2008年10月31日金曜日

三菱 MRJ

 先日、筑波大の宿泊施設に泊まって、就寝前にパック酒をすすりながらテレビを見ていたら、三菱重工でMRJ (Mitsubishi Regional Jet) という国産小型旅客機の開発プロジェクトが進んでいるというニュースが流れていた.いま私が読んでいる吉村昭の『零式戦闘機』では、第二次世界大戦の直前に海外の航空技術に頼らずに開発された国産戦闘機で、日本の航空技術を軽んじていた米英に脅威を与えた零戦の誕生と消滅が詳細に描かれている.その主な舞台となっているのが、三菱重工名古屋航空機製作所であり、主人公ともいうべき人物が堀越二郎技師だ.ひとりの人間を核として花開いた技術が太平洋戦争前半の日本の挙動に大きな影響を与えたことが活写されている.世界を変えてゆく大きな渦の中には、実はたったひとりあるいは一握りの人間しかいないことがままある.海外製の旅客機ばかりで占められた現代の空に国産機を飛ばそうという動きの真ん中では、やはり堅気の設計技師が知恵を絞っていたりするのだろうか.それとも、もうそんな時代ではないのだろうか.

2008年10月30日木曜日

トンボの無核精子

 修士論文の中間発表を筑波に聞きに行った.発表のなかにトンボの雄の繁殖戦略に関するものがあり、その話のなかに『無核精子』というものが出てきた.トンボを含む昆虫類のあるグループには精子に有核のものと無核のものがあると言う.精子の存在目的は遺伝情報を卵に運ぶことだと思っていたので、核が無くてはお話しにならなくて、何の役にも立たないのではないかと思って質問してみた.無核精子の存在意義については諸説あるそうだが、雌に精子を注入する際に、先立って交尾した雄が入れた精子を奥に押し込めて大量の無核精子でブロックし、自分の精子がより手前に来るようにするためというのが、有力な仮説らしい.より外側に有る精子ほど、有効な精子となって雌に使ってもらうことができるらしい.昆虫には交尾の際に既に雌に入っている精子を掻き出すものや、交尾後に雌が他の雄と交尾できぬように生殖口に栓をしてしまうものもあるという.ずいぶんと凝った工夫をするものである.

2008年10月29日水曜日

博物館と百貨店

 ショッピングが楽しいのはなぜだろう.目的とする物を買うことのみでなく、いろいろな選択の可能性を与えられるし、物の多様性を見て楽しむことができるからだろう.見たことのない物、類似物でも新規の物を目にすることは人の大きな喜びのひとつだ.服や小物や雑貨など分野を限定した店でも種類や色やデザインを比較して愛でることは楽しい.さらに分野によらずになんでも扱う百貨店やホームセンタ−などは商品の洪水のなかを泳ぎ回るだけでも楽しい.大きなホームセンタ−は他の大型店舗やレジャー施設と併設されてショッピングモールとなっていたりして、最近では家族が週末の一日を過ごすのにも楽しい場所となっている.よく考えてみると、陳列された多様な品物を見て楽しむというのは、博物館に似ている.違うのは、店では複数の同じ物があって手に取って買うことができること、骨董品でなければ全てが現時代の物品であることだろう.入館料の要らないことももちろん大きな特徴だ.でも、現代の大型店舗がそのまま数百年後の未来にタイムスリップしたら、そのまま科学歴史博物館もしくは民族博物館になることができるだろう.そんなふうに考えてみると、展示品を全て買うことができる『買える博物館』なぞがあったら、なんだか途方もなく楽しい気がする.どなたか実現して下さらないものだろうか.

2008年10月28日火曜日

パワポと板書

 パワーポイントを使って講義を行うようになって、良いことづくめだと思っていた.カラー写真を示せるし、アニメーションで図や写真を重ねて見せたりすることもできるし、動画だって見せることができるようになったのだ.講義の準備の手直しを直前まで行うことすらできる.講義内容に沿った資料を学生に配付しておけば、学生はノートをとる必要もなく、講義内容を聞くことに集中できる.そう思っていた.少なくともパワポを使い始めたころは新鮮さもあってか、それは正しかったのだと思う.でも、パワポを使っている時の学生の表情が、虚ろな気がすることが最近多くなってきた.学生のせいとは限らない.慣れのせいか私から何かが抜けていってしまい、それが学生に伝わっているのかもしれない.最近 M 先生と話をしていた時、彼がパワポを一切使わず板書に徹していることを知った.ホワイトボードではなく、黒板での板書である.彼の意見では、板書の速度と学生のノートとりの速度がうまく合うこと、手を動かすことが大切なこと、それに板書には教員のソウルがこもるからということだった.私から抜けていってしまったような気がするのは、授業に対峙するための私のソウルかもしれないと、その時に思った.私の講義する教室にはホワイトボードしかないし、そのうえスクリーンとホワイトボードが重なっているために、パワポを使うとホワイトボードが使えない.でも講義進行の工夫次第で、パワポと板書の時間をずらすこともできるはずである.私も少しホワイトボードにソウルを込めるやり方を工夫してみよう.あらためて、そんな気持ちになった.教員も易きに流れてはダメなのである.

