.プールでの負荷の軽い長距離水泳は『完全な孤独に浸れる時間』であるというものだ.雑音からは遮断され,交通など危険の心配もない.同じコースをぐるぐると泳ぎ回っている限り,他者に干渉されることもない.外界との関わりを完全に断ってもつことのできる自分だけの思考時間になるという.私も同様な感覚をもつことがある.それは,スキューバ潜水で海底の一ヶ所に留まって海藻の計測を行っている時のことだ.一連の計測ルーチンを進めている時に,ふと計測作業の手を止め,海中に向けて顔を上げると,プールでの水泳時よりももっと研ぎすまされた感覚になる.筋肉を動かしている意識がなく体重もあまり感じないから,意識だけが水中にあるように感じられるのだ.体は海に溶けて,意識だけがクラゲのように海中を漂ってゆく.でも,すぐに我に帰って物指しとノギスの数値を読み始める.

2009年10月4日日曜日

ムラサキウニのハートマーク

 ウニの観察会が開かれた.前日に採集した小型のムラサキウニを各人に『マイ・ウニ』として配り,各々大事に観察してもらった.小さなカップにたっぷりと海水を満たしてウニを沈めて,ななめ上から光を当てて実体顕微鏡で観察する.上側にある肛門,下側にある口をよくよく眺めてみる.あちこちで歓声が上がった.いろいろな印象が口からこぼれる.「ウニって,なんて美しいのだろう」,「いろいろな道具が備わっていて,弁慶みたいだ」,「なんだか吸い込まれそうで,宇宙みたいだ」などなど.やがて,「背中に可愛いハートマークがついてます」というコメントがあった.そんなふうに意識して見たことがなかったのだが,確かにウニの肛門の脇にきれいなハートマークが浮き出している.表面には細かな穴がたくさん開いているのが分かる.これは多孔板だ.穿孔板とも呼ぶ.大きなウニだとこんなに目立たないが,マイ・ウニたちの殻が小さい故にいっそう目立つ.ハート形だといちど言われると,他の形には見えなくなってくる.この場所はウニの体内への水の取り入れ口だ.ウニはここから取り入れた水の水圧で管足や叉棘を動かし,運動すると言われている.すなわちウニは水圧を利用して運動するのだ.同じ棘皮動物の仲間であるヒトデもナマコも然りである.筋肉をせっせと動かして暮らしている私たちから見ると,何とも不可思議な生きものたちである.マイ・ウニにはお昼までそれぞれの人間パートナーと付き合って頂き,昼には採集してきたバケツに戻って頂いた.そして,翌日午後にはもといた海に帰って頂いた.潮だまりの真ん中に放たれた小さなウニたちはせわしなく管足を動かして,岩陰を目指して移動していった.

2009年10月2日金曜日

ウニを手探り

 明日の自然観察会は『ウニ』がテーマだ.ふつうウニの実習というと発生観察が主だが,明日の実習では外部形態の観察をじっくりと行う.誰にでもなんとなくウニについての既成のイメージがあるようなのだが,実のところそのイメージははっきりとした形をもったものでも正確なものでもないことが多いようだ.実習では,まずは管足の存在に気付いてもらい,次に口と肛門の位置を調べて,その形状を実体顕微鏡で観察する.そして叉棘や骨片の観察へと進んでゆく.もちろん放卵と放精の実験も少しだけ行う.数個体解剖して,顎の構造なども調べてみる予定だ.顕微鏡を駆使して観察することにより,ウニが本当のところはどんな生き物なのか,その具体的なイメージづくりを目指したい.さて,その観察会に用いるウニを採集するために,午前の干潮時前に磯に出かけた.探すのは小さなウニだ.実体顕微鏡下での観察には,小さなウニの方が便利なのである.抱卵放精実験に使う大型のウニは既に採集してあった.ところが雨が降っていたため,潮だまりの水面を雨粒が叩いて水の中を覗きにくい.干潮時刻にさしかかっていたので,グズグズしていると潮が上がり始めてしまう.そこで,手探りで探すことを思いついた.潮だまりの内側に向かって張り出した岩の裏をそっと指先で探ってゆくのである.磯には危険な生物なども居ると言われているから,誰にでも勧められる方法ではない.でも,これはかなり有効だった.覗きこむことのできない岩の裏を用心深く探ってゆくと,ウニと巻貝の存在を確認することができる.根気よく繰り返すうちに,ムラサキウニとバフンウニを探り当てることができるようになった.そして,殻の丸みの違いからバフンウニとコシダカウニを区別することもできるようになった.おかげで,かなり効率よく3 種の小型ウニを採集することができた.よく考えてみると,ふつう磯採集の時に使う感覚は限られている.海藻採集で現場同定を行う時には,嗅覚や触覚を使うこともある.しかし,動物採集のときはほとんどは視覚に頼っている.次の磯採集の時には,視覚以外の感覚も駆使して臨んでみることにしよう.

2009年9月29日火曜日

研ぎ澄ます

 NHK の日曜美術館で犬塚勉の特集をやっているのを見つけて,画家の自然へ向き合う姿勢の真剣さに心奪われながら,うちのおんぼろテレビの小さな画面に釘付けになっていた.そこに台所で食器の片付けを終わった女房が通りかかって「えっ,股間を磨ぐって,いったい何の番組?」と私の世界に割って入った.その時は,画家が山登りをきっかけに1980 年あたりから画風を変え,自然の草たちを緻密に画面に描き込むようになり『五感を研ぎ澄まして,自然を描きとろうとした』というようなことをナレーションが言っていたのである.あまり普段からつまらぬ冗談など言わぬ人が,どうしたことか,とぼけて冗談で言っているのだと思った.でも,あえて解説したところ,全くの真面目な聞き間違いであったことが分かって,奇妙な勘違いに2人で大爆笑した.私の体の中に入りかけていた画家の世界は,たちまちくるくる回りながら居間の空気のなかに飛び出して,どこかへ消えてしまった.

2009年9月25日金曜日

フジツボの足にまねかれた

 海の生き物について「こんな本があれば良いな」と思うような本が実際に出版された時,小躍りするくらい嬉しくなると同時に,同業者としては「ああやられたな」という気持ちがわずかに胸の中に浮き上がる.近頃出た本の中でそんなふうに感じたのが,岩波科学ライブラリーシリーズの 1 冊として発刊された『フジツボ:魅惑の足まねき』である.思い切り遊びの要素が詰まっている.ページのすみにパラパラ漫画があったり巻末にフジツボのペーパークラフトが付されていたりする.文章はウィットに富んでいて,読んで楽しい.知名度の低い生きものを一般社会に紹介しようとするのは随分と難しい.科学的な正確さを保ったままで柔らかく紹介することがなかなかできない.でも,この本はそれに成功していると思った.楽しく,美しく,科学的である.「ああ,私もこんな本を作ってみたいなあ」と思っていたから,国際甲殻類学会の閉会式の会場でフジツボ研究グループの H 氏にそんな話をして「いい本だねえ」などと嘆息していたら,「著者がすぐ後ろに居ますよ」と言われ,びっくりした.振り返ると著者の K さんが笑っていた.どうもフジツボの足にまねかれたらしい.

2009年9月24日木曜日

別刷りの献辞

 東京海洋大学で開催された国際甲殻類学会の東京大会はたいそうな熱気に包まれていた.世界各国から集まった研究者たちが其処此処で固まりあって話し合う姿が見られ,私たちもそんな輪の中に入って楽しい時を過ごした.研究材料を同じくするいわば同好の士が集うと話も尽きない.関連分野の研究のレベルを客観的に知ることができたり,国内外の人の考え方を学ぶことができたり,いろいろな意味に於いて,研究に対してのモチベーションを高めるのには良い機会となった.そんな会場の片隅に『別刷りの持ち寄りコーナー』というのが設けられていた.不要な論文別刷りを互いに持ち寄って一所にまとめて陳列し,空き時間に眺めて,気に入ったものがあったら,厚さに関わらず 1 部 100 円で買い取ることができる.収入は大会運営に活かされる.そこで,思わぬ拾い物があった.仕事柄,ヨコエビ類やワレカラ類に関する論文を漁っていたのだが,10 部ばかり購入してから休憩室でよく見たところ,献辞の付いたものがあった.献辞というのは,論文を出版してその別刷りを関連分野の研究者に送る際に,別刷りの上部に記す表書きである.日本では『謹呈***様』と書くが,英語の場合,相手の名前を先に書いて,『With the compliments of ***』などと,一言添えたりする.私の買った北欧産ワレカラの記載論文の別刷りに付いていた献辞は,デンマークの K. Stephensen からアメリカの W. L. Schmitt に 1931 年に送られたことを示すものだった.『Dr. Waldo L. Schmitt, with kind regards from K. St.』と記されていた.これは,間違いなく K. Stephensen による直筆であろう.ヨコエビやワレカラの新種記載を数多く行ってきた著名な研究者の直筆サインを入手できたのだから,ジャズジャイアントであるソニー・ロリンズのサインをもらったのよりも嬉しいくらいだ.宛先である W.L.Schmitt は十脚甲殻類の研究者で,1965 年にミシガン大学出版から一般向けに出版された "Crustaceans" という本の著者でもある.デンマークの端脚類研究者からアメリカの十脚類研究者に,どんな思いが込められて論文が送られたのだろうか.2人の間には常からはどんなやり取りがあったのだろうか.どんな経路でこの別刷りはこうして私のもとにやって来たのだろうか.献辞を見ていると,想像が膨らむ.この学会では眼に見えぬ多くの宝物を得ることができたと感じていたが,この別刷りは今回の学会で得た唯一有形の宝物である.

2009年8月30日日曜日

海ホテルを発見

 ウミホタルの観察会をやっていているうちに『海ホテル』という妙な言葉が生まれてきた.ウミホタルに引っかけた言葉で、捕獲したウミホタルを観察会に出動させるまでの間に蓄養しておく場所のことを指していて、それはすなわち我々の臨海実験センターの海水流しのことである.ウミホタルを網目の細かいざるに入れ、流海水に浸して生かしておく.臨海実験センターでは 24 時間海水をポンプで汲み上げていつでも蛇口から使えるようにしているため、かけ流しで海水を供給することができるのだ.ここにウミホタルたちがふつう 1 -2 泊することになるため、なんとなく『海ホテル』と呼ぶようになった.海ホテルはウミホタルの宿所であって、その所在地はここだけだと思っていたのだが、つい先日、人間宿泊用施設の『海ホテル』を見つけた.国道 135 号線を熱海方面から下っていって、宇佐美の海岸に出る直前、下り坂から橋を渡る手前の信号で止まった時に左手を見上げると『海ホテル』という大きな看板が目に入る.略称なのか、あるいは看板の一部分が見えたのかなどの可能性も考えて、宇佐美周辺のホテルを調べてみたら、みごとに正式名称が『海ホテル』だった.自分たちのこさえた架空のヒーローがいきなり現実世界に現れたようで、なんだか、むやみに嬉しくなった.

2009年8月17日月曜日

コシダカウニは美しい

 ウニは受精やその後の卵発生を観察するのに理想的な生物だ.入手しやすいうえに放卵と放精を誘導しやすい.種類によって産卵期が異なっているために、対象種を変えてゆけば一年中発生の研究ができる点でも重宝されてきた.下田で実施される臨海実習では春期にはバフンウニを使い、夏期にはムラサキウニを使う.これらは個体数も多く扱いやすいのだ.でも、これらのウニの卵黄には少々色が付いていて光の透過性に劣る.卵発生の観察には理想的には無色透明な卵の方がよい.実はそんな卵を持つウニたちがある.私が忘れられないのはタコノマクラである.大学時代にお茶の水大学の館山臨海実験所を借りて行われた実習で、卵の受精から発生を顕微鏡に張り付くように観察していた.受精の折りに精核が卵核に近づいてゆく様子、卵が規則正しく割れてゆく様子を教科書の模式図そのままの状態で眺めることができた.その感動は今でも忘れない.もっとも、卵割の合間時間が長くなると浜に出て野球をやっていた記憶があるので、真面目な学生ではなかったはずだ.確か同時にスカシカシパンの卵発生も観察し、紫の水玉模様が少々邪魔ではあるものの、こちらの卵もとても綺麗だった気がする.残念ながら、下田の沿岸では、タコノマクラやスカシカシパンをコンスタントに大量に入手して実習に使うことは望めない.ところが、今年になって沿岸でコシダカウニの出現頻度が著しく高くなってきた.このウニはタコノマクラに似て濁りのない卵黄を持つため、発生の観察に好適なのである.以前は磯でバフンウニの 1 割以下の頻度で見られたものが、今年になって潮間帯でも潮下帯でもやたらに目にするようになった.私はこのちょっと小ぶりのウニが大好きである.バフンウニに少し似ているが、殻高がはっきりと高く、丸みがあって愛らしい.また、バフンウニの見てくれが個体によって様々で色もなんだかすっきりしないのに対して、コシダカウニの外観は端正である.すっきりとした黒っぽい帯が美しく五方向に伸びて、なんだか気高く見える.棘を取り去った殻の模様や色合いも実に美しい.生時に黒っぽく見えるゾーンは実体顕微鏡で観察すると叉棘の端が青い蛍光を発していて、そんな秘められた美にも魅せられるのである.このままこのウニの大発生が続くと、夏の実習の主役はムラサキウニからコシダカウニに変わってしまうかもしれない.

2009年8月12日水曜日

地震があったらしい

 11 日早朝に地震があった.駿河湾を震源とする震度 5 弱の地震で、かなり揺れたと家族から聞いた.幸い器物の落下や建物の倒壊などはなく、人が怪我をするということも周囲では全くなかった.実をいうと、私は地震のあったことさえ気付かずにいた.たまたま 10 日の夜にスウェーデン研究者たちと研究発表をしながら飲み食いを行うセミナーのような飲み会のようなものをやっていた.始めに少し飲み食いをして、舌の回りがよくなったところでそれぞれの研究内容の紹介発表を行った.そのあとはひたすら飲み食いしての懇親会だった.やがて夜も更けてから、海賊のような大男の研究者とほとんど差しでスウェーデンウォッカの飲み比べを始めたのがいけなかった.ほどなくひっくり返ってしまい、そのまま朝を迎えた.地震のあったのは私が正体不明の間で、目が覚めたら辺りが騒がしかった.地震見舞いの電話に、ぼんやりした頭でいくつも受け答えした.スウェーデン大男の相方はさすがに倒れはしなかったが、やはりひどい二日酔いだったらしく、伊豆急が復旧してしばらくしてから、昼過ぎにゆっくりと下田を発ち、関西に向かった.

2009年8月8日土曜日

飼育ウミホタルの初舞台

 昨年9月から継代飼育していたウミホタルが、ついに舞台デビューを果たした.ここしばらく海が荒れていたために、観察会で使うためのウミホタルの採集確保が困難となって、多くのお客さんたちに観察してもらうためにはどうにも数が少なかった.また、採集してから日数を経ていたせいか、どうも発光にも元気がない.そこで、まず密度を多少とも高くするために発光観察用容器を普段よりもふた廻りくらい小さくした.そして、4 つある容器のうち 1 つを私の養育ウミホタル用に当てたのである.大事に愛情を注いで育ててきて世代交替を重ねた『海を知らないウミホタル』たちである.発光実験の際には電気刺激を行うため、正直なところ心が痛んだ.しかし、ウミホタルの畜養は、天然採取に依存しなくても済むようにすることを究極の目標として始めたものなので、このような時こそ出番なのである.思い切って初舞台に立ってもらった.結果をいえば、海を知らないウミホタルたちは他の容器の天然ウミホタルよりも元気に発光した.また、持ち帰ってもとの水槽に戻してからも目立って死んだ様子がない.見事な初舞台だったといえる.今回の経験で、畜養ウミホタルに舞台に立ってもらう為の自信がついたように思う.何度も舞台に立てるタフで立派なウミホタルをこれから育ててみたい.

