2008年12月31日水曜日

とうとう大晦日

 なんにしても、無事に一年を終える事が出来た.本当にありがたい事である.だから、大晦日にはしっとりと一年を振り返り、新年に向けての決意を固め、期待に胸を膨らませたいと思っていた.でも、遅い時間に起きて、デスクワークをあれこれやって、姪っ子たちがやってきて、賑やかになって、ふと何時かしらんと思う頃には、紅白歌合戦が終盤に差し掛かっていた.姪っ子たちに付き合っての 2 会場で観客数が 10 万人になるというというジャニーズ系のすさまじく賑やかなコンサートを見て、カウントダウンと共に新年を迎えた.観客のほとんどが女性であるのを見て、こんなに女性ばかりで、会場のトイレは足りるのだろうかなどと心配しているうちに新年になった.

2008年12月30日火曜日

女房に命を預ける

 前夜の睡眠時間が 1 時間になってしまったため、東京までの行程のとりあえず最初半分は運転を女房に頼む事にした.私は 3 列シートの最後列に荷物に埋もれてうずくまり、惰眠をむさぼり始めた.ほんの 30 分のつもりが、ふと気がつくと、もう東京都内に入っていた.通常は私が一人で運転する経路で、お客さんになった経験はほとんどなかったのだが、年の終わりにしっかりと女房に命を預けさせていただいた.おかげで、到着してすぐに実家の清掃奉仕に参加する事が出来た.感謝至極である.

2008年12月29日月曜日

嗚呼!年賀状

 郵便局は 25 日までの投函を呼びかけていた.毎年早めに出してしまいたいと思いつつ、今年も年賀状の印刷がぎりぎりになってしまった.データベースにチェックを入れて、家庭用や仕事用、子供用の数種類の図案を作って、夕方から印刷を開始した.プリンタのトレイに一度に 50 枚しかセットできないし、インクも無くなるかもしれない.紙詰まりのトラブルも起きるかもしれない.そんなわけで、なかなか自宅のプリンタから離れる事が出来ない.夜が明けたら午前 5 時発で東京に行く予定でいるために、プリンタの性能が私の睡眠時間の制限要因となった.しばらく面倒みられなくなるウミホタルに餌をやりに行って、旅支度を終えて帰宅して、ようよう床に就いたのは、午前 3 時半だった.起床予定時刻は、4 時半なのだ.年賀状のやり取りの廃止宣言をした人、年賀状をいつの間にか出さなくなった人々も最近増えてきている.来年の暮れはどうしようか.思案のしどころである.嗚呼、年賀状!

2008年12月28日日曜日

伊豆多賀下車

 昨日の夕刻に伊豆多賀駅で下車し、大学時代のサークルメンバーと伊豆多賀駅近くのリゾートマンション 5 階に集った.眼前には初島の見える海がドーンと広がっていた.食材の買い出しを行って準備をして、海鮮鍋をつつきながら、 20 年近い時間のギャップを埋めるべく、話しを始めたら、まことに話題が尽きない.過去の思い出話にも花が咲いたが、大学時代の告白話や大学以降の仕事の話、趣味の話などなど果てしなかった.興味深かったのは、趣味や特技などについては、長い付き合いであったのに案外お互いに知らないことが、まだかなりあったことだ.サークル関連で接点のあること以外には、お互いに突っ込んだ話をしていなかったことに、今になって気付いた.当時は分からなかった人間関係の謎解きが、あれこれできたことも愉快であった.話しくたびれて深夜 2 時に倒れ込むように眠り、朝 8 時に起きるやいなや、朝食がてらふたたび話が始まって、気付いたら夕方になっていた.自宅にはついつい連絡をとらずにいたので、女房のお叱りを受けた.久々に長い時間話し続け、笑い続けた.年の終わりに、心の中を、懐かしくも清々しい空気が駆け抜けた.