2008年10月27日月曜日

座席の肩にツノがある

 東京と熱海の間を新幹線こだま号で頻繁に往復するようになって、気になるものがいろいろと見えてきた.ここのところどうも気になって仕方なかったのが座席の肩の部分に飛び出しているキリンの角のような突起だ.乗る時によって、有ったり無かったりする(右の写真がツノあり、左の写真がツノなし).東海道線などの車両や昔の新幹線ではボックス座席のこの位置には金属の取っ手があって、つかまり易くなっていたように思うが、その代替物であろうか.座席の肩の部分に何もついていない場合、それが通路側に来ると、満席状態で立って乗車する人には手掛かりがない.他人の背中ぎりぎりのところを不器用につかむはめになるだろう.そのような意味では突起物があればつかまり易いはずだが、ハンドル状になっている方がつかまり易い気がする.カバンかなにかを掛けられるようになっているのだろうかとも思うが、そんな使い方をしている人は見かけないし、なんだか恥ずかしいだろう.そんなことを考えて『新幹線、座席、でっぱり』で検索してみたら、やはり私と同じような疑問を持つ人たちは居るようだ.存在目的についての答えも提示されている.人がつかまることを目的として造られた人に優しいデザインの突起物らしい.それにしても不思議な構造物だ.優しさと使い易さというのは別の次元に存在するのだろうか.今度乗車する時は、あの突起物をゆっくりと撫で回してみよう.

2008年10月26日日曜日

25 年を経て

 昨夕東京で大学時代のサークルの卒業 25 年後の会合があった.このような長い時を経ての同窓会というものの経験がなく、パーティーの催される部屋へ踏み込むことに怖れのようなものがあった.会場には私の学年の 3 年上の先輩から 1 年下の後輩までの 56 人が集っていた.風貌に経年変化らしいものが見られる人、ほとんど昔の面影のない人、時に取り残されたように面影の変わらぬ人などいろいろいたが、話をしてみれば、昔と何も変わることなどなかった.ただ、話題に仕事や家庭の話が加わっただけだ.時間は遡ることができるのだということを知った.1次会から参加者の多くが2次会に移り、過去の時間に身を浸す楽しさに場を去り難かったが、終電車という現実が皆に迫ってきて、解散となった.4 年間を同じ場所で過ごして散り散りになり、25 年を経て再会して漸くもつことの許された 5 時間だったが、かけがえのない時間だった.いまの自分の足元を見つめ直し、気持ちのリセットを図るための、いわば命の洗濯となった.

2008年10月25日土曜日

口笛とハーモニカ

 口笛が好きだ.物心ついたころから、父の口笛を聞いていたせいかもしれない.父は随分と上手だった気がする.口笛は便利なもので、耳コピーした曲を楽器なしで直観的に真似ることができる.たいそう便利だ.でも、どんな音が出ているのかはチューナーでチェックしなければ分からないし、自分で正しい音を出しているつもりでも本当にきちんと音が出ているのかはわからない.音域が限られるので、高い音や低い音が出せなかったり、かすれたりする.ブルースハープが口に馴染んでくると、まるで口笛のような気がしてくる.ベンディングで音を操れる 2 穴や 3 穴はもっとも口笛的だ.正確でかすれない音の出せる口笛を吹けるようになった、そんな心持ちになるのである.最近 7歳の娘が私の口笛を真似ようとすることがある.代目の誕生となるかもしれない.

2008年10月24日金曜日

篤姫ですよ!

 NHK大河ドラマ『篤姫』のドラマとテーマ曲にはまってしまった.テーマ曲をハーモニカで模したかったのだが楽譜がないので、耳コピーでクロマチックを吹こうとしたのだけれど、なかなかはかどらない.ふと思い立ってブルースハープでメロディーを吹くことを試みた.どうせ出ない音があるだろうと、たいした期待もしないでいろいろなポジションで試してみた.すると、3 穴の吹き音から始めれば、何とか始めから終わりまで、欠ける音なく吹けそうだということが分かった.そこで、今度は録画した放送でテーマが流れる音に合わせて、キーを探ってみた.手持ちのハーモニカでいろいろ合わせてみたところ、ハーモニカのキーが A の時にぴったり合わせて吹くことができることが判明して、嬉しくなった.タイトルの出る最初のところの『ズン、チャラー』という出だしのあとの前奏から吹くなら、6 穴の吸い吹きからスタートすれば良い.いま、繰り返し繰り返し吹いてみて、楽しんでいる.

2008年10月23日木曜日

割り箸のつまようじ

 コンビニ弁当や駅弁などで、割り箸を箸袋からシュッと取り出すと、つまようじがポロッと落ちることがある.箸をスッと抜いた箸袋を丸めてゴミ箱に捨てようとして、つまようじの尖端が手に刺さることもある.私はなぜ箸につまようじが添えられているのか、ずっと理解できないでいた.人前で食後につまようじを口に突っ込んで歯をせせっているおじさん達は、とてもぶざまものだと小学生のころから思っていた.だから、割り箸につまようじが付いていることは、ぶざまかつ下品なことが公認されているような気がして、不思議だったのだ.ところが、である.自分が 40 歳という年齢を超えてみて、ようやく謎が解けてきた.二十歳をとうに過ぎて年齢を重ねると、歯茎の歯肉が後退して、歯間の隙間が増してくるのだ.自ずと食べた物のかけらが歯の間にはさまりやすくなる.必然的に、食後のつまようじが欠かせなくなってくるわけだ.若い時には思いもよらないことだった.肉体的に年を経るということがどういうことなのかに、こんなことから気付いたのだ.でも,私はつまようじが使えずにいる.羞恥心なのか、認めたくないものが或るせいなのか.