2009年8月3日月曜日

ヒヤリハットのクルーザー投錨

 『ヒヤリハット運動』という事故回避のためのポスターを見かけた.ヒヤリとした経験やハッとした経験についての情報を集めて、危険回避の事前策に役立てようというものだ.昨日、カジメ定期計測調査のために潜った時に、研究調査のデータ収集に関わるヒヤリハットがあった.我々が、いつも通り 7 人定員の船外機付きボートで、カジメ調査ブロックの設置されている定点に向かったところ、その直上に大型のクルーザーが停泊していた.ふつうは水深のもっと浅い所に停泊するものなのだが、その見慣れないクルーザーは水深 10 m の我々の調査地点付近に無理やり投錨していた.大人が船から海に飛び込んだり、船の周りで子供を浮き輪で遊ばせたりしていたようで、どうも岸から離れたプライベートビーチ代わりのクルーザー停泊のようだった.後部デッキに出ていた人の話を聞くと、50 m 離れたところに錨を打って停泊しているという.私たちの仕事にとりあえずの障りがなければ、楽しみの邪魔をするのも野暮だと思ったので、直下で潜水作業をしているからエンジンをかけないでほしい旨伝えて、私たちは潜水した.ところが潜水して驚いた.船の錨は我々の藻礁ブロックの端に引っ掛かって止まっていた.錨の鎖とロープは移植カジメの群落直上すれすれを海面に向かって伸びている.底質を確認せずに砂底に投じた錨が、引っかかる場所を得ぬままにずるずると引きずられ、ようやくブロックに引っ掛かって止まったらしい.ブロックの上には私たちが 10 年以上にわたってモニタリングを続けてきたカジメたちが生育している.錨が引きずられる方向がわずかに違っていたら、移植カジメたちはひどい有様でなぎ倒されていたはずだ.直ちに浮上して、錨の件を我々のボートの船上に待機して操船してくれていた T 氏に伝え、T 氏からクルーザーの操船者に伝えてもらって、クルーザーの錨を移動してもらった.夏のほんのひと時にレジャーに訪れたクルーザーがきまぐれに投げ込んだ錨で、十余年におよぶこれまでの苦労がすべて水の泡になってはたまらない.しかも、その場合の破壊者は、自分たちの行った行為に気づかずに去ってゆくことになるはずである.それを考えると、全身の血の気が引いてゆく感じがした.本当にヒヤリとした.10 m という調査水深は台風や人為の影響が及びにくいことを想定して設定されたもので、これまでの 10 年以上の間には、こんな事件は一度もなかったのだ.でも、こんなことがいつでも起こりうるのだということに今回ハッと気づいて、現状の危うさを改めて実感した.残る夏の間、沖合の停泊船に注意したい.そして、海底のカジメたちの安全を心から祈りたい.

2009年8月1日土曜日

網戸のアブラゼミ

 夕食後に保育園に通う下の息子にせがまれて、外灯に集まる虫たちを見に出かける.それはお決まりの夏の行事になっていて、風が強かったり雨がひどかったりしなければ、週に 3, 4 回は懐中電灯と虫かごを携えて出かけてゆく.外灯の位置は自宅から歩いて 1, 2 分のところなのでさして苦ではないのだが、夕食後にひと休みする間もなく出かけるのは単純に億劫である.それでも楽しみはある.目当てのカブトムシやクワガタムシが採集できれば、子供だけでなくこちらまで嬉しくなる.毎年出かけていると、多い年には一晩で 3, 4 頭の獲物を捕らえることができることもあった.ところが、今年はさっぱりである.空振りが多く、コクワガタがぱらぱらと捕れる程度で、カブトムシがほとんどいない.それがためにいつもよりいっそう辺りをよく探すためか、今年は土の上や葉の上をのそのそと歩くセミの幼虫を幾度も捕まえた.虫かごに入れて持ち帰り、屋内の網戸につかまらせておくと、朝方には白いセミが抜け殻の近くにじっとつかまっていて、内側に曲がった翅が次第に開きながら伸びてくる.ピンと張った翅が色づいて、しっかりとした一人前のアブラゼミになったら、そっとつまんで昼の屋外に放ってやる.そんなことが何とはなしに、子供達にとってのルーチン行事になった.まあ、こんな年もあって良いのではないかと、思えてきた.

2009年7月31日金曜日

宝探しのプランクトン実習

 地元高校である県立下田高校の SPP (サイエンス・パートナーシップ・プログラム)の一貫として海洋プランクトンの観察会を行った.午前中のうちに高校生と先生方が研究調査船『つくば』に乗船してプランクトン採集を行い、午後にかけて採集生物の顕微鏡観察に励んだ.低水温のせいもあってかプランクトンの絶対量が少なく、参加学生たちは観察対象を採集瓶の中からピペットで吸いあげるのに苦労していた.ところがこのような時に限って、他の実習で見たことのないような生物が採集される.1 年間に私が担当しているプランクトン実習は SPP を除いても通常 5 回あるので、たいていの生物が見覚えのあるものとなってくる.ところが、それでも全く見たことのない生物に遭遇することが毎年 3-4 回はある.今回の SPP でも不思議な生物が見つかった.丸い傘の脇に袋のようなものがついていて、透明で柔らかなパーツの形が、定まった範囲の中で刻々と変わってゆく.その変化の様子を学生の1人が上手にスケッチしていて、それが何かと問われたのだが、どうもよく分からなかった.諦めかけたが、念のために図鑑に掲載の図や写真を片端から調べてみた.するとプランクトン図鑑の巻末に学生スケッチにそっくりの図が見つかった.フタツクラゲの幼生だと記載されていた.同じ種とは限らずともかなり近い種の幼生であることに間違いないように思われた.ふとした時にこんな発見があって、それが積み重ねられてゆくから、だからプランクトン観察の実習は面白いのである.ちょっとした宝探しなのだ.

2009年7月30日木曜日

みすず飴を楽しむ

 みすず飴が好きだ.『みすず飴』は長野県上田市に在る飯島商店の菓子で、果汁と水飴などを寒天で固めたものだ.もう 10 年以上も前のことだが、長野県出身の学生が帰郷した折りに土産として持ってきてくれたものを、初めて賞味した.『飴』という名前とゼリー状の中身のギャップに当初は驚いたが、なんだかその味と食感の不思議な取り合わせが気に入ってしまった.その後、筑波大の菅平高原実験センターに行くために上田駅で新幹線からバスに乗り換える時などに、駅構内の土産物店で好んで購入するようになった.一度、バスの乗り換え時間がとりわけ長かったときに、周辺散歩がてら上田城まで歩いて行ったことがある.そのときに、城址のある方面に上ってゆく坂道沿いの左手にある飯島商店の前を通った.店の入口あたりから中を覗き込んだだけだったのは、店の造りがずいぶんといかめしくて、なんだか気後れしてしまったためだ.ついに店内には入らなかった.駅の土産物店でみると、みすず飴には小さなサイコロブロック状のものもあるようだ.しかし、やはりあの直方体のものが絶対に良いと思う.紙包みタイプのものもあるが、味の種類を示す果物の名前とワンポイントの絵が付されたレトロな感じの透明セロハン包みが好もしい.口腔内でわりに大きな容積を占めるあの立体を頬張って、舌先でときどき転がしながらできるだけ長くその原形を維持しようとするのだが、やがてガタゴトと崩れてゆく.その過程での舌触りの変化と流れ出してくる味覚を楽しむのである.テーブルの上に幾種類か転がして本を読みながら順番に食べている時に、両手でセロハン包装のつまみのところを左右に引っ張ってすんなり開くものと開かぬものがあることに気付いた.中身を包んでひねるときの方向が両側で揃っているときと反対になっている時があるのだ.包装は機械によらぬ手包みで、それゆえに職人による癖が出るのだろうか、それとも機械包みでもこのようになる理由があるのだろうか.つまらぬことだが真相を知りたくなった.真剣に調べようとすれば、すぐに答えの出ることかもしれないが、なんだかそれではつまらない.しばらくはあれこれと想像してみたい.まずは、同様な傾向が一般的なものなのか、他の飴菓子などでも調べてみよう.

2009年7月29日水曜日

カレンダーからメモ用紙

 つくばキャンパスには遠隔地センタ−教員共用のオフィスがある.遠隔地センタ−とはメインキャンパスから離れた研究教育施設のことで、菅平高原実験センターと下田臨海実験センターを指す.この共用オフィスは試験シーズンなどには利用頻度が高くなり、6 畳ばかりの一部屋で同時に 4 人の教員がデスクワークに勤しむことになる.一方で、訪れる人が疎らになる時期もある.2 つの実験センターが学生実習のラッシュに見舞われる夏休みの頃はどの教員も自分の持ち場での仕事にかかり切りになって、なかなか筑波に出かけられなくなるのだ.昨日、オープンキャンパスで下田センターの宣伝を行うために、下田で実施中の実習を 1 日だけ抜け出して筑波に出かけた.共用オフィスに荷物を置きに出かけると、壁には まだ 5 月のカレンダーがかかっていた.そのまま 7 月ページにすると、カレンダーの 6 月ページはついに人目に触れることなくはぎ取られることになる.なんだか、6 月ページが可哀想な気がした.だから、ほんのしばし 6 月ページの上に刷られた日々を左上から右下まで眺めてやり、紙面に娑婆の空気を味わわせてやった後に 5 月と重ねてはぎ取った.カレンダーからはぎ取ったページは必ずメモ用紙にする.少し固めの紙は折り目をつけると手で割きやすい.ぎゅっぎゅっと折り目をつけて、左半分をしっかりと押さえ、つーっと右手で割く.決してハサミは使わない.境界の直線性がなんだか危ういまま、半分のそのまた半分になりながら枚数が増えてゆくのが愉快なのである.かくて、過ぎた月々のカレンダーページたちは第二の人生を歩み出すことになる.ペン立て横のメモ用紙の束として、出番を待っている.

2009年7月19日日曜日

座禅和讃

 東海大学の沼津キャンパスで毎年 6 月頃に毎週生物学実習を行ってきた.開発工学部医用工学科の学生を対象としたもので、キャンパス移転が予定されているために 5 年目にして今年度が最後となった.実習ではプランクトンの観察、土壌動物の観察、ウニ初期発生の観察などを行っていた.
 下田から熱海経由で沼津キャンパスに向かう際の最寄り駅は東海道線の原駅で、下車してから東海大行きのバスを待つことになる.たいてい 30 分未満の待ち時間だったが、通い始めの頃、いつもの習性で何か面白いものはないかと静かな佇まいの駅前広場をうろついてみた.ひと巡りしたところ、駅トイレの裏手に立っている周辺案内図が眼に留まった.何も特別なものを期待してはいなかったが、その中に白隠禅師の名前が出てきて興味を持った.禅の教えを分かりやすく広めた僧で、駅の近くに縁の寺があるという.それまで白隠禅師について何も知らなかった.富士山に並ぶ駿河の名物であることも知らなかった.自宅に戻ってからどんな人物かを調べ、座禅和讃の存在も知った.でも、それだけのことで、その後白隠禅師と座禅和讃はずっと記憶の片隅に追いやられていた.原駅での乗り換え時間が短かったこともあって、ついに菩提寺である松蔭寺にも行くことがなかった.
 ところが、つい最近、ひょんなことから自分が座禅和讃を朗ずることになった.息子の母親同士のつながりで、女房と子供たちが下田市の泰平寺で月に 1 回日曜の朝に開かれている座禅会に出かけ始め、やがて誘われて出かけたのである.午前 9 時からまず読経する.そして座禅を 30 分ばかり行い、最後に説教があって、あとは参加者の懇話会である. 1 時間半ばかりの静かなひとときだ.その読経の際に、般若心経を読むことは聞かされていたので、生物学者であった柳澤桂子氏による般若心経の解説書『生きて死ぬ智慧』などを読んでいた.ところが、皆で朗ずる経文はひとつだけではでなく、四弘誓願文などと併せて座禅和讃も含まれていたのである.時々ではあっても何度も朗ずるうちに、だんだんと中身が気になってきた.聴いたところからもおおまかには言っているところは分かるような気がするのだが、どうも詳細が分からない.そろそろ解説書をあたってみたい心持ちになっている.書画もいろいろと見たくなってきた.松蔭寺にもいちど訪れてみよう.

2009年7月18日土曜日

味噌汁の下に澄まし汁

 卒研生の初潜水作業に同伴潜水した.沖に出してもらったボートから海中を覗き込むと、ひどく水が濁っている.初潜水には向かない状況なので、あまり透視度が低かったらすぐに潜水を中止するつもりでいた.はじめのうち過呼吸気味でなかなか沈まない A 君に何とか海面下に入ってもらい、水深 10 m のカジメ海底基地付近に向けてゆるゆると移動していった.まるで味噌汁の中にいるようで、鼻先しか見えないし、なんだかむやみに水温が低かった.ところが、やがて深度 6 m を越えたところで、急に視界が開けた.らくに 10 m 以上見渡せる水塊に飛び出した.それと同時に一段と急激に水温が下がった.ダイコンが海水に馴染んだ頃合いに水温を見るとなんと 14.5 ℃ だった.真冬に近い海水温だ.味噌汁の下は冷たい澄まし汁だったのだ.監視がメインの仕事でカメラも持って来なかったので、目的の作業を黙々と続ける A 君を、じっと寒さに耐えつつ、震えながらタイムアップまで見守っていた.

2009年7月15日水曜日

早朝の伊東ダイビング

 ひょんなことから伊東で調査を行うことになった.こんな経緯である.
 伊東のオレンジビーチでは、繁茂していたアマモを大事に維持していた.夏が来ると打ち上げアマモが海水浴客の脚にまとわりつくため、海水浴客の邪魔にならぬようにと海水浴シーズンに入る前に地元ダイバーたちが潜って主に花株部分を刈り取っていた.砂浜の生物多様性維持のためのアマモ存続と海水浴客への配慮をバランスよく行っているということで、テレビでも取り上げられていた.ところが、今年になってアマモ繁茂期の 5-6 月を迎える頃に、アマモがすっかり姿を消してしまったのである.昨年の繁茂期には高さ 2 m に及んだアマモの群落が消えてしまったので、ダイバーたちは驚いた.そして、現況の把握と後に客観的な記録を残せるようにとの期待から、私たちの方に調査協力依頼が来たのである.
 調査を行った 7 月 15 日はビーチが既に海水浴客に開放されていたため、午前 9 時までには撤収するように市からは厳命されていた.集合は朝 6 時で、伊東の各所のダイビングサービスの代表の方々が当日の仕事前に集まって下さり、総勢 12 名のダイバーが 6 本の 50 m ラインに沿って枠調査を行った.全く下見調査なしなので、打合せに念を入れ、一隻のボートでピストン移送しながら、ラインを張るや一気に調査に取りかかり、午前 8 時半には完了.GPS でライン位置を記録して、全てのラインの撤収が完了したのは午前 9 時の 1-2 分前だった.すさまじい勢いとチームワークでプロのダイバーの方々が動き回る様子に感嘆した.終了するや、皆さん大急ぎで自分のショップに戻っていった.お客さんとの待ち合わせ時間ギリギリでウェットスーツを脱ぐ間もない、と大慌てだった.私は午前 4 時過ぎに下田を出たので、たいへんに長い 1 日になった.でも本当にすがすがしい 1 日の始まりだった.さて、結果から言うと、アマモはすっかり消えたわけではなかった.少なくともビーチの一画には残っていたのだ.でもほとんどのエリアで根こそぎ無くなっていた.残存カジメの状況や周辺生物の現況から、何が起こったのかを推理するのが、これからの仕事となる.
 調査の様子は 7 月 23 日午後 6 時 10 分からの時間帯に、NHK 静岡のニュースの時間枠内で放映される予定である..