2008年12月27日土曜日

巡視船見学会

 午後から、家族とともに海上保安庁下田海上保安部の巡視船見学会に出かけた.保安庁の仕事についてのビデオを見せてもらった後で、停泊中の 2 隻の巡視船の甲板や船内を案内して頂いた.私たち家族は、まず 540 トンの『かの』、つぎに 960 トンの『するが』を見学した.すっきりと青く晴れ渡った空と静かな海を望みながら、甲板から船の舳先越しに港内を眺めると、晴れ晴れと気持ちよかった.かなり高さのある上甲板からは、ふだん経験しないアングルからの下田の風景を見ることができた.船内では調理場やマップルームを覗いたり、ブリッジでレーダー画面を見たりしたあと、機関室も見学させてもらった.家や学校とは全く異なる空間構造の船橋や船室を見て、女房も子供たちも、ずいぶんと非日常的な空間に身を浸すことができたように思う.

2008年12月26日金曜日

またも伊豆多賀

 大学時代のサークル仲間が年末に集うことになった.11 月に亡くなったメンバーの追悼の会でもある.みなそれぞれに多忙であるので、日程調整をはかったら、仕事納めの翌日になってしまったらしい.ほんのひとときの邂逅だが、東北からはるばるやって来る人もいる.場所は熱海の近くにある仲間のひとりの別宅である.住所を聞いて最寄り駅を調べたところ、伊豆多賀駅だった.またも現れた伊豆多賀である.熱海方面に向かう時の、伊豆多賀駅を少し過ぎたところにある『不動トンネル』が、昨日ブログ内に登場した『高熱隧道』掲載のトンネルなのだろうか.地図を見る限り、他に該当するものは見当たらないが、定かではない.私は海産物やら菓子箱やらを携えて、ついに伊豆多賀で下車することになりそうである.

2008年12月25日木曜日

伊豆多賀だ!

 今日、夜の電車で筑波から帰ってきた.熱海から伊東線に乗って、文庫本を読んでいた時のことである.ふいに、文章の中に『伊豆多賀』という文字が出てきた.読んでいた本は、吉村昭の『高熱隧道』で、第二次大戦直前の黒部峡谷で発電所建設のために温泉の噴き出す地帯にトンネルを掘ろうとした人々の話である.富山県が舞台の物語で、よもや伊豆の地名が出てくるとは思わなかったので、びっくりした.日本では、温泉湧出地帯の岩盤温度が摂氏 60 度になる場所でトンネルを貫通させた例は少なく、伊豆多賀で貫通されたものが数少ない例として有名だ、と挙げられていたのである.「お~!伊豆多賀が出てきた」と思って、ふと今どこを走っているのだろうと駅名を見たら、伊豆多賀を出たところだった.馬鹿げた偶然で、だからと言ってどうということはないのだけれど、こういう些細な偶然に直面した時には、そばに人にいてほしいし、その偶然について話したい.話したくてうずうずしてしまうのだ.でも、話し相手はいなかった.だから、ここに書いて、皆さんにお知らせしたいのである.「すごい偶然でしょ!」と.

2008年12月24日水曜日

仁王立ち

 先週、筑波からの帰りに熱海から伊東線に乗った時のことである.終電の2本ばかり前の時間だった.次第に空いてきた車内に乗り込んできたひとりの20歳代前半くらいの男性が、空席の多い車内でしっかと仁王立ちで立っていた.明らかに忘年会の帰りの様子で、顔が赤くて眠そうだった.ここでもし座れば、絶対に寝過してしまうと思って頑張っているのだろう.私にも同様な経験が幾度もあるので、同情してしまった.こんな時に、ちょっと休もうと思って座席に腰をかけると、もういけない.一昨年のこと、沼津方面から熱海に戻ってきて、下田に向かう終電に熱海から乗った時のことである.少々飲んでいたので、結構しんどくて、伊東までなら短時間だから、ちょっと腰かけようと思って、座ってしまった.ところが、次は伊東だというアナウンスまで聞いて一度記憶が途切れて、皆の降りる気配で電車から降りてみたら、なんと熱海だった.伊東でおり損ねて、電車が折り返してしまい、熱海まで戻ってしまったのだった.もう、下田まで戻る術はないので、行けるところまでタクシーで行こうと思った.しかし、いざタクシーで走り出すと、すぐにメーターが5千円を超してしまい、こりゃいかんと思って降り、女房を起こして、伊東あたりまで迎えに来てもらった.あれ以来、私も、飲んだら電車で決して座らない.飲んだら座るな、座るなら飲むな、である.車内で仁王立ちだった彼は、伊東に着くまでに無事に電車を降りたようだった.安心した.