2008年10月22日水曜日

黒電話

 筑波で私の使うオフィスには黒電話がある.全体に黒い光沢があって 700 系新幹線の前端部を圧縮したような形の前面には大きな数字のダイヤルが付いている.受話器は本体に対して横掛けになっていて、コイルした弾力のあるコードで本体とつながっている.プッシュホンでは全ての番号は対等であるけれど、ダイヤル式では数字によって送信に要する時間が異なる.ダイヤルを廻して電話番号を送信するのには結構時間がかかるので、その間に相手先の受話器に出るべき人とのやり取りの出だしや道筋を考える暇もある.呼び出しベルは喧しいけれど電子音ではないせいもあってか、なんだかのどかで温かな緩い感じがする.要するになんだか人間臭い電話なのである.私の小学校低学年のころ、父母の田舎には黒電話よりも前の呼び出し式の電話もあった.私たちの世代は電話機の変遷をずっと眺めてきて、とくに黒電話との付き合いは長かったのだが、プッシュホンが現れてからの変化は早かった.あっという間に黒電話が駆逐された.子機というものが出現して、家庭内でワイヤレスになったと思う間に、携帯電話というものが出現して、世界中がワイヤレスで繋がるようになってしまった.私たちが子供の頃に親しんだアニメである『スーパージェッター』では、時間旅行者で未来から来たジェッターが愛機である『流星号』を呼ぶ時に、腕時計型トランシーバーで「流星号、流星号、応答せよ!」とやっていた.あのころ、ジェッターのトランシーバーには電線がないのに話ができることを、私も同級生たちも不思議に思い、未来はすごいなあと思いつつも、おぼろげに実現しないだろうなあと思っていた.でも、今やそれは携帯電話という形で完全に実現してしまった.僕らは、いつのまにかジェッターの居た未来に来てしまったのだ.

2008年10月21日火曜日

オオバモクは変なモク

 オオバモクはホンダワラ類の海藻の中でもとりわけ変わった存在であると、私は思っている.ホンダワラ類の海藻のきわだった特徴といえば、丈が数mに達するために、藻体を水中で立たせて維持するための浮き(気胞)が枝葉の間にたくさん付いていることである.浮きの形や大きさは種によってさまざまに異なっているが、オオバモクのものは群を抜いて大きく、ひとつの長さが 3 cm を超すものもある.それに、ひとつの株のなかにも球状に近いものから円柱状で細長いものまで、いろいろな形があって、楽しい.なにが楽しいかと言えば、『つぶしがい』があって楽しいのである.指先で押すとプチッとかパリンとかバリバリといった感じでつぶれる.さまざまなバリエーションがあって飽きがこない.『むげんプチプチ』なぞ敵ではないのだ.浮きだけではない.葉の大きさもホンダワラ類のナンバーワンである.他のホンダワラ類は枝葉の細いものが一般的で、海中でつかむとモサモサふわふわした感じがするのだが、オオバモクをつかむとパリパリごわごわした感じなのだ.生育する季節も変である.一年生のアカモクや根だけ多年生のヤツマタモクたちは春になると藻体が流されて失くなってしまうが、オオバモクだけは結構な量がモサモサと夏の最中にも居残っている.繁殖期にしても、他の多くは春なのに、こいつは秋なのである.なんだかへそ曲がりで他の仲間と交わり難い感じが、私にとっては可愛らしい.
 ミステリアスな側面もある.日本海側には、同種とされているけれど枝葉がとても細いヤナギモクというのが居る.下田の水深の深いところには、よく似ているのだけれど葉がギザギザのオオバノコギリモクという種も居る.これらの親戚(?)たちとはどんな関係があるのか、知りたいものである.こんな話も聞いた.九州からオオバモクがどんどん無くなっているというのである.実際に、私もかつての群生地を九州天草に訪ねたら、全く無くなっていてびっくりした.現地の研究者方に聞いたところでは、ホンダワラ類の混生している藻場で植食性の魚が、オオバモクから優先的に食うそうなのである.近年の海水温の上昇でアイゴなどの植食性魚類が北上し、オオバモクが真っ先にやられているということらしい.魚たちにとってもオオバモクは特別な存在なのかもしれない.
 下田の沿岸で海に潜ると、浅い海底でもっとも目立つ海藻のひとつがオオバモクである.江戸時代末期に下田に黒船が来航したおりにも、オオバモクは目立つ海藻だったのだろう.オオバモクは他の数種の海藻と共にペリーたちに採集されて黒船に乗って海を渡り、当時の海外の研究者によって新種としての命名がなされている.下田はオオバモクのタイプ産地(新種をつくる際に基準となった標本の産地)であり、オオバモクという海藻にとっての真の故郷なのである.