2009年7月11日土曜日

結果オーライ

 梅雨空をかいくぐって、水圏生態学実習が終わった.からっとした晴れ間こそなかったが、実習中に雨に降り込められることは結局一度もなかった.乗船採集時も 2 回の野外調査時も雲がかかっていたものの雨滴の顔を見ることもなかった.野外に出る時以外にスコールのような雨が降り、いざ出かける時になると薄日すら射してくるという塩梅が続いた.実習のはじめに決めた自由テーマで 2-3 年生 5-6 名で構成された 4 つの班が研究を始める.出かけられるフィールドとスタッフで面倒見られる生物群の範囲が限られているために、実際はフルオーダーではなくてイージーオーダーのような研究テーマだが、それでもテーマ選択の自由度は高い.彼らは班毎にデータ取りと解析を進めて、最終日前日の午後に調査結果の発表会を行う.発表会はスタッフと発表班員以外で内容評価するコンペ式で、得点結果は実習の反省会(打ち上げ会)の席で発表される.今年も熱心にテーマに取り組んで自分たちで先々を考えながら解析や発表準備を進める学生が多く、皆が発表会を楽しむことができた.天候から心配した実習だったが、結果オーライであった.スタッフ一同、参加学生たち、それに梅雨の神様に感謝したい.

2009年7月9日木曜日

ノギスと仲良く

 生態学の臨海実習ではノギスが大活躍する.海水に浸けるために、普通の金属製ノギスではなく、プラスチック製の耐水ノギスを使う.今回の実習では、ヤドカリの殻サイズの計測とカニの甲羅サイズの計測で大活躍した.ノギスの使用などほとんど経験のない学生達、カニにさわったことのない学生達などなどが磯に出かけていって、岩陰にしゃがみ込んでは或るグループはヤドカリを片端から捕まえ、他のグループはカニを追いかけ回しては甲羅を押さえ込んでバケツに放り込む.実験室に連れて帰ると生かして海に返すことができないことが多いため、調査目的をしぼり込んで計測項目をできるだけ減らして、捕まえるはしから現場で計測し、計測後のものは他と混ざらぬようにバケツにストックしておいて、全計測が終わって他に移動する時に一気にリリースしてやる.数百個体の計測を行ううちに学生達はいつの間にかノギス使いに慣れ、最初のうちはカニに度々はさまれて騒いでいた者たちも、やがてカニあしらいに長けてくる.ノギスと仲良くなって、まるで手指の一部のように感じられ始めた頃に、計測は終了となる.

2009年7月7日火曜日

梅雨の実習

 梅雨の真っ最中にフィールド活動が主体の学生実習がスタートした.この実習は私たち下田の海洋生態学研究室にとって 1 年のなかで最も主要な生態学系の臨海実習である.月曜午後にスタートして土曜午前終了で、朝から深夜まで採集や観察、データ解析が続く.担当教員が私ひとりということもあって、当然ながら天候がとても気になる.朝夕しばしば天気情報を見ているが、いまのところ梅雨前線が北寄りで活動してくれているためか、ひどい雨にたたられる状況にはなっていない.下田は伊豆半島の南端ちかくに位置しているため、半島中央部まで雨雲の帯がかかっている時でも、このエリアは晴天になるようなことがしばしば起こる.せっかく筑波のメインキャンパスからやって来てくれている学生達である.良いコンディションで多くを学び、心に残る体験をして帰ってほしい.どうか天気に恵まれたよい実習になってほしいと、梅雨の神様に祈るばかりである.

2009年6月30日火曜日

私はコケギンポ

 先日、伊豆海洋公園 (IOP) で潜水調査を行った.海から上がった後で受付あたりに並べられている海の生きものグッズを眺めていた.キーホルダーやステッカーやぬいぐるみ、フィギュアなど見ていて楽しいし、あれもこれもと欲しくなってしまう.でも、我が家の家計は苦しいのだから、ひたすら我慢である.そこへ IOP スタッフの H さんが次週に新入荷予定のグッズの写真と見本をもってきて見せてくれた.そのなかでとても親近感を覚えるキャラクターがあった.なんだか潜っているときの私にそっくりの顔なのは、コケギンポだった.ぬいぐるみやシールがあるようだ.発売元のホームページも見つけることができた.
http://www.sea-shell-bin.com/SHOP/SR035.html
次回 IOP に潜りに出かける時には、家計に特別予算を組んで、関連グッズを買いあさることにしよう.

2009年6月26日金曜日

かいめんボブ

 うちの子供たちに大人気だった『スポンジボブ』という番組が最終回を迎えた.このアニメの主人公であるボブは体が直方体の海綿で、ふんどしのようなパンツをはいていて、ヒトデを友として海底のパイナップルの家に住んでいる.海の生き物たちは徹底的にデフォルメされていて、ほとんど原形をとどめていないし、ほとんどは荒唐無稽なドタバタ喜劇なのだが、それらのことは措いても海綿が主人公であるということは画期的だと思う.バラバラにされて他の生き物と混ぜられたのちに再び元の形に再生されるシーンなぞもあって、若干は本物の海綿らしいところもある.なんにしても 海の中の海綿という地味な生き物に子供たちが興味を持つきっかけになれば、こんなアニメも素敵だと思う.ただ、日本語タイトルが『スポンジボブ』なので、子供たちは『洗濯用のスポンジ』が主人公だと思っている.洗濯スポンジのもともとのルーツが海綿にあるとはいえ、ここはアニメの題名 を『かいめんボブ』にしてほしかった.私の知る限りで海綿が主人公として出てくる物語はイタリアのアレッサンドロ・ボッファによる『おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ』だけである.この奇妙な物語の中では、主人公であるヴィスコヴィッツがいろいろな動物に転生しながら生きる意味について考えてゆく.その動物の中の一つに海綿があった.こちらのほうが海綿の暮らしをリアルにとらえていて、海綿としての暮らしを実感できる内容だった.岩に張り付いてプランクトンを吸い取って暮らすというのは、陸上の動物には見られないライフスタイルである.日々忙しくタテにヨコに移動して暮らす我々が海綿たちのそんな暮らしに思いを馳せてみれば、世事の見方も少々変わってくるはずである.

2009年6月25日木曜日

映画広告のマイクロ文字

 とてつもなく小さな印刷文字を新聞紙面に見つけた.映画の広告の中に埋め込まれた高校生優待や高齢夫婦割引のコラムの中の文字である.スケール付きのルーペで文字サイズを測ったところ、いちばん小さなものは文字の高さが 0.3 mm に満たない.ひとまわり大きな文字でも 高さ 0.5 mm に満たなくて、既にこのサイズで肉眼での解読はほとんど無理である.高齢夫婦優待はどちらかが 50 歳以上を対象としていたから、老眼だとまず広告コラムの発見からして難しいだろう.最小文字に至ってはほとんど活字がつぶれていて、ルーペで拡大しても判読が難しい.一万円の紙幣に印刷された偽造防止のための文字をルーペで調べてみたところ、一番小さな文字の高さが 0.2 mm ばかりだった.そのサイズにせまる極小の文字が新聞に載っているというのは、不思議である.ここまで小さな文字を載せるのには何か秘められた目的があるのだろうか.

2009年6月24日水曜日

金色リード

 愛用している Hohner のBlues Harp MS (Key: C) の第 2 オクターブの D が下がってしまった.吹きはじめの頃には吹き加減が分からなかったせいもあって良く音が下がっていたものだが、近頃は前ほどはハーモニカのリードに負担をかけることが無くなったためか、リードの皆さんがご機嫌に働いてくれていた.まあ、音下がりも久々のことなので仕方がない.ホイホイ新しいものを買える財布事情でもないので、リードを削って音を調整することにした.分解してリードプレートを取り出すと、なんだかんだ言ってけっこう汚れが溜まっている.こびりついた垢のようなあるいは錆のような汚れをひとわたり削り落として、削りくずを吹き飛ばしたあとで、リード削りに取りかかった.いじるべきリードをよく確かめて、少し浮かせた状態で裏に薄板を挟み込んで固定する.棒ヤスリを使って先端付近を斜め方向にゆるゆると削っては、音を出して効果を確かめてみる.なかなかはかどらなかったが、微妙に少しずつ音が上がっていって、やがて D らしい D になった.気がつくと削ったリードだけが金色に美しく輝いていた.あんまり奇麗だったので、キー調整のご褒美をもらったようで、なんだか嬉しくなってしまった.

外浦アマモ場のこと

 昨年下田市外浦におけるアマモ除去が行なわれてから、まる 1 年が経過した.海水浴の適地として有名なこの砂浜海岸では、10 年前からいきなり生息域を拡大して繁茂したアマモを水産学的に重要と考えて保全するか、観光を重視して海水浴客のために取り除くかというところが論点となり、成り行きが注目された.結局、地元住民の判断は昨年の夏の海水浴シーズン前に全てのアマモを根こそぎ除去するというところに結着した.この経緯についてはいくつかのテレビ番組で取り上げられ、それらの映像を私も筑波大学の環境倫理学概論の講義でも取り上げて論考のための題材としてきた.1 年経って振り返ってみて、それらの番組名などを私もしっかりとは把握していなかったことに気づいたので、改めて調べてみた.
1)TBS 2008 年 6 月 8 日放映 
 番組名:噂の!東京マガジン『海水浴シーズンの問題:海草アマモ大量発生に住民困惑』
2)静岡第一テレビ 2008 年 6 月 11 日放映 
 番組名:静岡◯ごとワイド!News リアルタイム静岡 水曜特集社会部発『アマモ論争に揺れる海岸』
3)NHK 静岡 2008 年 6 月 13 日放映
 番組名:たっぷり静岡きょうの特集『アマモで海の環境を考える』
番組によって取り上げ方が微妙に違っていたのだが、この問題には以下の 2 つの主要素が絡み合っている.
1)アマモ発生の原因が分からない
2)アマモに対する対処の考え方に立場による違いがある
しかし、1が解明されれば2も変わってくる.研究者としての立場からは、アマモ発生の原因究明が先決だと思う.しかし、悠長なことを言っていられないのが地元住民である.私はあくまで地元住民が快適に暮らせる環境が守られることが大切だと思う.それは好適な自然環境の中で豊かに暮らせることで、豊かにというのは自然環境の素晴らしさの享受と共に経済的な豊かさも意味する.したがって、海水浴客誘致のためにアマモを除去することも致し方ないと思う.しかし、除去によって環境悪化が生じるとすれば話は別である.そのような場合には潜水による上部のみの刈り取りの方が有効であったのかもしれない.いずれにしても原因が分からないのだから厄介である.そのような意味では、まず全て除去して様子を見てみようという地元住民の考え方は間違ってはいないと思う.私自身は、アマモ繁茂の原因についてはほぼ以下の4つにしぼられると考えている.
1)人工構造物による海流変化 
2)排水による富栄養化 
3)地球温暖化など大きな環境変化の影響 
4)偶発的進入と一時的な生育環境の適合による群落の定着 
今後、除去による環境悪化の影響が予測されないのは、1、3、4である. 
一方、悪化するなら原因は2であろう.アマモ場の復活があるとすれば、1−3が考えられる.今回全部の除去という結果になったが、今後のモニタリングによってアマモ発生の本当の理由を知ることができるかもしれない.

2009年6月23日火曜日

かがくのともにはさまれて

 7 月から書店の店頭にならぶ福音館『かがくのとも』 8 月号は『しおだまり〜さわってごらん!いそのいきもの』という絵本である.色彩あふれる磯の生き物たちがぞろぞろ出てきて楽しい本だ.『かがくのとも』には毎号こども や父兄向けの『絵本のたのしみ』という小冊子が挟み込んであって、絵本作者のプロフィールや作者から読者へのメッセージが載っている.加えて絵本の内容に関連した小文や、ちょっと 楽しいミニ知識が掲載されたりする.この差し込み小冊子に今号は私の小文と写真 1 枚、絵が 1 枚掲載された.見開き 2 ページの磯観察入門的な内容で、写真は磯観察の道具を撮影したもの、絵は私が締め切りに追われつつ描いたものだ.小さいけれど絵が載ったことが嬉しい.ささやかながら、こっそりと絵本内デビューを果たすことができたのである.

2009年6月22日月曜日

水槽のなかのクモ

 自宅の玄関に置いた 30 センチ水槽には、現在マナマコとイセエビとケブカオウギガニという長期滞在者に加え、先週末に息子がつかまえてきたイワガニとヒライソガニとイソヨコバサミが起居している.3 年以上使っていた外掛け式の小型外部濾過ポンプが 6 月に入ってついにダウンしたため、新しいものと交換した.同時に水槽内もすっかり掃除したため、水槽内が明るくすっきり見えて気持ちがよい.手前から水槽の裏側までがはっきり見通せる.夕食の帰宅時にふと水槽を見ると、ナマコのすぐ横に両脚の差し渡しが 5 cm くらいの小型のアシダカグモが居た.水の中に並んでたたずんでいるように見えたが、そんなわけはない.奥側のガラスの外側に張り付いているものが中にいるナマコと並んで見えたに過ぎない.しかし、水槽の周りではアシダカグモを見かけることがよくある.なぜだろう.水槽の灯りに集まってくる夜蛾などを襲うためだろうか.水槽の中にいる動物たちの動きに反応して思わず寄って来るのだろうか.それとも、水槽内の俘虜であるカニたちに哀れみと親しみを覚えて訪ねてくるのだろうか.

2009年6月13日土曜日

ワレカラのテレビ出演

 ワレカラとコンブノネクイムシが 5 月 4 日と 11 日(再放送)に TBS-BS に出演した.私自身と制作中のワレカラ絵本も登場した.水中カメラマン中村宏治氏の『発見!平成・海の細道』という伊豆周遊潜水紀行番組で、4 月上旬に取材を受けて、一緒に潜ったり顕微鏡観察をしたりしたものである.もっとも、悲しいことにわが家では BS-TBS を見られないため、この時期になって制作会社が送って下さった番組 DVD をやっと見ることができた.コンブノネクイムシのお披露目も嬉しかったが、ワレカラ絵本が大きくフューチャーされて、なお嬉しかった.海の中の小さく可愛らしい生き物たちに光の当たるきっかけになるとよい.そして、願わくばワレカラ絵本出版への契機にならぬものかと少しだけ期待する日々である.