2008年12月23日火曜日

自由な象と鯨

 18 世紀のアウトサイダー的絵師である伊藤若冲が、八十歳台の晩年に描いた大屏風が見つかったらしい.伊藤若冲といえば、今年の 7 月 24 日に出かけた東京国立博物館での『対決 巨匠たちの日本美術』で、とても印象的な 2 つの絵を見た.『仙人掌群鶏図襖』の生々しいまでによく描き込んであってリアルな鶏の姿は何やら怖い感じで、サボテンと鶏という構成要素は現実のものなのに、全体をみると決してこの世のことでないような、不思議な印象があった.『石灯籠図屏風』の方も、まことに奇妙だった.石灯籠がスーラの絵のような点描になっていて、でも、絵の全体は点描ではないので、石灯籠の存在に何だか胸騒ぎというか妙な高揚感を抱いてしまう.日本画とか洋画とか時代とかいろいろな流派とか、そんなものを飛び越えたのびのびしたものを感じた.こんなに面白い屏風絵は、江戸時代にどんな家のどんな空間に置かれていたのだろうか.時を遡って、その空間を覗いてみたくなった.今回見つかった屏風絵は 6 曲 1 双で、右隻に象、左隻に鯨が描かれている.これらは鶏にみられるようなリアリティーとはかけ離れていて、象はブルーナのミッフィーシリーズに出てくるぞうさんのようだし、鯨にはふつうの魚のような背びれがついている.でも、何ともいえずに晴々して、自由な感じがするのだ.「写実なんかもうどうでもいい、海と山にある大きな自由というものを描くんだ!」という感じの、静かだけれどもほとばしるエネルギーが感じられる.人生の終末までに、こんな絵を 1 枚でも描くことができたら、どんなに素晴らしいだろうかと、思わされた.

2008年12月22日月曜日

段ボールのトランスフォーマー

 最近、こちらで顕微鏡を購入した折りに、たくさんの梱包用段ボール箱を業者が置いていった.大小いろいろな大きさのものが山積みになっていた.顕微鏡を構成する部品は多く、精密機器であるために、どの部品も別個に梱包されてくる.そのため、たとえ 1 台の顕微鏡であっても必然的に段ボール箱の数が多くなる.今回は実習用にまとまった数の顕微鏡を購入したため、箱の数もかなりのものであった.これまでの経験では、このような大小の段ボール箱には、いろいろな形状の白い発泡スチロールが組み込まれていて、ゴミに出す時は粉が飛び散るのを気にしつつ、適当な大きさに砕きながら市指定ゴミ袋になんとか詰め込んでいた.今回も、そんな作業を覚悟していた.ところが、箱を開けてみると発泡スチロールの姿はほとんど見られなかった.わずかにコーナーの押さえや、箱のすみの充塡材に使われている程度である.発泡スチロールに取って代わっていたのは、段ボールだった.複雑な立体の顕微鏡部品を箱の中でうまく保持するために、込み入った構造のくぼみが必要になる.それを段ボールをうまく折り込んで組み上げることによって実現していた.しかも、驚いたことには、かつての発泡スチロール片の一塊に相当する段ボールブロックの一塊をほぐすように開いてゆくと、 1 枚の大きなダンボール紙に展開できるのである.組み立てには糊もテープも使われておらず、全てはめ込み式なのだ.コンピューター上で、CAD(コンピューター支援設計) のようなもので設計するのだろうか.ちょっとした芸術品である.いっしょに作業をしていた S さんは「これは、まるでトランスフォーマーのようだなあ!」と感嘆していた.かなり高度な折り紙のようなもので、これができるのなら、たいていの形は 1 枚から組み上げることができるのだろうと思われた.あまりに良くできているので、大きくて形の美しいものを 4 種類ばかり選んで、子供たちへのみやげに持ち帰った.子供等は大変に喜んで、開いたり閉じたり、おもちゃの飛行機や自動車の基地にしたりして遊び始めた.一方、年末のゴミ減らしの時期に、余分なゴミを持ち込まれた女房には、にらまれてしまった. 