2008年10月20日月曜日

最終ゴーヤ

 今朝の食卓にゴーヤとベーコンの和え物が出た.小ぶりのゴーヤは、今年我が家で穫れた最後のひとつだろう.毎年ゴールデンウィークを過ぎてからゴーヤの棚を組む.今年はホームセンタ−で購入した 2 株の苗に活躍してもらった.例年通り、高さ 1 間幅2間の棚を斜めに組んだ.そして、半分はキュウリ 、半分はゴーヤに使って 2株ずつ植えた.しかし、キュウリは盛夏を過ぎるとすぐに終わってしまい、途中からはゴーヤの独壇場となった.苗から始めて、葉の数の少ないうちに摘心して 3 方向に伸びてゆくように仕立てているので、苗の数は本当は 1 株でも十分なのだ.でも、毎年苗の購入時になると、1株植えて育たなかったらどうしようかと考えて 2 株買ってしまう.やがてシーズンの終わりになると、やっぱり 1 株で十分だったなと振り返る.その繰り返しである.10月になっても株はまだ生きているようだが、枯れ葉が多くなって、そろそろ仕舞い時だ.今年も大小いろいろ取り混ぜて、30 個以上収穫できた.いろいろな料理を楽しめたし、家計にも役立った.ゴーヤさん今年もありがとう.来年もまたフレッシュな苦みを運んできてほしい.

2008年10月19日日曜日

崖を登って削岩機を使う

 職員宿舎の横の崖の崩落がひどくなった.大きな岩塊が転がり落ちて、イノシシ防除フェンスを直撃した.最初、イノシシが蹴落としているのかと思っていたが、どうも最近のゲリラ豪雨のせいらしい.放置しておくと破壊されたフェンスをイノシシが乗り越えてくるかもしれないし、それより何より崖を岩が転がり落ちてくるのは、それだけで危険である.そのようなわけで、草の生い茂っていた崖の壁面にモルタルを吹き付けて固めることになった.金曜の深夜に筑波から戻って丑三つ時くらいに眠った私は、土曜の朝 7 時頃に削岩機の音と排気ガスの臭いで叩き起こされた.寝不足でぼんやりした頭で音と臭いに悩まされながら朝食を終えてオフィスに出かけ、崖をあらためて眺めたのは、正午過ぎに昼食を摂りに戻った時だった.崖の表面からは既に草は無くなり、岩肌の露出した壁面では 3 人の男たちがロープにぶら下がりながら、削岩機を操作していた.一見すると、消防士の垂直壁降下訓練のようであった.削岩機にはこんな使い方もあるのかと、ひたすらに感心してしまった.

2008年10月18日土曜日

嗚呼、助成金!

 助成金の申請シーズンである.王様である科学研究費補助金の申請時期だし、他の民間助成金の申請時期でもある.全国の研究者が PC に必死に向き合っていることだろう.われらの筆、もといキータッチに巨額の研究費の獲得可否がかかっているのだ.さりながら、こちらは例によって、締め切り間際にじたばたしている.おかげで、出張から帰ったばかりの週末なのに、書類書きばかりしなければならない.必ず当たると分かっていれば、いや、せめて5割以上当たるのであれば、もっと気合いも入ると思うのだが、何分にもユウレイと闘っているような心持ちなので、今ひとつパワー不足になる.出しても滅多に当たらない.でも、出さねば絶対に当たらない.限りなく宝くじに近い.僅かな可能性に賭けて、我らは頑張るのである.

2008年10月17日金曜日

すごいぞ!ゲルインク水性ボールペン

 こちらの大学の生物系の購買部は書籍と文具が同じ部屋に収まっている.小さな部屋でも生物系の本の品揃えは素晴らしい.本を眺めたあと、出口側にある文具コーナーで、ゲルインクの黒の水性ボールペンが欲しくて、ペンの並ぶ棚からそれとおぼしき 0.28 mm の三菱 uni-ball signo を 1 本手にとって、レジで会計を済ませて 7 階の部屋に持って帰った.わたしのダイアリーは細かな文字で埋め尽くされているため、極細のゲルインキのペンでないと書き込みができない.使っている黒ペンのインクが近々途絶えそうだったので、新規購入したのだ.新しく買ったら、とにかく試筆してみたい.ダイアリーに少し文字を書いてみたところ、なんだか文字が茶色っぽい気がする.よくよくペンの軸を見ると、ブラウンブラックと書いてある.そういえばキャップもわずかに茶色っぽい.それにしてもブラウンブラックなどという色をつくるのは、たいしたこだわりだなとなんだか感心した.白い紙に線を描いてみると、ずいぶん面白い色だ.なんだか魅せられてしまったので商品交換は止めにして、翌日あらためて黒インクのものを買いに出かけた.前日は気にしなかったけれど、あらためてペンの棚に眼をやって、びっくりした.20 色近い signo がずらりと3段に並んでいる.よく見ると、段の違いは太さの違いで、0.5 mm と 0.38 mm と 0.28mm がある.
http://www.mpuni.co.jp/product/category/ball_pen/signo_gokuboso/spec.html
中サイズには19 色、他のサイズには 17 色が揃っているようだ.ブラックだけでも、ボルドーブラック(0.38 mm のみ)、ブルーブラック、ブラウンブラック、ブラックがある.ピンクは3種類、オレンジは2種類、ブルーも2種類あって、色名も素敵で、色も美しい.全部で 53 種類ということになるが、全て欲しくなってしまった.せめて 4-5 本と思ったが、ぐっとこらえてブラック 1 本のみ買って帰った.でも、次に行った時には、我慢ができないかもしれない.