TBS-BS『発見!平成・海の細道』
http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/episode/KDT0901200

2009年6月8日月曜日

ヤコウチュウの帯

 水深 10 m での今日の海底水温は 18.8 ℃ で、思ったよりも水を冷たく感じた.海底での小一時間の計測作業を終えてから、学生に頼まれていた海藻の採集を 5 分ばかりで済ませた.レギュレーターがフリーフロー気味でマウスピースからぷつぷつとエア漏れしていたため、エアに余裕がある間に作業を終えられたことは、それだけでもささやかに嬉しかった.フッと気が抜けた感じで、T さんの待つ船外機付きボートめがけてゆるゆると浮上していった.視界のきく範囲は 5 m を越えるが、遠くは濁ってぼんやりと見える.海面が迫ってくると、何やらふだんと違うものが晴れた空を背景に透けて見える.下から眺める海面は海の天井のような感じだが、そこには白よりもやや桃色がかって 50 cm よりも幅広そうな帯が幾本もたゆたいながら流れている.さらに近付いて見ると、それは微小な粒からなっていて海面直下にモヤモヤと揺れていた.ヤコウチュウの大量発生だ.上から海面を見下ろせば、もっと濃いピンク色に見えることだろう.初夏に海水温が急上昇したときなどに大量発生することはよくある.毎年 1 回は目にするイベントだが、海の中から眺めたのは初めてだった.今夜は波打ち際がさぞ奇麗に光っていることだろう.仕事帰りにちょこっと覗きにいってみようか.

2009年6月2日火曜日

BB 弾拾い

 自宅近くの砂浜で地元の中学生たちが BB 弾を乱射して遊んでいたらしい.うちの下の息子をめがけて弾を発射した小僧も居たらしく、女房が血相変えて文句を言いに行った.上の息子の調査報告によれば、数千発の弾が浜辺に散乱しているという.次の日うちの息子どもは空き瓶を抱えて BB 弾拾いに向かった.うちでは BB 弾はリサイクルされる.浜は奇麗に掃除されて、BB 弾はわが家の庭で繰り返しお役に立つ予定である.そんなこんなで、自分の小学生時代を思い出した.銀玉デッポウを持って野山を駆け回りながら、乱射していた記憶がある.友達との打ち合いもよくやっていた.でも、見知らぬ小さな子に向けて打つようなことは決してしていなかった.BB 弾を打ちまくりたい中学小僧の気持ちを私は女房よりよく分かると思うのだけれど、最低限のルールは守ってほしいと思った次第である.

2009年6月1日月曜日

台湾の紙ナプキン

 台湾で円卓を囲んで食事をするとき、最初当惑したことがあった.貝殻や魚の骨など食事の時に生じる食べ殻を置く場所がなく、器のスペースがすぐにふさがってしまうのだ.もっと皿数が多いか皿サイズが大きければ良いのにと思っていたのだが、周りの様子を見ていると、多くの人が食べ殻を食卓の上に直に積み上げている.食卓にビニールがかけてあったり、テーブルクロスが使い捨てになっていたりしたのは、食卓を片付けるときの便利のためだということに気がついた.食事が進むにつれて皿の脇の辺りがだんだん汚れてくるし、骨はずしなどに手を汚すこともしばしばで、そのうえ辛いものや熱いものを食べる時には顔から汗が噴き出した.そんな折りにはたいていピンク色の紙ナプキンの束が円卓の上を廻ってきた.『巧聲』という名のこの紙ナプキンには、あちらこちらで随分お世話になった.それにしても、この名前はどんな意味を持っているのだろうか.ちょっと気になるところである.

2009年5月27日水曜日

ガラスの植え込み

 金門島の磯に干潮時に出かけたところ、潮間帯のある高さのところに帯状にキラキラする物がある.よく見てみると、色とりどりのガラス瓶のかけらをコンクリートの塊で岩の上に植え付けたものだった.取り付けてからずいぶん時間が経っているらしく、ガラスが抜け落ちたり欠けたりしたものもある.それでも、うっかり転んで手をついたら大怪我をすることは明らかだ.海に近づくために磯を突っ切ってゆくときには、どうしてもこの『ガラス地帯』を通り抜けなければならない.水試の課長さんに聞いたところによると、これは 1950 年代から 1960 年代に中国との関係が悪化した台湾海峡危機の時代の遺物だそうだ.夜間に中国人が海から上陸してくるのを防ぐためのものだったという.海岸に出てみると、そこには巨大な鉄の柱が海側に傾いて林立していた.これも同じ頃の遺構で、中国船の海岸への進入を防ぐためのものだという.50 年も経つのにいまだに海岸に刻まれた冷戦時の名残は夏のような日射しの中にひんやりとたたずんで、平和ボケした私の頭に大きなゲンコツを一発お見舞いしてくれた.

2009年5月26日火曜日

カサガイもカメノテも

 馬祖諸島でも金門島でも食卓に海岸動物が現れた.馬祖の東引では茹でたカメノテと茹でて味噌か何かで味付けした小ぶりのカキが夕食に出た.カキはひょっとするとケガキであったかもしれない(右上の写真).ケガキをむこうでは『棘牡蠣』と呼ぶようだ.カメノテ(左の写真)については現地の人々に上手な食べ方を教えてもらった.甲殻部を縦にして前歯にはさみ強く咬む.すると甲殻部が横に開くので、そこを手掛かりに殻を取り去って柄の部分の筋肉を引っ張り出してしゃぶりつくのである.はじめは多少のコツがいるが、慣れれば容易になる.皿に山盛りだったカメノテはすこぶるに美味で、皆が手を伸ばしてあっという間に食べ尽くされた.馬祖の南竿では昼食にベッコウカサガイ(右下の写真)が山盛りで出てきた.最初のうち口にするのにちょっと抵抗があったが、食べかけるとくせになりそうなほどに素晴らしかった.とくに背面の黒っぽい内臓のところが美味しい.餌が良いせいなのだろうか.ちょっと心配だったのは、こんなに景気よく獲ってしまって資源枯渇しないのかということだ.実際に生息している場を見る機会がなかったので、どれくらいの密度でいるのか分からなかったが、カサガイの大きさが揃っているうえに値段もずいぶんと安いことを考えるとかなり容易に採集できるのであろう.でも、貴重な磯資源を大事に上手に利用していってほしいものだと念じた.さりながら、この度はたっぷりと食べさせて頂いた.

いつも円卓

 台湾で現地の人々と夕食をともにするときは、いつも円卓だった.人数によっていろいろなサイズの円卓がある.10 人以上の人が集まるようなときは巨大な円卓に御馳走がゾロゾロと並ぶ(下の写真).小さな食堂には小さな円卓があって 4-5 人で囲む(右の写真).円卓につくとみな楽しそうだ.自分の取りたい料理をたぐるために卓を回したり、客人に料理を勧めるためにクルリクルリと動かしたり、どの料理もくまなく全員に行き渡る.上座やら下座やらがないのもよい.大きな卓では向かいの人との距離が遠くなるため、話をするときは近隣の人とするしかないが、遠いところにいる人とは独特のやり方でコミュニケーションを図る.まっすぐに座っていると円座なので視野の中にかなりの人数が入る.すこしだけ視線を動かせば、いろいろな人と目が合う.目が合ったら『**さん、乾杯!』と(中国語で)言って、手元にある小さな杯に入った酒を相手と共に飲み干す.そして、杯の底を相手に見せる.これを視野に入る相手すべてと行なう.一度杯を交わしても、相手から指名されたり、ふと目が合ったりしたら、再び杯を掲げることになる.杯の容量は小さめの猪口程度なのだが、注ぐ酒はたいていかなり強いものだ.ウイスキーなどの場合もあったが、高粱酒であることが多かった.馬祖にも金門にも高粱酒の銘醸があった.このため、まともに一気飲みを繰り返していると、すぐにひっくり返ってしまうことになる.よくしたもので、それぞれの席には水やウーロン茶のコップが予め配されていて、みな一気飲みのあとにはすぐに必ずそれらを飲んでいた.強い酒の喉ごしを味わった直後に腹の中でアルコール濃度を下げるのである.周りを見て私も真似をしたおかげで、倒れることなく高粱酒を存分に楽しむことができた.円卓は素晴らしい.高粱酒は素晴らしい.

2009年5月25日月曜日

肉粽(ちまき)を堪能

 調査途上の石門近くで昼食の時間となり、水産試験所から中国語の英語ガイドのために同行してきていた水試職員の女性にお勧めの昼食場所を紹介してもらった.車の停まったところは食堂ではなく、ハンバーガーショップのような構造の店だった.看板には『劉家 肉粽』と書いてあり、店から出てくる客やカウンターでやり取りする客たちが束ねた紐から何かぶら下げて運んでいた.ここは『ちまき』で有名な店だということで、紐からぶら下がっていたのは笹にくるまれたちまきだった.店内の奥でちまき作りが行なわれていて、その様子はガラス越しに覗くことができる.あちこちに凧糸が張り巡らされていて、厨房というよりは機織り場のような雰囲気だ.私たちはひとり3個ずつになるようにまとめ買いをしてもらい、石門で食べた.束ねたちまきをぶらぶらさせていると、なんだか楽しい.上手に縛ってあるおかげで、振り回しても紐がちぎれることはない.たかがちまきというなかれ.ずいぶんといろいろな種類があったようだ.でも、中国語の読めない悲しさで、メニュー記載の意味が全く分からなかったので、お勧めの 3 種類をひとつずつ買ってもらった.中身の区別は笹の葉の色の組み合わせで行なえるらしい.笹の葉包みを開いて順に食べてみると、中身はそれぞれ全く異なっていた.肉の入ったもの、エビと栗の入ったものなど、それぞれに素晴らしく美味しかった.そういえば、不思議に思ったのは、店内のレジ後のメニューに書いてあった言葉だ.『あんず吟選』とあった.なぜ、ここに日本語のひらがながあるのだろうか、なぜ『あんず』なのだろうか.

石門の巻貝

 台湾調査の2日目は基隆から北西に向かい、台湾本島の北端を目指して沿岸を探査しながら移動した.北端近くに『石門洞』という奇岩と石灰藻の作った『藻礁』を観賞できる『石門』という観光地がある.大型観光バスも停まれるようになっていて土産物屋もある場所だ.海に面した見晴らしの良い場所にウッドデッキがしつらえてあって、食事や休憩のためのテーブルと椅子が配されている.私たちもそこで昼食をとった.その時に妙なことに気が付いた.テーブルの足元に細い巻貝が数えきれないほどたくさん散らばっている.同定に自信がないが、ウミニナかホソウミニナか、いずれにしてもウミニナに近い仲間の貝だ.はじめそれらは海から這い上がってきたものかと思ったが、よく見ると全てが死殻で、しかもいずれも殻の上端が折りとられていた.同行していた現地の水試スタッフに聞いたところ、観光に来た現地の人々が海岸で貝を採集して食べて帰ったあとのゴミらしい.ボイルしたあとで上端を折って中身を吸うとのことだった.聞いたことのない食べ方だったので興味深かったが、ボイルできる環境ではなかったこともあり、試食は諦めた.

2009年5月19日火曜日

鼻頭角のイカ

 台湾本島の北岸に沿って藻場を調査して廻った.基隆を起点に東に進んで行くと北東向きに細長く突き出した岬がある.『鼻頭角』という地名のここは岩場の岸寄り沿岸をコンクリート張りにしてあって、観光客が歩きやすくなっている.大きな落差で海に突き出した奇岩の様子を足元を気にせずにぐるっと眺めてまわることができるわけだ.そのコンクリート通路の途中に不思議なオブジェがあった.3 つ以上は並んでいたと思うが、いずれもほとんど同じ姿勢で型どられた『イカ』だった.頭部と足を持ち上げて不思議なアクションをとろうとしている大きなイカだ.ところが、このオブジェにはどうもおかしなところがある.イカが泳いで移動するとき、漏斗と呼ばれる短い管状の突起を下にしているのが普通だ.進行方向前側にある胴はもう少し真っ直ぐか、むしろ上をやや凸にして反るものである.それを考えるとこのイカは完全に背腹を逆に取り付けられている.つくりがとてもリアルなだけによけいに奇妙な感じがする.体をヒラリと反転させながら水中を突き進もうとするその一瞬を捉えたダイナミックな作品だ、とでも解釈しておこう.

2009年5月18日月曜日

キールンのダイビングショップ

 調査のため台湾に来た.台北(タイペイ)を経て基隆(キールン)に入り、今日の午前は研究所訪問と研究発表会、午後は沿岸で素潜り調査を行なった.午後の調査に先立ってダイビングショップに寄り、スノーケリング用のフィンを買い求めた.かさばるダイビング器材は現地調達することがある.往路の荷物はできる限り減らし、復路の荷物が多くなるのは仕方なしとする.訪れたダイビングショップは店舗の半分がなぜか眼鏡店だった.入り口には『潜水教學 訓練中心』とある(右の写真).店内の壁にダイビング器材解説のチラシが貼ってあって、漢字の使い方がなかなか面白い.マスクが『面鏡』、ウェイトが『配重』、タンクが『氣瓶』、そして一番気に入ったのがフィンで、『蛙鞋』だった.表そうとしている意味も面白いし、文字の組み合わせ方も面白い.私たちはカエル型ワラジ(?)を購入して、午後の調査に出かけた.あいにくにも台湾は今日から梅雨入りし、小雨が降ったりやんだりしていたが、海岸での調査には支障なかった.

2009年5月11日月曜日

おっと失敗タバコグサ

 植物分類学臨海実習が新年度最初の担当実習となる.植物の臨海実習なのだから、その対象は実際のところ藻類である.今日は実習の初日であり、夕方が集合時間になっていたので、午前中に潜水での海藻採集に出かけた.まずスキューバ潜水で水深 10 m 付近の海底の海藻の徒手採集を行ったあとに、海面付近に張った生け簀ロープの付着海藻を採集した.ロープ上に生えた海藻葉動物による摂食や海底からの撹乱等の影響を受けにくいこともあってのびのびと育って美しいことが多いのである.こちらは水深が 3 m 以浅なので素潜りだった.浅いとはいえ素潜りなのだからじっくり海藻の峻別をしている暇はない.ロープをしごくように海藻を一気にこそげ取って網袋に詰めた.そして、筑波から来た実習スタッフに袋ごと渡した.この採集法について、少々の後悔があった.海中で一気に袋詰めした時に、どうもタバコグサが含まれていたらしい.これは硫酸を含む海藻で、弱ると強酸液が出て周りの海藻を変色させてしまう.おかげでせっかく美しいはずだった多くの海藻を傷めてしまった.苦労して採集しただけに残念であった.初歩的なミスなので、恥ずかしくもあった.次の機会には、悪さをする海藻に十分気をつけたい.

2009年5月10日日曜日

カエルいっぱい

 志津川で田仕事をしていると、しょっちゅうカエルに出会う.田に水を引く水路の泥の中から顔を出すもの、水際の草の上にいるもの、乾いた田で土を起こしている時に現れるもの、などいろいろである(写真は今年志津川で撮影したもの).
これまでカエルの種類について気にかけたことがなかったのだが、今回はやけに数が多かったので、プラスチックケースの中に入れた 40 匹ばかりをざっと眺めて、手近かにあった子供用の図鑑の絵と照合して種類の見当をつけてみた.ニホンアマガエル、カジカガエル、ツチガエル、モリアオガエルと分けてみた.かなりいい加減な仕分けだったので、同定が正しいかどうかは分からない.来年までにはひととおりの種類の特徴を頭に入れて、種判別ができるようにしておきたい.志津川の夜はカエルの声に包まれていた.種ごとに鳴き声も違うのだろうかなどということも気になり始めた.長く気にかけなかったことに、ひょんなきっかけからスイッチが入って興味を持ち始めることがままある.今回も志津川に通い始めて 10 年以上経ってからスイッチが入ったようだ.しばらくの間、カエルを気に留めてみたいと思う.