2008年12月21日日曜日

ウミホタルとの3ヶ月

 9 月 17 日に採集したウミホタルの飼育を始めて 3 ヶ月が経過した.初代ウミホタルはほぼいなくなり、10 月に飼育下で誕生した『海を知らないウミホタル』が、肉眼で容易に確認できるくらいの大きさ (1-2 mm くらい?)になってきた.狭い水槽内に 50 匹以上は確実に居ると思うのだが、全数の確認は当分難しそうだ.エアコン不使用の研究室で室温条件で飼っているためか、成長はけっこうスローな気がする.海を知らないこの子らが無事に成熟して 3 代目が生まれてくれれば、飼育の甲斐もあるというものだが、まだまだ油断ならぬ状況である.まずは春まで飼育を無事に続けるのが目標だ.そして、できるなら 1 年間飼育を続けて、後につなげたいものだ.

2008年12月20日土曜日

そろそろ大掃除

 職場の忘年会が昨夕終わり、今日から明日にかけては自宅の大掃除だ.私は海水魚の水槽をすっかり掃除し、クサガメの水槽掃除も終えた.海水魚水槽には 9 月に採集したケブカオウギガニとシロウミウシ、それにイボニシたちが残存していて、無事に新年を迎えることができそうだ.カメたちは 7 年以上を経て体も大きくなり、衣装ケースの水槽がいかにも窮屈そうな感じになってきた.しかし、寒い時期にはヒーターを入れたこの容器で我慢してもらわざるを得ない.水槽掃除後は、オーディオ関係の整理やゴミ出しを行い、自宅デスク周辺の片付けも実施した.女房と子供たちは、分担を決めて部屋掃除を始めたので、私は年賀状関係の仕事を進めることにして、オフィスに待避した.やれやれ、これから 1 週間がまことに大変だ.

2008年12月19日金曜日

カジメの寿命

 本日は 1 ヶ月に 1 回のカジメ定期計測日だった.午前中のうちに計測作業を終えた.先月のニュージーランドでの学会では、この 8 年間に毎月潜ってとり貯めたデータを、カジメ人工群落の個体群過程という観点から整理して発表した.全部で 100 回くらい潜って得たデータなので、量も膨大でいろいろな切り口から整理できるのだが、今回は生残率や寿命を中心にまとめてみた.このシリーズの研究での初めてのデータ解析と学会発表だったのだが、面白いことがいくつか分かってきた.そのひとつがカジメの寿命だ.2001 年の年初に 60 株を人工基盤に移植したのだが、いまだに生き残っているものが 3 株あることがはっきりしたのだ.移植した時点で 1 歳だったから、現在 8 歳を超えて、間もなく 9 歳に達することになる.私の知る限りでは、カジメの寿命は最長で 7 年程度と言われているはずだったから、これは驚きである.天然岩礁でなく、高さ約 60 cm の人工基盤上にあって、物理的撹乱や摂餌の影響などを受けにくそうであるのも長生きの要因でありそうだが、本当の理由については今後の調査によって調べるしかない.これまでの計測記録の中では、茎長が 70 cm を超えるものもあったのだが、長生きの個体はいずれも茎がその半分程度の長さだった.小型の方がしぶとく生き続けることが容易なのかもしれない.なぜなのかは分からないが、これも興味深い事実だ.調べるべきことは、まだまだたくさんある.

