2008年7月25日金曜日

あんぱんとブラックコーヒー

 あんぱんをかじりながら熱いブラックコーヒーをすするのが、大好きだ。いつの頃からか、私にとってのベストマッチのひとつになった。あんぱんは薄皮のものよりも、大きくて皮が厚めのほうがよい。口の中でパン皮にブラックコーヒーがしみ込んで、かみつぶしてゆく餡と混ざってゆく感じがたまらない。パンの表面に散らしてあるのは正統な芥子粒よりも黒ゴマの粒の方が、香ばしくて嬉しい。10年前の3月半ばのこと、私の長男は私が熱海駅での乗り換えのとき、自販機のカップコーヒーをすすっている最中に生まれた。初めての子供が生まれそうだとの連絡をもらって、東京の病院に大急ぎで向う途中だった。気は急くのに電車は来なくて、ホームの上はなんだか寒くて寂しくて、それで熱い熱いコーヒーが欲しくなった。もちろん、誕生時刻にコーヒーを飲んでいたことは、あとで分かった事だ。それ以来、熱海駅で乗り換えの時に少しでも時間があると、すぐにカップコーヒーを買ってしまう。あの時の気持ちがフッとよみがえるからかもしれない。近くのコンビニや売店で買った大きめのあんぱんがカバンに入っていれば、取り出してコーヒーのお供となる。

2008年7月23日水曜日

ノルマンタナイスこんにちわ

 砂粒の間から顔をのぞかせているのは、ノルマンタナイスのオスだ。アンテナを V 字に伸ばして、大きなハサミを前に構え、黒ゴマっぽい眼で外を眺めている。ノルマンタナイスは『タナイス』の仲間で、ヨコエビやワレカラやフナムシなどを含むフクロエビ類という小型甲殻類グループの一員である。このオスの体の大きさは 3ミリくらいで、砂粒の塊は彼が自分で造った巣である。巣の全体は筒状で、中のトンネルに体を潜らせている。巣材は砂粒に限らず、泥や海草の破片など適当な大きさや材質のものであれば何でも結構だ。自分の出す粘液を上手に使って、ものの30分ばかりの間に巣造りする。実験室で1匹のノルマンタナイス君を海水の入った小容器に入れて、極細粒のガラスビーズを少量与えてやる。すると、まもなく美しいトンネルを造ってくれて、その中で動きまわる様子がほんのり透けて見える

2008年7月12日土曜日

ブルースハープの快感

 やっぱり息を使う楽器がよいと思う。私にとってはハーモニカだ。ギタリストもバイオリニストもピアニストも手指を駆使して楽器に溶けるような姿で演奏し、楽器と自分は一心同体だとしばしば語る。でも、自分の体から吹き出した空気を操って、楽器の中に吹き込んで音をつくると、なにか楽器が体に吸い付いて来るような感じがする。これは息使い楽器独特の感じではないだろうか。でも、演奏しながら音に酔いしれた感じの表情をしてみせたり、観客席に向ってにっこり笑いかけてみせたりすることができないのは、ちょっと悔しい。ブルースハープはやはり音をアナログに上げ下げするベンディングが楽しい。出したい音をベンディングして探る。ちょっと口笛に似て、その自由な感じがいい。たった10穴の小さな楽器から出したい音がほとばしり、我を忘れてブロウするとき、快感が突き抜ける。

2008年7月6日日曜日

長いトンネル

 先週末の沼津からの帰途、夜の東海道線に乗って熱海に向った。目的地には終電での到着になる遅い電車だった。少しアルコールも入っていて本が読めないし、座ったら眠ってしまいそうだったので、立ったまま携帯でメールチェックを始めた。函南を出てしばらくすると、携帯画面のアンテナが全く立たなくなって、長く回復しない。窓の外をよく見ると、トンネルの壁の小さなライトが窓の外を列をなして飛ぶように過ぎてゆく。それで思い出した。丹那トンネルだ。吉村昭の『闇を裂く道』にでて来たトンネルだ。当時掘られたそのままのトンネルかどうかは分からない。確か初めて行われた人力による掘削貫通のあと、機械掘削で何本か掘られたようなことが本にも書いてあった。でも、少なくともこの辺りがあの大事業の現場だろうと思った。70名近くが事故で落命しながらも15年以上をかけて掘られたトンネル、大正時代につるはしで掘り始められたトンネルだ。切符を買ってじっとしているだけで、私たちは空間移動ができる。でも、それを可能にした人たちの労苦、可能にするために陰で働き続ける人たちの努力に、思いを馳せることなど滅多にない。鉄道然り、道路も然り、橋や建物も然りだ。そうか、社会の便利のすべてが、誰かにそっと支えられているわけだな。そういえば最近丹那牛乳の売り上げが伸びていると聞いた。丹那トンネルの貫通で地下水を失ったのが丹那での酪農のきっかけだそうだ。丹那の人たちは水を失い、抗議して戦って、やがて、稲作に代えてやむなく酪農を始めたという。トンネルができなければ、丹那牛乳もなかったことになる。不思議なことだ。そんなことを、トンネルを抜けるまでの間に考えた。トンネルを抜けるとメールが読めるようになった。

2008年7月3日木曜日

銀閣のあばら骨

 デジカメのメモリーがいっぱいになったのでパソコンに読み出したら、ヘンテコな写真を撮っていたことを思い出した。5月に京都に行ったとき、用務先からちょいと足を伸ばして昼食どきに銀閣寺に出かけた。27日のことだ。訪れたのは修学旅行以来ではないだろうか?渋い姿が池に映える姿に心癒してもらおうと思って出かけたのに、銀閣は無惨、あばら骨むき出し状態であった。屋根の葺き替えということだったのだけれど、近くに寄って覗いてみると、ほとんど原形をとどめないようなお姿で、なんだか気の毒になってしまった。銀閣に、しっかり頑張るように声をかけて、励まして帰ってきた。

2008年7月1日火曜日

カジメがかわいい

 2001 年から毎月計測して、生長の様子を見守ってきたカジメたちがある。カジメというのはコンブの仲間の大型海藻で、かたちは海の中の椰子の木みたいな感じだ。岩の上に根を張って固い茎を立てて、その先端に茶褐色の葉を茂らせる。でも、陸の椰子の木とはちがって、大きくても高さはせいぜい 2 m 程度なのだ。カジメがつくる海の森は生物の寄り合う場所なので、海辺からカジメがごっそり無くなったりすると、生き物たちもごっそりいなくなる。そんなわけで、カジメを大事にする必要があって、ずっと調べている。いつどんな時によく育つか、どれくらい生きるか、どんなふうに子供を分散させるか、競争はあるか、動物とはどんな関係にあるか・・・などなど知りたいことは尽きない。そんなわけで、毎月水深 10 m まで潜っていって、決まったカジメたち 60 本ばかりの生長データをとってくる。カジメにもずいぶんと個性があって、ノッポや太ったの、スベスベできれいなのやできものや付着物で被われたもの、真っ直ぐ伸びたものやなんだかグニャグニャ曲がったもの、などいろいろある。違いが分かるので、毎月眺めていると、なんだかかわいく思えてくる。8 年目になって、最初の頃の個体はほとんどが死んでしまった。寿命は長くても 6-7 年程度なのだ。でも、その後植え足したものたちもあり、自然に生えてきたものもあって、まだまだ付き合いは続いている。カジメ君たち今月も会いにいくよ!

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