2009年5月8日金曜日

蒸しホヤ

 食用のホヤは赤いパイナップルのようなマボヤである.皮嚢と呼ばれる赤い皮の内側の黄色みがかった筋肉部分を食べるのだ.でも、味や匂いには相当くせがある.東北の人々は都会に出まわるまでに鮮度が落ちて異臭が強くなると言う.新鮮な状態で食べれば抵抗なく刺身で食べられると言う.本当なのかもしれない.でも、新鮮だといわれる現地で刺身で食しても、好んで食べたいほど美味しいものだとは思えなかった.それが、今年になって、もっと食べたいと思える調理ホヤに出会ったのである.はじめはお土産として下田に持ち帰られたものを 2 切ればかり食べた.そして、その味に惚れ込んだ.それは『蒸しホヤ』である.厚みがあって柔らかで食べやすいスルメが、素敵な香気をまとったような、そんなイメージの味だった.下田では少々しか食べられなくて、なんだか幻を見たような心持ちだった.だが、先日志津川に出かけた時に、観光イベントの食品フェアの会場のようなところで再会することができた.パック入りで 400 円のものをたっぷり食することができた.運転していったために酒の友にすることができなかったのが心残りだったが、その味わいをリアルなイメージとして舌に刻み付けることができた.すこしばかり幸せになった.

2009年5月7日木曜日

いのちの洗濯にゆく

 1996 年から毎年のゴールデンウィークあたりに宮城県南三陸町(旧志津川町)で農作業を行なう習慣が続いている.これまでの 14 回のうちで私が行けなかったのは 2 回のみだ.兼業農家の T 氏の家に2-3 泊して田植え直前の田仕事を手伝う.短期間なので実際にはたいした助けにならないのかもしれないが、いちおう援農のつもりである.筑波大学を退職後に志津川に教育研究職を得て住んでおられる Y 先生のご様子をうかがいに行くことも当初からの目的である.加えて、何よりも 山の自然の中で無心に働くこと、そして同い年の T 氏と家族ぐるみで交流 することが楽しいから、こんなに長く続く行事になっていると思う.滞在中の主な作業の第一は田んぼの近くの川をせき止めて貯水池を作り、田んぼに向かう水路に水を流す準備をすることである.河床に転がる大小の石を積み上げて、清流の流れをせき止める.石を積んでダムを造るこの作業は力仕事なのだが、達成感があって面白い.休み時間には川虫の観察や川魚探しもできる.第2の作業は川から田んぼに続く水路に溜まった泥を掻き出して土手上に揚げることである.そして第3は田んぼのフレーム部分にあたるあぜ道のところ(くろ)を補強したり成型したりすることとトラクターが入れない角部分の土掘りを行なう田んぼ作業である.順序としては、それから田んぼに水を引いて代掻きに移るのだが、その手前までで私たちの作業は時間切れになることが多い.目的をもって一心に行なう肉体労働は、一年の間にすすけてくる命の洗濯でもある.これまでに毎年いろいろな参加者が同伴参加した.卒研生や大学院生に加えて海外のポスドク研究者が同行したこともある.思い返せば毎年の出来事が少しずつ違っていて、参加者たちは志津川での存在の記憶だけ残して今はあちこちに散っている.はじめの頃には夫婦で参加した我が家はこの年月の中で子供が加わって、家族 5 人で参加するようになった.毎年通っての交流はひと針ひと針糸を通して刺繍をするような感じだ.とつとつと同じような作業を色糸を変えながら続けてゆく.長い年月を経て振り返ってみると、いろいろな柄の絵模様が浮かび出して見えてくるようになる.

2009年5月1日金曜日

生け簀カゴの掃除

 今シーズンの野外飼育実験が終わったので、まる 2 か月間海中に吊るしていた生け簀カゴ 8 個を全部引き揚げた.いちどすっかりきれいに掃除して干してから収納する必要があるため、揚げてきたカゴを屋外の海水水槽の端でタワシを使って掃除し始めた.しかし、内外にびっしりとヨコエビの巣や海藻が付着していて、しかもカゴの目の細かなところまでそれらが入り込んでいるために、タワシのみでは掃除しきれない.磯ガネで細かなところをほじりながら忍耐勝負のつもりで作業をしていた.そこに技術職員の S 氏が通りかかったので、カゴ掃除がいかに大変な作業かを訴え「何とかならないものですかね」と言うだけ言ってみた.同情してもらいたい気持ちが 8 割くらいで、他に方策があるなどとは期待していなかった.ところが、思わぬ返答が返ってきた.「こりゃ、高圧洗浄機でやったら、楽だよ」と言われたのだ.すぐに機械を出してもらって操作を習い、カッパの上下を着込んで新兵器を試してみた.まったくもって、信じられないほど作業が容易になった.高圧水をノズルから吹き付けると、カゴの目や溝に潜り込んだヨコエビの泥の巣が跡形もなく吹っ飛んでゆく.ロープ上にこびりついた海藻などもあっと言う間に姿を消して、カゴの内外は瞬く間にきれいになった.当初は夕方までの作業を予定していたのに、全部のカゴ掃除が 1 時間も経たぬうちに終わってしまった.人にものを尋ねることの値打ちを今日ほどどっしりと感じたのは、久々の事であった.S さん、ありがとう!

2009年4月29日水曜日

ちんだらはんだら

 保育園生の息子は朝食の食卓についてもなかなか食べ進まず、些細な事で気がそれては食事半ばで遊び始める.台所が片付かないうえに登園時刻は迫るので、私も女房もイライラしてくる.そんな女房が今朝不思議な言葉を発した.「早くしなさい!ちんだらはんだらすな!」女房は九州の出身でふとした瞬間に不思議な方言が飛び出すことがあるのだが、だいたいの言葉は意味を想像する事ができる.でも今回ばかりは息子も私も頭の中がハテナで埋め尽くされた.造語かと疑ったのだが、そうではないと言う.試しにネット検索をしてみた.すると『ちんだらはんだら』は無かったが、『ちんだはんだ』というやはり九州の方言が見つかった.標準語でいうところの『ちぐはぐ』とほぼ同義で、もともとは着いたり(ちぐ)離れたり(はぐ)することを言うらしい.つまるところ、女房の言葉は『ちぐはぐなことをするな!=だらだらするな!』という事になるらしい.面白い言葉なので、私も使ってやろうと機を窺っているところだ.

2009年4月27日月曜日

富士山いいな

 私が小学生の頃、カメラというのは全てフィルムが入っているものだった.撮影用フィルムを買う際には、まず白黒かカラーか、メーカーは富士かさくらかコダックかという選択があった.枚数は少なめなら 12 枚撮り、ふつうは 24 枚撮り、たっぷり撮るなら 36 枚撮りという具合に選んだ.撮影後はフィルムを現像に出して、画像を印画紙に焼き付けたものが帰ってくるまでは、写真の出来は分からなかった.そんなわけで、ここぞという光景に遭遇した時には構図に加えて絞りやシャッタースピードを変えながら、ひたすら枚数を撮りまくるしかなかった.実家に残っていた古い写真を取り出して見ている時に、未整理の箱からネガフィルムとそれを焼いた写真がたくさん出てきた.中に、36 枚のフィルムの 1 本が丸ごと全てほぼ同じ構図の富士山のものがあった.高速道路から撮ったものらしい.おそらく、東京の実家から父母の郷里である関西に夏休みを利用して出かけた時に、私が車中から撮ったものだろう.昔から富士山の姿が好きだったから、目前にそびえる大きな姿に感動して撮りまくったのだろう.写真が出来てきて、同じような写真が袋からぞろぞろ出てきたために、父に叱られたおぼろげな記憶がある.先日家族で沼津に出かけたおり、沼津市内から大きな富士山が見えた.その姿にいたく感動して、息子がデジカメ写真を撮りまくっていた(右の写真はそのうちの一枚).カメラのメモリー残量も十分にあるし、現像のための出費もないから、取り立てて叱る必要もない時代になった.でも、その後ろ姿を見て、遠い昔の自らの背中を見た気がした.われら、外観は違っていても、似た者親子なのである.

2009年4月21日火曜日

途切れるくやしさ

 下田から東京に向けて車で走ってゆくとき、ラジオをつけておくことが多い.CD を聞くことはない.車載の CD プレーヤーは下の息子によっておよそ 5 年前に破壊されたからだ.スロットタイプの挿入口に何やら平べったいものを押し込んだらしく、修理不能となってそのままになっている.たいていは音楽番組でなく、AM のトーク番組を聞いている.ラジオの話題を耳で追っていれば眠気覚ましにもなるからだ.気になる話題がとり上げられている時、さあ面白そうだと次の語りを待つタイミングでトンネルに入ってしまうことがある.アンテナの張られているトンネルは私のルート上には少ないため、プツッと放送が途切れて、肝心なところで話題を拾えなくなる.急いで出口を目指しても、出口ではたいていもう話題が変わっている.知りたかったことが永遠に分からなくなる歯痒さで一杯になる.同じような経験は映像でもある.山手線など最近の首都圏の電車には液晶モニターが車両内の扉の上に取り付けられていて、乗り換え情報や天気の他に企業のコマーシャルや雑多な生活情報の提供を行なっている.クイズや4コマ漫画などやっていることもあって、しばしば見入ってしまう.見入っているうちに目的駅に到着して降りねばならなくなるのだが、クイズの答え待ちや漫画の落ちを見る直前や料理レシピの紹介直前が降車のタイミングになることがしばしばあるのだ.何とも中途半端な心持ちで降車しなければならないあの感じは本当に嫌なものである.トンネルにはアンテナをつけてほしい.電車内の放送の区切りは駅到着にタイミングを合わせてほしい.爽やかに移動させてほしいのだ.

2009年4月16日木曜日

幼カジメいっぱい

 午前中はカジメ定期調査のために、海の中にいた.今年はカジメ幼体の定着数が例年になく多いようだ.この 3 か月の間に定期調査の基盤上へ幼カジメ 50 個体近くが加入してきた.基盤上カジメの初期数が 60 だったから、それをしのぐ勢いだ.計測 10 年目に入って老個体が次々と姿を消し、昨年までの新規加入数も低下気味であったので、私の群落は潰えてしまうかと危ぶんでいた.でも、これから持ちなおしてゆくかもしれない.今年加入の幼カジメたちの今後の生長が楽しみだ.野外群落の長期変動を考える時、齢構成および加入や生残の年変動は大切な要因であるが、それを確かめることができるほどの長期調査を続けてゆくことは、なかなかに大変なことである.もちろん短期決戦的な研究だってやるけれど、息の長い調査をこつこつと続けることも臨海実験所というポジションに所属する研究者としての責務のひとつだと考えている.

2009年4月15日水曜日

セミがでた

 仕事場である臨海実験センタ−は海に面しているが、自宅は研究棟の横から階段を上り切った小山の上にある.下田の海岸は山が迫っているため、海岸からちょっと坂を登るとすんなりと山の環境に入ってゆくような場所が多い.夏になれば、イノシシの足元に赤いカニが走り回るような光景を見ることすらある.今夕、夕食のために自宅に向かう階段を上ってゆく途中、周りの雑木林からのセミの鳴き声を聞いた.ジーというハルゼミの初鳴きだ.まだ数は多くない.1 匹 1 匹の所在を突き止めることができそうなくらい、くっきりとまばらに鳴いている.この季節、朝はウグイスが鳴き、昼はキツツキの音が聞こえ、夜はコノハズクの声が聞こえる.春ゼミの参戦で、下田の自然音環境は一段と豊かになりそうだ.

2009年4月14日火曜日

ダッキーがやって来た

 娘の誕生日プレゼントとして不思議なぬいぐるみが我が家に現れた.ダッキ−ココアというタカラトミー製のロボットぬいぐるみである.頭と前足と背中に接触センサーがついていて、他に音声感知センサーと姿勢感知センサーも付いている.抱かれ方を認識した上で、なでられるといろいろな声を出す.声を出しながら、まぶたの開閉も行なう.心憎いのは、指定しておいた就寝時間や起床時間に眠る準備の発声をしたり起きがけには何かしら新しい話をしたりすること.それに、初めのうちはうまく言葉が出なくて鳴き声だけなのに、時間が経つと徐々にいろいろな話をし始めるという点である.気まぐれに独り言のように声や言葉を出すこと、放っておくと居眠りをすることも面白い.はじめは、子供だましのおもちゃだろうからすぐに飽きてしまうだろうと冷たい目で眺めていた私だったが、ここのところどうも気になって、ついついいじりたくなってしまう.どうも私も子供たちと一緒にその奇妙な魅力にはまってしまいつつあるようだ.  

2009年4月13日月曜日

ウミホタルとの6ヶ月

 昨年の 9 月に採集したウミホタルを飼い始めてから既にまる 6 か月が過ぎた.室温条件ではあったが私の部屋は冬期もエアコンを使わないので、夜間は野外海水温よりも温度が下がることもあっただろう.最初は半月に 1 回の換水を欠かさず餌もほぼ毎日やっていた.しかし、おっかなびっくりながら少しずつ間を空けていったところ、現在では換水は 2 か月に 1 回、給餌は 1 週間に 1 回である.それでも維持できることが分かってきた.もっとも、水温が上がってきたら再び頻度を増した方がよいのかもしれないし、もう少し給餌の頻度を上げたら、あるいはもっと増えるのかもしれない.まあ、そのあたりは今後調べてゆけばよいことだ.とにもかくにも無事に冬を越すことができた.海を知らないウミホタルたちにもずいぶんと大きな個体が現れた.加えて、新たに生まれた微小な個体たちも多く同居している.4 月になって室温が上がるとともに水が温んで来て、ウミホタルたちは明らかに活発になった.給餌するのは仕事を終えて帰宅する前の、たいていは深夜である.壁ぎわ灯のみ点けて天井灯を消す.そして、水槽のフタを開けて少量の餌を投入する.水底に落ちた餌の臭いに気付いて、まず近くに居たものがザワザワと動いて泳ぎ出し、しばらく蛇行した末に餌にたどり着く.その後、遠くからフワリフワリと離陸してきたもの達がやはり蛇行し、あちらこちらに寄り道しながら餌に向かってくる.やがて餌の周りはお祭り騒ぎになる.その経過を眺めるのが密やかな楽しみなのだが、春の訪れと共に、餌の投入に対する彼らの反応が速くなってきた.おかげで私は少しばかり早く帰宅できるようになった.

2009年4月12日日曜日

どう見えるのか

 最近の犯罪では監視カメラの映像がよく公開される.コンビニ強盗や ATM 詐欺の際の映像などはかなり鮮明だ.現代では自分の所在も姿も誰かしらにモニターされている可能性がある.なんだか気持の悪い話だけれど、便利の代償だし、とりあえず悪いことをしでかさなければ、当面の害はない.ニュースや新聞のモニター映像を見ていて考えた.人には自分が外部からどのように見えているのかは分からない.鏡に向かう時の自分の姿はかなり特殊な場所におかれたほとんどスチルの画像で、自分という全体の形質の把握からはかけ離れている.それは幸いでもあるのだけれど、ちょっと不幸でもある.1 週間くらいの期間、寝ている時間以外の自分の姿を外側からずっとモニタリングした映像を見ることができたら、得るところは大きな気がする.思い描いている自分と現実の自分とのギャップに大きな衝撃を受けそうだが、それを一致させる努力に心を傾ける機会を作ることができるかもしれない.群衆の中をどのように歩いているのか、電車の中でどんなふうに振る舞い、どんなふうに居眠りしているのか.人と話をする時、笑う時、怒るときにどんな表情をしているのか.食堂で自宅でどんなふうに食事をしているのか.そして、酒を飲むときどんなふうに会話し、どんなふうに酔っぱらって、どんなふうに眠るのか.よく考えると、自分以外の人間たちが普通に見ていることである.それを同じように自分自身も見られたら、自分という人間をもう少し良く理解することができて、もう少しこましに生きられるのではないかと思う.