2008年10月16日木曜日

製本とクリーニング

 午後8時半過ぎ、私は停留所でバスを待っていた.道を挟んだ向かい側に、間口が一間半程度で奥行きばかり長い建物があって、道路に面して店舗があった.両側に建物がないので、道端に店舗の灯りがぽつんと浮かび上がっている.店舗の向って左側はコピーと製本の店で、『早い!安い!並製本、金文字入り製本、2−6日でできあがり(要予約)』と貼り出してある.右側はドライクリーニングの店になっていて、左側の店舗と境なくつながっている.両方の店舗に共通のカウンターの中には、白髪をきちんと調えた60代くらいの実直そうな主人が居て、棚の紙を降ろしてカウンター上に拡げる作業を行っていた.製本とクリーニングというのは妙な取り合わせだなと思ったが、よく考えると両者には共通点がある.客から物を預かり、それに加工を加えて収入を得る店である.元の形を損じないように慎重に加工を加えて客に返却しなければならない.どうも店の人間の仕事の本質的なところは同じようだ.強いていえば、製本は(表紙を)加えて返す仕事で、クリーニングは(汚れを)減じて返す仕事だろうか.マイナスとプラスでバランスをとっているのだろうか、などと考えていたら、8 時 50 分になるとシャッターの支柱が店内から持ち出された.支柱が立てられてクリーニング店側のシャッターが下ろされ、表の灯りが消されて、そして製本店側のシャッターが下ろされ、鍵がかけられた.道路向う全体が暗くなって、私は何も見るべきものが何もなくなった.5 分ばかり経って、さきほどの店主が店の横から現れて道路を渡り、私の背後に並んだ.ほどなくバスがやって来て、私たちはそれぞれのねぐらに運ばれていった.

2008年10月15日水曜日

黒板が好きです

 講義を行うために教室に出向くと、大きなホワイトボードが部屋の前面を占めている.私はこのホワイトボードとボードマーカーというものがどうも好きになれない.まずホワイトボードは表面がてらてらしている.ものを書いてそれを人が見る場所の表面が無用な光の反射を許すなどということはよろしくない.それにボードマーカーというものは、一見しただけでは使えるかどうかが分からない.新品のような外見なのに、全く書けないものがあるため、講義の前にいちいち試し書きをして使えるものを選んでおかなくてはならない.全部使える見込みがない場合には『インクの補充は事務室で』と貼ってあるシールの指示に従って、慌ただしい時間帯なのに 5 階の講義室から 2 階の事務室まで下りてゆくはめになる.講義では話の流れや間というものが大切である.それなのに、ボードマーカーではいちいちキャップを外し、また直ぐにはめなくてはならない.たくさんの生物種の分布を異なる色で表したい時、グラフを色分けして表したい時など、忙しいうえに、間が悪くてかなわない.私はやっぱり黒板が好きだ.チョークが好きだ.人間味にあふれているし、夢がある.チョークの粉には閉口するし、チョークまみれの手をズボンの脇で拭いたりすると繊維から粉が容易には落ちなくなる.思わぬタイミングでチョークが折れることもあるし、黒板をきれいに拭き取るのも容易な作業ではない.それでも、黒板とチョークには、人のイマジネーションを刺激する何かがある.チョークが身をすり減らしながら黒板の上で色を出して滑ってゆくとき、手に伝わる擦れ合う感触や文字や図のできてゆくスピードが、何か人の感性によくシンクロするのではないだろうか.黒や濃緑の背景に粉で描かれる図や文字の方が、てらてらの白いボードの上のつるつるの文字よりも、何か重く説得力をもつような感じがするのである.

2008年10月14日火曜日

酔い止めの秘策

 うちの子供たちは 3 歳くらいまでは車酔い知らずだった.ところが、4 歳あたりから車の中で急に気持ちが悪くなって青い顔をすることがままあるようになった.時にはいきなり嘔吐することもある.子供の成長とバランス感覚と車酔いには何か関係があるのだろうか.乗り物酔いと言えば、その王様は船酔いだろう.我々の臨海実験センタ−で実施される臨海実習は春休みや夏休みの時期に筑波キャンパスの学生達が 4 泊 5 日や 5 泊 6 日の予定でやって来て、講義や実習を受けるものである.この折りに、たいていの学生は 18 トン 30 人乗りの研究調査船『つくば』に乗り込んで 40 分くらいの乗船時間で沖合プランクトンの採集を行う.海がかなり静かでない限り、学生の中に毎度船酔いの犠牲者が数人出る.そこで、私が最近学生たちに乗船前に授ける船酔い止めの秘策は次のようなものである.例えば同じ自動車に乗っている運転手と助手席にいる人の場合、同じ道路の上を走ってゆくにも関わらず、運転手はまず酔わないのに、助手席の人が酔うことはしばしばあるだろう.これは乗り物に対する働きが能動的か受動的かの違いによるものだと何かで聞いたことがあるのだ.自発的に乗り物を動かす時には酔わないということになる.これを応用する.船に乗った時に揺れたら、揺られていると思わずに、この船は自分が揺らしているんだと強くイメージし、そのように体を動かすのである.これだけで、相当船酔いに強くなる.本当である.試して頂きたい.

2008年10月13日月曜日

お会式の万燈を見逃す

 昨夕下田を発って東京に来たが、案の定大渋滞に巻き込まれて、ふつう 4 時間で移動するところを 6 時間以上要した.早めに到着したら、子供たちと連れ立って池上本門寺お会式(おえしき)の万燈(まんどう)を見に行こうと思っていたが、到着が遅くなったために見逃した. 本門寺は実家の近所であるため、私も小学生くらいまではよく見に出かけたし、万燈行列は今よりも遠くまで巡回していたようで、地域全体がもっとお会式に親しんでいた気がする.もっとも、実家周辺の下町エリアでは、古くから知り合いの家族のほとんどが転出し、いまやマンションと小さな 3 階建ての戸建建物が溢れて、『地域』というような意識は薄れてしまったのではないだろうか.