2009年4月11日土曜日

春宵のキャンパス

 2 日間にわたって行われる大学院説明会のために昨日から筑波キャンパスにやって来た.大学院説明会は大学院進学を考える自大学と他大学の学生たちへの研究室ガイダンスで、研究室公開やポスターの展示、ガイダンス講演会が行われる.説明会の 1 日目の終了後、オフィスに午後 10 時半頃までいて雑務をこなし、キャンパスの中を貫く道をとおって宿泊所に向かった.街灯の明かりを建物の窓から漏れる明かりと満月に近い月明かりが助けて、辺りはうっすらと明るく遠くまで見渡せる.たどる道の両側には池があり芝生や草地があり、それに林が連なっている.春の金曜の宵のキャンパスでは、学生たちの活動がまだあちこちで続いていた.道路から見下ろす階下のピロティのようなところでパソコンを打ったり工作をしたりするのは鳥人間学生たちだろうか.遠くの建物からは南米音楽の合奏やアカペラコーラスグループの歌声が、風に乗って聞こえてくる.池の端の芝生の上では、だいぶ散りかけた桜の木の下で少人数の男女グループがちょっと肌寒そうな小宴会を開いていた.蠢き始めた自由の空気が私の体にも伝わってきて、ほんのひととき私もキャンパスの一部になれたような、そんな感じがした.

2009年4月10日金曜日

オタマジャクシの餌

 小学校低学年の娘がオタマジャクシをつかまえてきて、ペットボトルで作った飼育容器の水換えを自分で行ないながら、大事に飼いはじめた.はじめに、冷蔵庫から見つけ出したいろいろな食材を餌として少しずつ与えてみて、どれを好んで食べるかを一生懸命に観察していた.その結果、鰹節をもっとも好むことが判明したらしい.その報告にやってきた彼女が言った.「カツオは海にすんでいるんだよね.池にすんでいるオタマジャクシはどうやって海に出かけて、カツオを食べるんだろうね.不思議だね」濁りのない眼で真っ直ぐに私を見ながらそう言うのだから、私は参ってしまった.確かに、サンタクロースがたった一晩の間に世界中の子供たちにプレゼントを配り終えることができるのと同じくらい不思議なことである.

2009年4月9日木曜日

新年度の新聞

 新年度になって新聞の紙面がずいぶんと変わった.驚いたのは番組欄である.子供の頃から親しんできた 1, 3, 4, 6, 8, 10, 12 という不動の配列がいとも簡単に変えられてしまった.デジタル放送優先の配列に変わったようだが、デジタル放送とは縁のないわが家には、どうにも見辛くてならない.他にも紙面には内容や紙面の割り方に新年度の様々な工夫が加えられている.これらは進歩であり改善なのだろうが、慣れるのには未だしばらく時間がかかりそうである.慣れることに要するエネルギーは無駄だから、100 年以上も続くような不変のパターンの維持を求めたいと思うのは、私だけだろうか.

2009年4月8日水曜日

阿修羅のフィギュア

 大変である.大変なのは阿修羅のフィギュアである.上野の国立博物館で開催されている『国宝 阿修羅展』の会場限定で販売されている海洋堂制作による阿修羅像のフィギュアが予想をはるかに上回る売れ行きとなって、ひとり2個までの当初販売がすぐにひとり1個のみとなって、それでも4月半ばまでには販売予定 15,000 個の全てが売り切れるという.興福寺には何度か足を運び、関連本もいろいろ持っているそれなりに阿修羅ファンの私としては、フィギュアを是非とも入手したかったのだが、どうも危うくなりそうだ.親しみやすさと仏像らしくない突飛な風体も相まって日本の仏像の中で人気ナンバーワンの阿修羅像だから仕方のないことだが、できれば会期後にもフィギュアを生産して、博物館のミュージアムショップで販売してほしいと切に願っている.

2009年4月7日火曜日

もっこり

 保育園の年長になった息子は、現在日本語ボキャブラリーを増すことに精進している.兄や姉と張り合うためにも、知っている限りの言葉をフルに使って背伸びして表現しようとする.すると驚くほど高度な語彙使用のみられることもあるが、正誤の境界線上で不思議な表現が生じてくることもある.間違った語彙の使用に対しては直ちに兄と姉の厳しい訂正が入るため、たいていの場合には父母には訂正後の語彙使用が行なわれる.ところが、たまに兄と姉が不在で保育園小僧が父母に話をする時には、兄姉の校閲の入る前の言葉が飛び出すことがある.これが面白い.昨日、兄姉が学校に出かけたあとの保育園に出かけるまでの時間に、貝で作るオブジェの制作が話題になった.保育園小僧が言うには「貝をつないでくっつける時にはふつうグルーガンを使うのだけれど、『もっこりボンド』でもいいんだよ」とのこと.もちろん『木工ボンド』のことで、女房と大笑いした.本人のキョトンとした顔が可愛らしかった.

2009年4月5日日曜日

真鶴道路がホットドッグに

 家族で移動する時はたいてい車を使う.もちろん交通費節減のためである.下田と東京の間を往復することが多い.経路上にはいくつもの有料道路がある.以前は何の疑問もなく利用できる有料道路を全て使って往復していたのだが、子供ができて先々のことを考え始めたら、いちいちの支出が気になってきた.最近では、厚木−東京間の東名高速道路と小田原厚木道路以外は使わないことも多い.夜間に通行すれば、一般道のみの利用でもさほど時間の差のないことも分かってきた.今夕東京からの帰りの時のことである.やはり節約モードで通行した.西湘バイパス石橋支線で小田原西 ICから石橋 IC へ抜けるのを我慢すれば 200 円儲かる.真鶴道路を我慢すれば 200 円儲かる.熱海ビーチラインを我慢すれば 250 円 儲かる.ところが、無事に全部節約したところで猛烈に眠くなってきた.仕方なくコンビニに入って目覚まし用にチョコレート入りアイス最中を買うことにした.これを運転しながらバリバリ齧るのが、私の目覚ましの秘策のひとつなのである.仕方がない、アイスを買って石橋インターを通ったことにしようと思い、コンビニに駐車した.ところが折悪しく、熟睡していたはずの小僧の1人が目覚めてしまった.当然私は1人だけずるいと咎められることになった.仕方なく、言われるままにホットドッグを買ってやった.節約したはずの真鶴道路の通行料はホットドッグに化けた.

2009年4月4日土曜日

桜満開

  BS リーグ臨海実習は最終日を迎えた.午前中のうちに掃除や片付けが行われ、好天と桜に祝福されながら閉講し、無事に解散することができた.桜といえば、このブログのスタートは昨年の 4 月 7 日で、桜花の写真から始まった.間の空いた時期があったとはいえ、気まぐれで書き始めたものが習慣化してまる 1 年 が経過したことがとても嬉しい.新たな経験であった仕事をまたひとつ終えて、うまい具合に週末満開となった桜をのんびりと楽しみたいところだったが、午後には所用のため下田から東京まで車を走らせた.樹下での花見はできなかったが、沿道の各地で咲き誇る桜たちを存分に楽しむことができた.

2009年4月2日木曜日

ウニ用の鉛筆

 スケッチにケント紙と 2H の鉛筆を使う.実習に参加している子供たちにもそれらを配った.BS リーグ未来の科学者養成講座の小中学生がバフンウニの発生する様子を観察した時のことである.メスとオスのウニから採卵と採精を行って受精させ、卵の細胞が分裂してゆく様子を観察する.その様子をスケッチしてもらっていた.スケッチ用の鉛筆の配り残りを実習用テーブルのひとところに集めて転がしておいたら、誰かが「これはウニのスケッチ用なんですねえ」と言った.見ると 『UNI』 と書いてあった.ああ、なんて下らないギャグだろう.でも、『HITODE』 とか 『NAMAKO』 と書いた鉛筆とセットにして売ったら、売り上げ倍増につながるかもしれない.このアイデアいかがでしょうか、トンボさん.

2009年3月31日火曜日

サザエしずしず

 近在の漁師さんからサザエを頂いた.早速つぼ焼きにして家族で食べた.フォークで中身をつるんと取り出して、つつき回しながら齧っていた春休みの子供たちが「どうやって歩くの?」と聞くので、焼けて縮こまった腹足を示して説明してやった.腹足とは吸盤状の筋肉で、カタツムリなど巻貝の仲間が這う時に葉っぱや地面に接地している部分である.つぼ焼きになって縮こまった状態でも腹足の真ん中には縦の溝がある.この溝を境に右足と左足があって、交互に前に差し出しながら、おしとやかな感じでしずしずと歩くのである.料理屋の水槽ガラスに張り付いたものを裏側から観察しているとその様子がよく分かる.なんだか内股っぽい感じで品良く歩くのだ.同じように水槽張り付いているアワビとは歩き方が全然違う.アワビの腹足には左右がない.子供たちはどうも信用しないので、今度水槽にくっ付いているところを是非見せてやりたい.

2009年3月30日月曜日

年度末どん尻

 年度末どん詰まりで、年度内にやりたかった数々の未完仕事に恨めしげに睨まれている.年度のラインを踏み越えて、もう少し付き合うしかないものが多々ある.あー、もっとすっきり年度の切り替えを行ないたいものだと思いつつも、1年分の実験データの稼ぎ時と年度末仕事と学会やら何やらがどっと重なるのが、この3月である.やむなしと言えど、ねじり鉢巻で頑張るしかない.でも、さばけぬなあ.愚痴をこぼさずクールな顔で何事もないかのように仕事をこなす、そんな人間にいつかなってみたいものだ.

2009年3月29日日曜日

電動アシスト自転車

 修善寺のサイクルスポーツセンター (CSC) がとても好きだ.しばらく行かないと、そろそろ出かけたくなる.私にとって伊豆の中にあるそんな観光スポットは、ここと大室山の2つだけである.CSC に行きたくなった時は、子供を喜ばすことを口実に渋い顔をしながら内心嬉々として出かけてゆく.乗り放題のチケットを生協やら折り込みチラシやら JAF やらのなにがしかの割引で購入して、伊豆在住で1時間半ばかりで到着できるメリットを活かして開園と同時に入園する.そして、空いているうちに乗り物やら何やらに片っ端から乗っかってゆく.お気に入りには繰り返し乗るのである.おかげで、乗り放題チケットはあっという間にモトが取れる.300 m のロングローラースライダー、サイクルモノレール、変わり種自転車あたりがリピートの常連である.また、子供たちと周回 2 km のファミリーサーキットをぐるぐる回るのも楽しい.うちの子らは保育園とここで自転車乗りの修練を積んだ.とことん遊んで、膝が笑い始めたら午後2時過ぎにはさっさと引き揚げ、サイクル温泉で割引料金でひと風呂浴びて、帰途につくのである.今回は自転車関係の大きなイベントをやっていて、5 km サーキットに入れなかったので息子は憤慨していたが、私はそこでやっていた電動アシスト自転車体験に参加して、大変に満足であった.ものすごい急坂をまるで自分が漕いでいるかのようにスイスイと登れるあの感じはまた経験したいものだ.

2009年3月28日土曜日

稚児舞

 午後から下田の大安寺で花祭りの稚児舞が奉納された.そろいの桃色の衣装に頭には金の冠(右の写真)を載せて 10 歳までの愛らしい少女たちが舞った.まずは、本堂内で釈迦の誕生仏にお稚児さんたちが順番に甘茶をかける.それから釈迦についての法話があった.王子であった釈迦がどうして出家して修行に出たかを立ち絵を使った人形劇で分かりやすく説明していた.その後、境内に移動して稚児舞があった.年齢別に2グループが舞い、年少のグループは花の枝をかざし、年長のグループは鳴り物とともに蓮の花弁を散華しながら、輪をかいて舞った.舞いのあとは、寺の参道から門を出て、白い象(左の写真)に乗った釈迦の誕生仏を皆で曳きながら市街地を廻り、宝福寺まで行列で練り歩いた.晴れたり曇ったりでずいぶんと肌寒い一日だったが、下田の街の片隅に、ほんのひととき春の暖かさがポッと舞い降りた.

2009年3月26日木曜日

私は TA

 ここのところ一桁数字の平方根のような睡眠時間が続いて、昨夜もそんなあんばいで電車に乗ったものだから、眠くって本なんか読めたものではない.うつらうつらしては折々目覚めて風景を眺めることを繰り返していた.しようもないので、目に入るアルファベットを並べ替えて遊ぶことにした.LEVI'S は EVILS になって、なんだか悪そうだ.STEP は PETS になってかわいくなったり SEPT になって秋になったりした.ENEOS をひっくり返して H を入れたら、SHOENE になってなんだかエネルギーを節約できそうだ.JOMO は MOJO で、ブルースマンの大切なお守りだ.NAVITIME は EMIT IVAN で、なんだか輝かしいイワンの馬鹿だ.KANDA は K & A だ.意味ないな.そして、ついに気がついた.ATAMI が面白い!ただ逆さまに読むだけでよい.I'M A TA.  私は TA です.TA というのは大学で講義や実習を手伝う主に大学院生のことである.そうか、楽屋落ちか. 


2009年3月25日水曜日

絵本にはさまれるはず

 以前われから絵本を絵本出版社に持ち込んで、なかなか難しかったことを書いた.その後、ワレカラ絵本の改訂の工夫も重ねているのだが、出版社の編集者の方と海の生き物絵本のいろいろな可能性を話し合ううちに、絵本ではないけれど、ちょっとだけ磯の自然観察ガイドの文章を書かせて頂くことになった.夏あたりに発刊される磯の生き物絵本にはさまれる父兄向けガイドの文章である.推敲を重ね、参照のための写真を撮り、ちょっとだけ絵も描いてみた.却下されるのではないかと思っておそるおそる編集部に送ったのだが、なんとか採用されそうな様子で、とても嬉しい.素敵な絵本に私の文章がはさまれて、全国津々浦々に配されるのだ.その様子を思い浮べると、その文章たちはずいぶんと幸せそうな感じがする.

2009年3月24日火曜日

藻場シンポ

 東大海洋研で行なわれた『藻場研究の今−分布・生態から磯焼け対策・利用まで』というシンポジウムに出かけてきた.私もコンビナーの1人になっていたが、今回は自分の講演はなくて座長のみだった.おかげで他の方々の講演をリラックスして聞くことができた.藻場の研究には大学や公的研究機関以外にも企業など多分野の研究者がそれぞれのアプローチで携わっている.自分のやり方で藻場にとことん向き合っている人たちの研究は面白く、その姿はまぶしくさえ感じられる.水産増殖を目指したり産業化を考えたりする場合には、私たち生物学分野の研究者とは研究の進め方が自ずと違ってくる.その違いを知って、自分たちのアプローチについて見直すことは相互に利益のあることで、そのように横に広がるネットワークづくりは大切だと思う.日帰りだったので、懇親会の二次会に参加できなかったのが残念だった.

2009年3月23日月曜日

狼煙崎の山桜

 実験のために大浦湾内に船を出してもらった.天気がよくて暖かく、仕事は生け簀作業の短時間のものだったので、帰りがけの船上の数分間には周りを見廻す心の余裕があった.船が岸に向かう時、左手には狼煙崎の崖が急な傾斜をもって迫っている.その斜面には多くの樹種の木々があるようで、いろいろな濃さの緑が濃淡の模様を作っている.いまの時期にはその合間に山桜のやや薄桃がかった白色のパッチが加わって、崖全体が巨大なパッチワーク模様になる.何ともいえずに美しいものだ.一年のなかでこの素敵なアートを楽しむことができるのは、ほんの数日のみである.空が青く澄んで晴れ渡った日には、空と崖の色彩の対比も素晴らしい.狙ってもなかなか見られる風景ではない.狼煙崎の眺望は、海の近くに住む私たちだけに許された、ささやかな贅沢である.

2009年3月19日木曜日

カジメの長老

 午前中にカジメの定期計測に出かけた.気になるのは長寿カジメだ.2000 年生まれであるはずの初期の 60本のカジメのうち、昨年まで残っていたのは 3 本で、先月 1 本が力尽きた.今日はかなり潮が暗い.そのうえひどく海水温が低い.どんよりとした海水の中で計測を行ないながら確認したところ、さらに 1 本が巨大な仮根部痕のみを残して、姿を消していた.悲しかった.残る 1 本の写真を濁った海水の中でずいぶんと撮った.次回会えなくなっていたら、悲しいからだ.でも、ワイドレンズでも今日の濁りには勝てず、研究室に戻って読み出した画像データは、人に見せられない代物だった.最後の長老には長生きしてもらい、その神々しい姿を幾度もきれいに撮影させてほしいものだ.

2009年3月18日水曜日

暖か、穏やか

 海は穏やかで、船上は暖かだった.ワカメの採集に出かけたのだ.先日の強風で養殖ワカメのロープはひどく絡まりあって復旧不能になったのだが、技術スタッフの尽力のおかげで四分の一程度を海面に戻すことができた.今日は、戻せなかったために切って沈めたロープから使えそうなワカメを拾い出した.陸に戻れば、徹夜覚悟の実験作業が待っている.ワカメを引き揚げる時の海水の飛沫と海藻片で船底と自分の合羽や長靴を思いっきり汚しながら、海の上での作業を一心に励み、楽しんだ.

2009年3月17日火曜日

母校へ

 昨日、私の出身の都立高校で『キャリアガイダンス』というのが行なわれ、声がかかったので出かけていった.同窓の社会人が現役学生に自分の仕事とその仕事につくまでの経歴を話すという趣旨のもので、卒業後 30 年以上経っている面々が 10 名ほど講師として集まった.講師の経歴については事前に学生達に知らせてあり、生徒たちは自分が話を聞きたい講師の部屋に行く.医師、大学教員、会計士、建築士、社会福祉士などいろいろな職種が集まっていた.私の部屋に来たのは約 20 名だった.私が入学する直前に新築がなった校舎は 30 年後も全く変わっておらず、教室も昔のままだった.なんだかタイムスリップして、クラスの中で私の担当の発表会をやっているような心持ちになってしまった.30 年を経ているとはいえ後輩であるというだけで、なんだか生徒たちに親しみがもてたのは不思議だった.与えられた時間は 1 時間半だった.視聴覚機器の不足とかで半徹夜で用意していったパワーポイントのスライドが使い物にならず、すぐにパワポを諦めて持って行った生のワカメとヒジキを使った実習的板書授業に切り替えた.これは、パワポよりもかえって良かったようで、なんだか楽しく和やかな雰囲気の中で持ち時間を終えることができた.生徒諸氏に役立ったかどうかは怪しいところだが、私自身は常になくフレッシュで楽しい時間を楽しむことができた.ちょっと素敵な経験であった.

2009年3月16日月曜日

マークが変わった

 今日は東京へ日帰りで出かけて来た.帰りがけに、東京駅であることに気付いた.新幹線表示の案内板に付いている青いマーク、東海道・山陽新幹線乗り場への案内表示マークが変わっていたのだ.以前は 0 系新幹線を正面から見た図だったのだが、いまは 700 系新幹線の正面図になっている.0 系が昨年 11 月までで姿を消して、こんなところにも変化が現れているというか、気が遣われているのに、少々びっくりした.

2009年3月15日日曜日

ワカメが大変だ

 土曜からの強風で海が荒れている.大浦湾内に入ってくる高波のあおりを受けて、私たちのワカメ養殖ロープがひどく絡んで一部は海底に沈み、完全な回復が不能の状況に陥ってしまったようだ.部分的な復旧ができるか否かを、現在検討中である.これまでかなりデータは取っているので、全部ダメにならなければ採集や実験は続行できる.明日以降の現況調査の結果を待つことになる.土曜日のワカメ教室のために金曜日にたくさんのワカメの刈り取りを行うことができたのは、大変な幸運だった.それにしても、今まで 10 年以上こんなことは起こったことがなかった.最近、台風ほどの風でなくてもやけに大きな波が大浦湾内に入ってくるようになってきた.これが、もし台風だったら、どんな波になるのだろうか.

2009年3月14日土曜日

ワカメの観察会

 小学生を対象とした自然教室の新シリーズとして昨年度から『ワカメのひみつをしらべよう』を始め、本日2回目が実施された.参加者は 15 名であったが、下田のみならず東伊豆からの参加もあり、数名が昨年からのリピーターであったことは嬉しかった.実施側からすると 15-20 名という人数は眼が行き届いて行動の小回りもきくため、指導を行いやすい.はじめにワカメを見ないでワカメの姿をイメージで A3 サイズ紙の半面に描いてもらった(右の写真:子供たちの絵を黒板に拡大転写したもの).すると、最初から正しい姿を描いているものはなく、ひとりひとりの表現が見事に異なっていた.当然のことではあるが、子供たちが描くイメージの幅が各々の経験に関わっていそうなことが見てとれて、大変に興味深かった.それからイントロ講義をササッと行い、下田のワカメとヒジキについてのオリジナルソングを披露した.下田がワカメとヒジキ双方のタイプ産地(新種記載のための元になる標本の採集された場所)であることをアピールするために私が作ったものだ.ブルースなので大人には少しばかり受けていたけれど、子供たちはなんだかぽかんとしていた.その後、全長 2 m 前後のワカメの実物を班毎に実験机いっぱいに広げて、さきの A3 サイズ紙の残の半面にスケッチを描いてもらった.そして、熱湯による変色実験、めかぶからの遊走子の泳出観察と遊走子の顕微鏡観察へと移行した.つづく調理法の体験コーナーのあと、最後に卒業試験が行われた.いりこだし、カツオだし、ワカメだし、だしなしの4種類の汁をテイスティングして、どれが何かを当てるのだ.当たらなければ、列の後ろに並んで再挑戦になる.当たれば、修了証をもらうことができる.今回の子供たちは高率で正解していた.そして、全員修了証を受け取った時点で解散となった.指導側の大人も子供たちも終始楽しく過ごすことができたあっという間の 3 時間だった.指導サイドは各々の持ち味を活かしてお互いをサポートしあいながら、良いチームワークだった.扱う生物素材がどんなに素朴なものであっても、経験豊かで前向きなスタッフが集まれば、実のある時間を紡ぎ出すことができるし、楽しい.指導する側とされる側の両者が楽しめるということは、インパクトのある自然教室を実施するための必須条件だと思う.

2009年3月13日金曜日

実習終了

 3 月 9 日の私の祈りが天に届いたのか、4 泊 5 日の臨海実習は、まるで実習のスケジュールに合わせたように天気に恵まれた.昨夜の『実習反省会』はずいぶん遅くまで続いたようだったが、最終日である今朝の集合時間 9 時には、みなきっちりと集合した.手際の良い片付けと掃除で 10 時前には解散となった.皆けっこう実習を楽しんでいてくれたようなのが、嬉しかった.今回ほとんどが 2 年生だったので、何人かはまた下田の実習に参加してくれることだろう。楽しみだ.解散後、残る後片付けをしていたら、次第に天気が崩れてきた.

2009年3月11日水曜日

ガガンボ哀れ

 パソコンに向かって仕事をしていたら、蛍光灯の光に向かって飛んで来た糸くずの塊のようなものが私の側頭部を通過していった.びくっとして避けながら目で追うと、それは交尾しながら飛行しているガガンボのペアだった.春を感じた.それから 2 時間も経った頃だろうか.デスクの左サイドに並んでいるファイルキャビネットの側面あたりでにわかに激しく空気が動いた.はっと身を引いてキャビネット側面の壁に眼をやったとたん、再度空気がざわついて、その場所から1匹のガガンボが慌ただしく飛び立った.ガガンボのいた場所に眼を戻すと、そこにはハエトリグモに押さえ込まれた 1 匹のガガンボの姿があった.ハエトリグモの顎にはさまれているらしい虫の体は 10 分ばかりも震えていたが、やがてその動きは止まり、次に眼をやった時には両者とも視界から消えていた.交尾中に襲われたガガンボのペアの片方が捕われ、片方は脱出したのだ.私にはガガンボの雌雄の区別はつかないが、きっと脱出したのは雌であろうと思った.

2009年3月10日火曜日

大移動と大掃除

 学生実習の最中ではあっても年度末である.年度末までにこなさなけばならない仕事は山積している.1部屋分の物品を棚ごと他の部屋に移すことが年度内に必要となったため、実習の担当からはずれている唯一の日である今日を活かして、大移動と掃除を学生と共に行なった.昔の先生たちの買い貯めた在庫消耗品が大量にあるのだが、我々には全く使用の見込みのないものばかりで、また古かったり劣化していたりするものもあって、それらの大量処分が必要となった.空間が限られているので、もったいないとばかりも言っていられない.場所を作って必要の見込まれるもののみを移動していった.しかし、頭と体は何となく物品の所在する位置を覚えているものだ.大幅移動で位置関係のシャッフルが行なわれたため、ここ当分は必要品のサーチに時間を要することになりそうだ.やむを得まい.

2009年3月9日月曜日

実習スタート

 春の臨海実習が始まった.年度末の研究室整理に実験や調査や諸々の庶務、それに原稿校閲や原稿書きが絡むなどで落ち着かぬ日々なのだけれど、筑波から学生達がやって来てくれるのは本当に嬉しい.紅や白の梅の花が咲き乱れているような、なんだか心弾むものがある.フレッシュな空気が講義実習室の中を駆け抜けてゆく.天候に恵まれた良い実習になることを祈りたい.

2009年3月8日日曜日

輪投げ

 女房が消防署開催の救急救命講習の1日コースに出かけたため、私は日中子供たちの面倒を見ることになった.メインイベントは下田太陽農協主催の JA 農業祭で行なわれる『家族対抗輪投げ大会』への参加である.既にエントリーは済んでいた.優勝家族はニンテンドーの DSi が貰えるということで、息子がずいぶん前から参加を心待ちにしていた.早めの昼食を済ませて出かけ、11 時半過ぎに受付を済ませ、12 時から競技開始となった.4 つのレーンがあって、それぞれに 8-9 家族ずつくらい居たから、全部で 30 家族以上いたことになる.予選を勝ち残れるのは上位 8 組のみだった.3 人が 1 チームで下の年齢から 3 投ずつしてゆく.うちは A レーンの最終組だった.下の子が 1 点 2 つ入れて 2 点になったところで、上の子が 7 点と 4 点を入れて総計 13 点となった.しんがりの私に期待がかかるシーンだ.ところが、3 投とも微妙にはずれて、悲しい 0 点となってしまった.すっかり DSi を持ち帰るつもりで来ていた息子には、冷たい眼を向けられて『もういいよ、帰ろう・・・』と言われてしまった.25 点が予選クリアの点だったので、私が息子並みの点を取っていれば、可能性はあったわけで、言葉もなかった.練習して来年は雪辱に臨みたいものだと思ったけれど、そんな気持ちを来週には忘れてしまいそうな自分がまた一段と情けない.

2009年3月7日土曜日

散髪

 散髪代は高い.家族全員がまともに美容室や理容室に行こうものなら、わが家の財政はたちまち破綻する.理不尽なことにふつうの理容室では散髪は定額制で、毛髪量や所要時間は勘案されない.私が理容室に行こうものなら、散髪時間は通常の3分の1くらいですむ.ものすごく損をした気持ちになるのだ.そんなわけで、わが家では女房が自分以外の家族の散髪を行なう.自分自身は近くのスーパーに附属の格安美容院で、もっとも上手な美容師を指名して髪を切ってもらっているらしい.天気の良い週末には庭で、寒い季節や風の強い時には室内で髪を刈ってもらう.首にタオルを巻いたあと、落ちた髪の毛を受けるためのおちょこ傘のようなものをかぶる.『襟巻き怪獣ジラース』のような風情である.今日の午後は屋内散髪だった.久々に冬毛を落とし、春に備える心持ちになった.

2009年3月6日金曜日

プラスチックの接点

 不思議に思っていることがある.昨年末に更新した自宅電話の子機と電動歯ブラシに共通することだ.これらは、いずれも未使用時は充電器兼用の台座に置く.充電のためには電気が通わなければならないはずだから、当然本体と台座の間には金属接点があって然るべきである.少なくとも前の電話の子機にはそれがついていた.金属接点の接触不良でうまく充電できなかったことがあったから、しっかり覚えている.ところが、子機と歯ブラシのお尻の部分には金属が使われていない.接点であるべき部分は本体側も台座側もプラスチックでできている.このことから判断するに、プラスチックが電気を通しているとしか考えられない.そういえば、何年か前に導電性のプラスチックが偶然をきっかけに開発されたというニュースを耳にしたような記憶がある.その技術が既に家庭電化製品にも使われるようになってきたのだろうか.あり得ないと思っていたことが、知らぬ間にそっと現実になっている.そして、私たちはそれとは気付かずにまるで魔法使いのごとくに振る舞うようになっている.

2009年3月5日木曜日

ワカメづくし

 2月から毎週ワカメを採集して調査を行っている.実験やデータ収集に必要な部位はわずかなので、葉やめかぶの多くは食用にまわる.自宅でも消費するし周囲にも配る.調査データをとるための計測時に、ワカメの根や枯れかけの部分や虫食いの部分などの不良部分を取り除いてある.だから、高品質のワカメである.このため自宅の食卓ではワカメメニューが花盛りとなる.みそ汁のワカメ、サラダのワカメ、めかぶとろろ、茎の千切りをショウガなどと和えたもの、ワカメチャーハン、ワカメスープなどなど.ワカメたちは食費の節約にも一役かっている.

2009年3月4日水曜日

ぼんてん

 午前中のうちに沖の生け簀用ロープの掃除を行った.沖に出て俗世と離れているせいか、船の上で作業をしている時には話がはずむ.いろいろな話題が飛び出す.今日は浮き玉の取り付けもやっていたこともあって、その名称に話が及んだ.浮き玉は『びんだま』もしくは『ぼんてん』と呼ばれることがある.前者はむかしガラスでできていたことからついたものかもしれないが、後者は由来がとんと分からない.音は帝釈天と対になった天部の『梵天』であるが、関連があるとも思えない.大きな日本語辞書には浮き玉を指す場合のあることが記載されているが、由来については触れられていない.しばらく『ぼんてん』のルーツ探しを行なってみたい.

2009年3月2日月曜日

私と息子の併行読書

 私たちが学習をかねて英語を楽しむとき、英語圏の小学校高学年から中学生くらいが読んでいる洋書ペーパーバックを多読するのはとてもよいと思う.私はロアルド・ダールももちろん好きだけれどアレックス・シアラーやルイス・ザッカーの本がとても好きだ.最近それに関連して新しい試みを始めた.上の息子が小学校高学年になってきたので、私の読んだことのある洋書の邦訳書を買ってやることにしたのだ.幸いそれらの本はけっこう安くてきれいな古書が出まわっていて、送料込みでも市価の3分の1から4分の1以下の値段で手に入る.アレックス・シアラーの『チョコレート・アンダーグラウンド (BOOTLEG)』にはまってくれたようなので、ザッカーの『穴 (HOLES)』やシアラーの他の作品に進みつつある.楽しいのは私と息子のいずれもほとんど対等な読者であるために、同じような気持ちで話題を共有できることだ.それに、自分が原書で読んだ時に何となく曖昧だったところを子供に聞いて確認してみたり、原文で訳しにくそうな箇所がどんなふうに翻訳されているのかを覗いてみたりする楽しみもある.ちょっと不思議な感じの『併行読書』がうまく続いてくれるとよいと思う.