2008年10月12日日曜日

保育園の万国旗

 朝から午後2時まで、下の子の通う稲生沢保育園の運動会だった.保育園にとっては記念すべき第 60 回目の運動会で、わがファミリーにとっては 7 回目だ.運動公園の会場に入ってすぐ目につくのは会場中央のはるか高い所から 9 方向に放射状に広がる万国旗だ.ひとつのロープに 50 以上の旗があるように見えるから、総数は 400-500 枚くらいだろう.女房の話によれば、この万国旗は運動会毎に先生やサポーターのお母さん方で 1 枚ずつロープに取り付けるという.ロープの撚りを緩めて旗の紐を差し込んで固定してゆくのだそうだ.会が終了すると全て外して、洗濯してから収納するという.旗の中にはソビエト連邦のものも混ざっていたから、少なくともソ連崩壊前から繰り返し使っているものもあるのだろう.この保育園のそんなこだわりが、私は好きなのだ.

2008年10月11日土曜日

割れたハーモニカ

 ひとりでぽつんと楽器を練習していると、何かトラブルのあった時に、それがどれくらい普通でないことなのか、あるいはどれくらいよく起こることなのか、皆目分からなくて途方に暮れる.ハーモニカでも難しかったし、今でも難しい.メンテナンスについてはテキストにはあっさり書いてあることが多い.また、ある程度詳しく書いてあっても、自分の直面している状況への解がなくて、途方にくれることが多い.よくテキストに書いてあるのは、使用後は唾液をよくきって、マウスピース付近はよく拭いて、風通しのよい所にしまうとか、密閉容器に乾燥剤を入れてしまうとかである.また、ブルースハープなら、ときどき分解してリードプレートを歯ブラシでこすったり、洗剤で洗ったりするようにとも書いてある.クロマチックでは、分解法や手入れの仕方、ネジの外のチューブの交換法やスライドグリスの使い方などの裏技的なことなども最近の T 先生のテキストには書いてあって、これはとても嬉しかった.もっともっと早く知りたかった.でも、テキストに載っていなくて分からないことはいろいろとあるのだ.最初の頃、もうずいぶん昔だが、ハーモニカに使われているネジや本体のプレートがやたらに錆びるので、使用後によく拭いて風通しの良い所に置くようにしていたが、全く改善しなかった.これは、自分の唾液が特殊なものであるのか、その量が尋常でないのかなど、いろいろ考えたが、どうも分からない.下田に住んでいて、海に近いことから潮を含んだ空気が届いているせいかと思い、TCHS (東京クロマチックハーモニカソサイエティ)のメーリングリストに聞いてみたら、そんなことは聞いたことがない旨コメントがあった.でも、仕方ないのでタッパーに保存するようにしたら、収まったように思えたので、海風のせいだったのかもしれないと、とりあえずは納得した.でもタッパーでは湿気がこもるといけないと思い、タッパーにたっぷりのシリカゲルを入れて、クロマチックを大事にしまってきっちりとフタをしておいた.しばらくして取り出して、大きなショックを受けた.クロモニカ270 とメロートーンの木部が無惨に割れていたのだ.乾燥させ過ぎたわけで、2ヶ所割れているものもあった.安いものではないので、悲しくて、対処の仕方が全く分からないので、またTCHS のメーリングリストに相談した.すると、今度は早速お返事を頂けて、ままあることだから心配しないように、そして木工ボンドで補修するようにとのアドバイスを得た.この時は本当に嬉しく、教えて頂いた通りに補修して、すぐに復旧できた.そんなこんなで、あれこれ試みながら、自分なりの方法に行き着いて、今は保管している.ブルースハープはマウスピースをエタノールで拭いた後タッパーの中へ、クロマチックはマウスピースをエタノールで拭いた後タオルでくるんで風通しの良い室内へ、というところである.あとは時々の分解掃除だ.それでもクロマチックは時々黴びるし、何となく錆びやすい.そんなわけで、皆それぞれに自分の居場所で手入れの工夫をしていて、対処法が異なるためにメンテの正解のようなものがないのかなと思い始めている.楽器自体に手入れについての説明書の添付がないのもそのせいか、手がかかるからこそ可愛いのか、などと自分を納得させているのだ.

2008年10月10日金曜日

かくれ上手のホソワレカラ

 海藻に棲むワレカラにも、潜って観察した時に見つけやすいものと、なかなか探し出すことのできないものがある.海藻につかまる時に上半身を持ち上げるタイプの種類は比較的に見つけやすい.一方、ホンダワラ類の海藻などの枝に体を伸ばしてぴったりと身を寄せて、体色も居場所に似せたまるで海藻に溶け込むかのような種類では、その存在を知ることが難しい.写真は野外で見つけたホソワレカラの雌で、ヤツマタモクの枝につかまっているのだが、眼の所在に気付かなければ、見つけられなかったと思う.ホソワレカラは藻場にも見つかるし、流れ藻からもしばしば採集される.ワレカラたちがいかに巧みに隠れても、海藻をよじ登りながらギョロギョロとエサ探しをするオハグロベラのような魚類は欺けないことが多いようで、魚の消化管内を調べると見つかるワレカラの数は多い.

2008年10月9日木曜日

赤い光

 夕方にジャーナルゼミがあって、S 君が BMC Ecology という雑誌に掲載の興味深い論文を紹介した.ふつう海の中では水深が 10 m を超えたあたりから太陽光のなかの赤色成分がほとんど届かなくなり、深くなると青色と緑色から、やがてほとんど緑色成分の光に満たされた世界となってしまう.赤色というものがない世界なので、深所の魚たちは赤色を見る必要がないと考えられていた.ところが、魚の種類によっては海に届く青や緑の光を浴びて赤い蛍光を発しているという.しかもそれらの魚の近似種間では赤い光のパターンが違っていて、種間識別などにも使われているらしく、網膜に赤い波長帯に感度のある細胞も見つかっているらしい.派手な色の光を放てば捕食者にも居場所を知らせることになる.赤色は遠くまでは届かないので、控えめに発光して近隣の個体との信号交換に使うのかもしれないという.魚以外にも海の中の無脊椎動物には、サンゴ類、海綿類、ゴカイ類ほか赤色蛍光を発しているものがけっこう多いそうだ.むかし生物発光の研究をかじり、海の生物の発光原因についてあれこれ考えていた身としては、また視界の開けるような気がした.折りも折り、オワンクラゲの発光研究がノーベル賞を射止めた知らせが巷を流れた日のゼミだった.

2008年10月8日水曜日

白と黄色

 東京駅の14 番線ホームで、名古屋行こだま号の 5 号車寄りのほうの 4 号車の入り口の前に並んで、車内清掃の完了を待っていた.所在なくて前方を見上げると、左上の方におそらく40 階以上フロアのありそうなビルの上部が見えた.下の方は向こう側の駅舎に隠れていた.午後7時少し前だったのにそのビルには全フロアに蛍光灯と思われる灯りが点いていて、その灯りの色はほとんどが白かった.ただ、上から数えて8-9 番目の 2 フロアのみは黄色だった.おそらくレストランなどのフロアなのだろう.白い灯りは仕事用、黄色い灯りは寛ぎ用ということだろうか.そのあと乗車した新幹線の窓からしばらく外を見ていると、アパートやマンションでは白と黄色の窓がまだらになっていた.白い光の部屋に住む人たちと黄色い光の部屋に住む人たちは、何かしら違いがあったりするのだろうか.そんなことを考えた.
(写真は、14 番線 4 号車入り口付近から見た日中の同じビル)

2008年10月7日火曜日

低緯度と高緯度

 今日の生物多様性についての講義で、地球上の低緯度地域では高緯度地域よりも一般に生物多様性が高いという話をした.このことは、何となく当たり前のように思っているが、理由についてすっきりした答えを用意することは難しい.講義では、仮説をいくつか紹介した.すると、前回も質問をしてくれたHさんが、先生はどの仮説を支持するかと問うてきた.そこで、私は、代謝の高まりと共に世代時間が短くなり、早期成熟と短寿命化に伴って突然変異率が上がるために、種分化も生じやすくなるのだろうと、そう考えていると答えた.すると、低緯度での早期成熟と短寿命化は人間でもそうかと聞かれたので、その傾向はあるでしょうと答えると、貧困のためではないのですね、と聞き返してきた.なんだか不意を衝かれた気がした.

2008年10月6日月曜日

われらベントス

 伊豆海洋自然塾では、ニックネームで呼び合うことが多い.私は当初アオさんだったのだが、メールでやり取りするうちに何となく『ベンさん』に変わって来た.ベンはベントスのベンで、ベントスは浮遊生物のプランクトンや遊泳生物のネクトンに対して使われる底生生物を表す言葉だ.海の底に這いつくばって過ごすのがベントスだとすれば、陸上の大気の底で這いつくばって過ごしているわれらは、空気の底のベントスだ.空中を舞って移動する花粉や胞子や乾燥状態で休眠中の微小な生物たち、それに熱気球やら飛行船がプランクトンで、鳥や飛行機はネクトンといったところか.スノーケリングがあんなに楽しいのは、水中で空を舞う鳥の気分がひととき味わえるのが理由のひとつかもしれない.そういえば、ツリークライミングをして高木のてっぺんから他の木々を眺めたとき、それから岐阜大学の流域圏科学研究センタ−で樹冠研究用の高いタワーの上の空中回廊から森の木々を見下ろしたときは、スノーケリングで海中林の上をゆくとき、ガラモ場の上をゆくときとよく似た感懐があった.

2008年10月5日日曜日

海洋自然塾第5期生養成講座2日目

 早朝7時からの講座スタートに皆さんピタッと集合してくださり、私の講義がスタートした.休憩なしで2時間半の長丁場だったにもかかわらず、受講生の方々もスタッフ一同もお付き合い下さり、本当にありがたかった.引き続いてお昼までK氏の講義があり、講習会のプランニングやグループコントロールについてのアイデアは大いに役に立った.昼食後、ピンポイント予報通りの天気となり、午後から曇ってパラリパラリと雨が落ちてきた.浜に吹く風も強くなってきたけれど、受講者もスタッフもスノーケリングのグループ指導、リーダーとしての引率、海面曳航、溺者の陸への引き揚げなどの練習に熱中していた.休憩時間にいただいたカフェオレとチョコレートが実に美味しかった.浜での実習のあとはH氏が心肺蘇生の実習を行い、皆で会場の清掃をして、5時半ごろには閉講式となった.受講者とスタッフが午後6時過ぎに全員門を出るまで、雨は本降りになるのを待っていてくれた.実に濃密な2日間を過ごし、心に清々しい明りがまた一つ灯った感じがする.