2009年3月1日日曜日

耳の穴とワカメの葉

 日曜の朝のテレビ番組でもっとも素晴らしいのは『所さんの目がテン!』だと思っている.ずいぶんと昔から続いている科学や雑学の番組で、私も 10 年以上昔に海藻関係の放送の時にお手伝いしたことがある.今朝の放送では 3 月 3 日が近いということで『耳の日』にちなんで『耳』についての話題で、耳の形態のもつ意味や携帯プレーヤーの音量の及ぼす影響、それに耳掃除について、いずれも興味深い実験や調査の結果が述べられていた.中でも面白いと思ったのは、耳垢の話だった.私は外部のほこりがトラップされて耳あかができると思っていたのだが違っていた.鼓膜から耳の開口部までのトンネルの内側は鼓膜周辺から常時細胞が更新されることによって、内側から外側に向けてベルトコンベア式に細胞シートが動いていて、古くなった部分が耳垢になるという.このため、耳の奥には耳垢が溜まらず、耳掃除は穴の浅い部分だけでもよいという.これには本当にびっくりしたが、なんだかワカメに似ているとも思った.ワカメは付け根側の生長点で伸長するために、藻体はベルトコンベアー式に末端に移動してゆく.普通の陸上植物を見る時のセンスだと末端ほど新しいような気がするが、ワカメでは末端ほど古くてボロボロになってくる.そうしてみると、ワカメの末端はワカメの耳垢のようなものだということになる.

2009年2月28日土曜日

ヤギさんのハーモニカ

 下田市で行なっている『EARTH企画』というのがあって、良いミュージシャンの音楽や時には落語などを小さなホールの良い雰囲気の中でわりに安く楽しむことができる.昨夜のライブ出演は『NIIDA UNIT』というブルース中心に演奏するバンドで、2 年前から 1 年に 1 回ほぼこの時期にライブを行っている.ボーカル兼ギターは下田のレコード屋さんの店長で、かつてはセミプロ的にバンド活動をしていたらしい.味わいのあるボーカルがミドルエイジの憂愁を歌い上げる.ボーカル以外のバンドメンバーはみなプロミュージシャンで、有名バンドでの演奏経験のある人もいて、胸に響く演奏が繰り広げられる.私が聴きに出かけるのは一昨年以来 2 度目で、実は目当てのミュージシャンがいる.それはハーモニカの八木のぶおさんだ.ハーモニカを手にする人なら知らぬ人はいない名手だ.それが下田までやって来て、演奏してくれて、しかもこのバンドではハーモニカの演奏がフューチャーされた曲などもあって、八木さんがフロントに出てくるチャンスがとても多い.何と幸運なことだろう!今回も八木さんはブルースハープとクロマチックハーモニカを巧みに使い分けて、パワフルだけれど豊かで陰影に富んだ演奏を繰り広げていた.ブルースハープでの滑らかな高音域への移動や、クロマチックでのレバーを使ったトレモロやフレーズは真似したいものだ.ライブでは CD からは分からないワウのかけ方もよく見て取れる.ハーモニカのホールドの仕方とマイクの位置関係も刻々と変わっていって、良い勉強になった.写真は休憩時間に撮影した八木さんのハーモニカだ.ブルース戦士の武器である.

2009年2月26日木曜日

カッパのフード

 雨中の船上作業を行なう時、漁撈者用の青いカッパを着る.生地が分厚くて若干ゴワゴワしているが、風雨を避けるための性能は抜群である.上からバケツの水をかぶっても体が濡れることはない.風が遮断されるため、防寒にも役立つ.ただ、いつも不快感があるのは、フードである.しっかりフードをかぶってしまうと、視野が前方に限られて、競馬でレースに出走する馬のような状態になってしまう.左右の状況を確認するためにはフードの中で頭をぎこちなく廻さなければならない.カッパのフードからの視界確保に何かしら工夫がなされている商品はあるだろうか.探してみたい.愛する青カッパをさらに快適に使ってみたいものだ.

2009年2月25日水曜日

悲しい便座

 子供たちでざわざわする狭小な家の中で父親の平和な居場所はトイレのみである.新聞やら月刊雑誌やらを持ち込んで籠城する.ところが、タイミングをはかり間違えると、トイレに落ち着いた途端にドアがはげしくたたかれ、「もれちゃうから早く出て!」という言葉に追い出される.だから、トイレに逃げ込むときには子供たちを見渡して、一通りトイレに行った後であることを見届けたうえで実行に移る.ところが、事はそう簡単には運ばない.トイレに潜り込んで着座した途端に後悔に襲われることがままある.小さな子どもたちはおしっこを余分な方向に飛ばす.それが便座にも飛び散る.うちは布の便座カバーをかけているために、それらはしっとりと便座カバーに浸みこむ.その上に腰を落ちつける瞬間の悲しさは何ともいえない.ヒヤッとしてじんわりと不快感が広がり、それが持続する.とても長居できる状態ではなくなる.父は辛いのである.

2009年2月24日火曜日

描かれた間接効果

 夕食後、子供たちが居間から去って寝床に向かったあと、子供たちの消し忘れたテレビのチャンネルをいじってみたところ、江戸時代の絵画がいろいろと紹介されていた.長沢蘆雪の絵もいくつか出てきて、思わず見入ってしまった.去年の夏には上野で迫力と可愛さの混じった虎の絵を見たけれど、他の絵についてはよく知らなかった.番組の中で3幅の掛け軸からなる床の間の絵が紹介されていて、真ん中にはネズミを手に高く掲げる男、左にはそのネズミを狙って見上げる猫が描かれていた.そして右手にはのどかに餌をついばむ雀があった.解説では、男がネズミによって猫の気を引いているおかげで雀は平和に餌取りができると、そんな光景を表したものだと言う.男の行為が廻り廻って雀を利しているという、いわば群集内の間接効果を蘆雪が意識して描いていたことになる.あの大きな虎の襖絵の裏の絵についても紹介されていて、これも面白かった.虎と虎が襲いかかる相手である観覧者を模して、猫とそれが狙う鯉の絵が裏側に描かれているのだ.食う食われる関係についての面白いシャレである.現代生態学の世界に在れば、蘆雪はよい群集研究者になっていたに違いない.

2009年2月23日月曜日

波と帆とトイレ

 昨日の葉山の海岸は風が強く、白波がビュンビュン飛んでいた.その波間を数えきれないほどのウィンドサーフィンの帆が行き交っていた.まるで飛ぶように風の中で舞っていた.海岸通の渋滞のおかげで、しばらく風景を楽しむことができた.風の吹く方向とは関係なく帆はあらゆる方向に向かって行き来てして、不思議とぶつかることも倒れることもない.こんな日に海に出ているのはよほど手練の人たちなのだろうと思った.いい風景だと思っていたら、下の息子がおしっこに行きたいと騒ぎ出した.仕方ないので、女房と2人を車から降ろし、海岸で用を足させて、渋滞のノロノロ車に追いついて貰うという算段にした.ところが息子が用を足し終えたのをバックミラーで確認した頃から車が流れ出し、ふたりを置き去りにしそうな勢いになった.いい加減走ったところで赤信号で止まることができて、必死の形相で駆け出したふたりはなんとか車に乗り込むことができた.息子もちょっとは懲りたことだろう.車に乗る前にはきちんとトイレに行きなさい.

2009年2月22日日曜日

葉山のローラーすべり台

 臨海実習の終わった昨日の午後から、葉山に住む友人宅に家族で遊びに出かけた.渋滞に巻き込まれて遅い夕食になり、子供たちが眠ったあとは我ら親たちが遅くまで話し込んだ.宿泊させてもらい、今日は逗子市からちょっと越境して横浜市の金沢自然公園に出かけた.自然公園の中には動物園があって、広大な敷地の中に動物たちの住まいが散在しているため、相当な距離を歩くことになった.コアラ舎にも行くことができ、ちょうど食事時間だったようで、ユーカリの枝をつかんで無心に食べるコアラたちを観察することができた.動く様子を間近に見たのは始めてのことで、市販のコアラぬいぐるみが本当はあまり誇張なく作られているのだということを遅まきながらあらためて認識できた.自然公園内には動物園以外にアスレチック広場があって、ここの目玉としてローラーすべり台がある.3 つあって、最長はほぼ 100 m だという.私は長いローラーすべり台というものが大好きなのだが、ここでは乗り口のところに『6 歳から12 歳用の遊具です.幼児には大人が同伴して下さい』と書いてあるので、どうもやりにくい.3 回ばかり 5 歳の息子らと列に並んで、付き添いのふりをしてこっそり楽しんでいたが、やがて息子が友人の子供たちとどこかに遊びに行ってしまって、私は取り残され、乗り待ちの列が長くなってきたこともあって、それ以上乗ることは諦めた.中身がガキのオジサンたちがこの類いの遊具を存分に楽しめることができる場所がないものかとも思ったが、そんな場所の光景を思い浮べるとやっぱり気持ちが悪い.やはり、こっそりと時々楽しむぐらいにしておこう.

2009年2月21日土曜日

実習が終了

 5 泊 6 日の公開臨海実習が終了した.大学院生主対象の実習なのだが学部生の参加も認めているため、年齢層の揃った本学の実習とは異なって参加者の年齢幅は広かった.でも、同じ実験プロセスの上を全員で進むうちに自ずと連帯感も生じてきて、学部生が院生から色々な経験を聞く機会もあったようで、かなりの盛り上がりが感じられた.実験の待ち時間を利用して、大学院生に自分の研究内容の発表を行なってもらう機会も設け、これがまた楽しかった.まず学会では聞くことのないような分野の話をお互いに分かりやすく話した.そもそも同じ目的で実習に参加して来たのだから、接点はもっているわけだ.そういう意味では、どんな話でも自分のところにたぐり寄せるきっかけを皆がもっていたわけで、質疑の時間もかなり長くなった.解散前の日は懇親会が盛り上がり、話に夢中になっていたせいで 20 日のブログ書きを忘れてしまった.臨海実験センタ−としては季節外れのこの実習の、また来年の開催を楽しみにしたい.

2009年2月19日木曜日

玄関ナマコ

 1 ヶ月ばかり前に書いたナマコの話の続きである.よく考えてみると、玄関でナマコを飼っているというのは、奇妙なことだ.宅配便の配達人も置き薬の交換販売員もみな面白がる.私たち家族が楽しく思うのは、眼もないし顔らしい顔もないのに、何だか愛らしくしかも美しいことである.うちのマナマコはいわゆる『赤ナマコ』で、体色は赤みを帯びた茶色の斑のつくる複雑な色合いで、頭を動かして動き回る時には、蛍光灯の灯りに触手や管足が透けてほのかな紅色がユラユラする.水槽の中にはナマコの他にスリコギズタという美しく若緑色に透けるイワズタの類の緑藻が入っていて、濾過槽から落ちる海水の起こす水流に揺れている.両者は小さな水槽の中で平和に対照をなして、玄関の一角に幸せな空間を築いている.

2009年2月18日水曜日

テーマに沿って

 私達が実施する臨海実習では、実習の始めに班別の研究テーマ設定を行なってサンプル処理や解析を進め、最終日前日にまとめの研究発表会を行なうことが多い.実習全体を通じて目標を持って作業を行うことができるため気合いが入るし、期限までにまとめるための緊張感もある.現在実施中の 5 泊 6 日の実習ではフィールド作業がはじめの方にあって、あとは実習室での実験操作が主である.実験では、分析機器にサンプルを入れてからデータが出てくるまでに短い場合でも1 時間、長い場合には 12 時間以上を要する.慎重に下準備をしてから分析にかけるわけだが、結果が出てくるまでは準備操作が適正であったか否かは分からない.待ち時間には自分たちの研究の内容紹介の時間をもうけたり、次の実験操作に向けての準備を行ったりするのだが、機器での分析結果が出てそれを見るまではバックグラウンドに緊張を伴う.どこかしらの実験プロセスで失敗があると必要なデータは全く得られないため、班単位で実験操作の振り出しに戻ることになる.成功すれば喜びもひとしおで、最後の発表会に向けての準備にも気合いが入る.失敗のあった時には時間調整しながらまとめができるようなフォローを行なう必要がある.期間の限られた実習は、学生たちにとっては関門をくぐりながらリスクを背負って進む練習となり、指導教員と大学院生 TA(ティーチングアシスタント:実習指導補佐)にとっては楽しく学んでもらうための雰囲気づくりと背骨の通った実習となるような舵取りに心を配る鍛錬の場となる.

2009年2月17日火曜日

下田の雪

 全国公開臨海実習の 2 日目である.今年は 7 大学からの参加者が集った.昨日までは春の嵐が吹き荒れて海に出られるような状況ではなかった.ところが、船からの採集を行う午前中までには波風は嘘のようにおさまって、海に出るのには良いコンディションになった.ただ、朝方からずいぶんと冷え込んでいた.実習の開始前に寒い思いをしながら採集道具の準備を行っていたら、なんと空から白いものがちらつき始めて、やがて吹雪のような様相になった.下田では雪は珍しい.それが、ものすごい勢いで降り始めたのだ.私達はワカメ採集の船上作業を降りしきる雪の中で行なうことになり、ずいぶんと冷たい思いをした.ただ、雪の中での作業はなんだか心楽しくて、おそらく参加学生諸氏にも良い思い出となったことだろう.でも、雪が降っていたのは私達が海に出ていた 1 時間半くらいの間のことで、全員が実習室に引き揚げてサンプル処理の作業を始める頃には、すっかり止んで青空さえのぞき始めた.午前中の雪中作業は、今となってはなんだか夢の世界の出来事のようである.

2009年2月16日月曜日

電動歯ブラシを使う

 電動歯ブラシを女房から戴いた.以前から興味はあって、ホームセンタ−や電気店で手に取って眺めてみた事も度々あった.でも、自分が使っている様子を思い浮べる事が難しく、なんだか怖いし効果も分からないし、購入費も電気代もかかりそうだといろいろな言い訳を並べて、利用者となることを回避してきた.でも、いよいよ使ってみることになった.すぐ使えるものだと思っていたのだが、パッケージを開けてみると、初回には 16 時間の充電が必要だと書いてあった.出ばなをくじかれた形となったが、半日遅らせて挑戦してみた.まず回転ブラシに歯磨きペーストを付けてスイッチを入れたところ、白いペーストがそこいら中に飛び散った.家族のひんしゅくを買ったので説明書を改めて読んでみたところ、ペーストを付ける時には口に入れてからスイッチを押すようにとの注意書きが記されていた.さて、歯ブラシを口に含んでスイッチを入れ、歯茎にあててみたところ、これが何とも気持ちよい.もちろん歯にも当てがってブラッシングもしたが、それがとくに劇的に面白いということはない.したがって、これからは歯茎のマッサージを主目的とした電動の使用となりそうな気がする.電動歯ブラシのあと、普通の歯ブラシでのブラッシングも行なった.普通の歯ブラシのソフトなタッチや歯磨きペーストとのなじみの良さは捨て難いもので、これについては電動が取って代わることはできない.掃除で例えれば、ほうきでの掃除と掃除機での掃除だろう.ようやく歯の掃除機を購入したということだ.

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