2008年10月4日土曜日

海洋自然塾第5期生養成講座1日目

 船上から我々のスノーケリングの監視をしてくれていたセンタ−スタッフの T 氏が、海底の岩礁上にハタタテダイとソラスズメダイがいるのが見えているから、そちらに向うようにとアドバイスしてくれた.今日初めて海に入った I さんを囲んでゆるゆると海上を進んでいた私たちは、おまけにコロダイの幼魚も見ることができて、まずは大喜びだった.本日午後の鍋田海岸は湖のように静かで透明度も高く、水の中にいるのが途方もなく心地良かった.
 伊豆海洋自然塾第5期生養成講座の初日は好天とほぼ定員に近いたくさんの参加者に恵まれ、私はなんだか温かな心持ちで過ごすことができた.スノーケリングに先立って、午前中はK 講師による自然体験活動のコンセプトについての話があり.スノーケリングの後は夕食後、堤防での灯火採集とウミホタルの採集、引き続いてそれらの顕微鏡観察を行った.午前9時にスタートして午後9時ちょっと前に解散となった.スケジュール的には少々ハードだったが、ふとしたきっかけで集ったいろいろな生業の人々が一緒に時を過ごし、それが楽しいものであれば、ほんとうに素敵なことだ.

2008年10月3日金曜日

研究室名略称の秘密

とても下らない話なのだ.
研究室の略称名を新規 HP に掲示した.この名には秘密が隠されている.下田海洋生態学研究室ということで、Marine Ecology Laboratory in Shimoda で、MELS とした.『メルス』なので、逆さに読むと『スルメ』である.かめばかむほど味が出る.なんだか良いではないか.まだある.MELS の真ん中に I を加えて並べ替えると、SMILE になる.真ん中に愛があれば、微笑みが生じる.ますますもって、良いではないか!


2008年10月2日木曜日

研究室のホームページを一新

 研究室のホームページを一新した.卒業生が作ってくれた何代目かのホームページはここしばらく更新がなく、書いてある内容も古いものになってしまっていた.公開しているだけにとても恥ずかしくて、でも、公開をやめてしまったらホームページの作成はもう二度と行わない気がして、プレッシャーを感じながらそのままにしていた.ここしばらくの間に自分のホームページを公開し、ブログを書くようになって思ったことがある.ホームページへの情報公開やブログへの投稿というものが、人に情報を提供する機会であると共に、自分の考えをまとめたり人に伝える工夫をしたりする機会として有用なものであることに、やっと気付き始めた気がするのである.かつて恩師のひとりであるW 先生に「送電するためには発電が必要である」と言われた.これは教育と研究についての関係を示す言であると共に、研究成果の発表と研究の関係であると考えていた.十分な送電を行うために、十分な発電が必要になる.深い知識に根付いた本当の教育をしっかり行おうとすれば、自ら新規知見の発掘をしつつ勉強をして、それに備えねばならない.論文執筆や学会発表をコンスタントに行うことを自分に約束するなら、それを目指して調査や実験を行って解析すべきデータを蓄えなければならない.同じことで、Web 上に情報を公開することを決めれば、それを意識したネタ探しや情報整理を行うようになる.アウトプットの促進が生産性を高めるのであった.個人にとってそうであれば、研究室でも同じことだろう.研究室ホームページを整備して、そこを窓としてWeb 上への有用な情報の提供ができるように努力すれば、新陳代謝が高まって、生産性がより向上するに違いない.完成した研究室ホームページは、素朴な作りではあっても、私には嬉しい大きな窓である.有効に活かしてみたい.

2008年10月1日水曜日

ワレカラモドキはなぜモドキ?

 図鑑に写真が掲載されているせいか、ワレカラモドキはダイバーさんたちによる認知度がけっこう高い種類である.ワレカラの仲間としては 3 cm を超えるサイズのものもあって大きめだし、シロガヤやアカヤなど大きめのヒドロ虫の群体の茂みに隠れているので、比較的に見つけやすい.体色はすみかとするヒドロ虫の色に似ている.この種の大型の雄では、体の前に構えるカマ(第2咬脚)も大きく、その構え方が非常に好戦的な感じで、顕微鏡で拡大観察すると、目が合った時にちょっと怖くなる.いかにも立派なワレカラなのに『モドキ』が付くのにはわけがある.海藻などにすんでいる日本産のほとんどのワレカラの種類は同じ属に入っている.属というのは同じような種をまとめた上位の分類群であるCaprella 属というのがその分類群でキャプレラともカプレラとも読めるのだが、ワレカラモドキはこの属に収まる種類ではないのだ.体の半ばにある2対の鰓の上部に、Caprella 属では何も無い.これに対して、ワレカラモドキの属するProtella 属では、脚の痕跡と考えられる突起が鰓の上にそれぞれ1個ずつ付いている.そんなわけで、ワレカラとはちょっと違った少数派ということで『ワレカラモドキ』となっているわけだ.雌親は生まれた子供を体にしばらく乗せておく子守行動を示すようだが、その期間や意味合いについては、まだ何も分かっていない.

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