2008年12月18日木曜日

ウェリントンの風

 昨日の疑問について、ひょっとして Web から情報が得られるかもしれないと思い『ウェリントン・風・傘』でグーグル検索してみた.すると、答えはすんなり出てしまった.まことにあっけないものである.いくつかのサイトで取り上げられていて、下記のものが分かりやすい.
http://www.c-player.com/ac45475/message/20061123?format=time
ニュージーランドの中でもウェリントンはとくに風が強く、傘がすぐに壊れてしまうそうだ.地元の人で日常傘を使う人はまずいないという.あの街で傘をさしているのは旅行者のみらしい.傘を拡げていた私たちがどんなふうに見られていたのかと、今になって想像してみると、気恥ずかしい思いだ.それにしても、日本の方々は世界の津々浦々まで行き渡って、様々な経験を積み重ねておられるのだな、と日本に張り付いている期間の方がはるかに長かったオジサンはあらためて感服してしまった.

2008年12月17日水曜日

ウェリントンの雨

 一昨日から筑波に出かけたら、昨日から雨になった.久しぶりの筑波キャンパスでの雨だった.雨を見ていて思い出したことがある.先月行ったニュージーランドでのことだ.ウェリントンで 1 日だけ雨に降られた日があった.到着して間もない日で、大学院生の I さんと雨の中をこともあろうに道に迷って小一時間歩き回った.私は、知らないところで深刻でない程度に道に迷って彷徨い歩くのは、けっこう好きなのだが、I さんは参っていた.雨の中、わたしは常備の折り畳み傘をさして歩いていた.I さんも自分の拡げた傘の中にいた.私たちは、ケーブルカーから降りて、丘の斜面の住宅街を通って、大学のキャンパスを通って、墓地を抜けて、ハイウェイに架かる陸橋を渡って、そして市街地へと抜けていった.その間、いろいろな人に行きあったのだが、不思議なことに誰ひとりとして、傘をさしている人がいなかった.住宅街から近所に歩き出たらしい女の人も、キャンパスの中の学生さんたちも、公園墓地の中を歩くカップルも、市街地のビジネスマンたちも、ひとりとして傘をさしてはいなかった.皆、レインコートかパーカーのようなものを羽織っていた.あれは、偶々のことだったのか、それともあの土地では傘をさす習慣がないのか、いまだに分からない.そういえば、ウェリントンは『風の街』と呼ばれているそうだ.そのことと関係があるのだろうか.

2008年12月16日火曜日

足に泥がつかない

 下田から筑波大まで 4 時間以上かかる.その間に移動する距離はたいそうなものである.しかし、出発地点から到着地点に至るまで、足にはほとんど泥が付くことがない.大学の研究棟の建物に入っても、宿泊所に予約した部屋に入っても、それらの場所の床を汚すことはまず無い.むしろたまに泥の付いた靴で上がった者があると、その人ひとりが目立ってしまうくらいである.足に泥がつかないということは、私の歩いた場所の地面が全てコンクリートで覆われていたということだ.当たり前のことなのだけれど、そんなに地面を覆ってしまっても、大丈夫なのだろうかと、時々思うことがある.本来太陽の光を浴びるべき地面が覆われているために生態系というものに生じる不都合とはどれほどのものがあるのだろうか.太陽光発電で太陽電池パネルが将来地球の遊休地を広く覆うことになるだろう.本来地面が浴びるべき光エネルギーを奪ってしまっても何も害はないのだろうかと、そんなことが心配だ.そんなことはとっくに誰かがしっかり研究していてくれるのだろうけれど.

2008年12月15日月曜日

携帯ラジオ

 私は、自分が運転していない時には車に酔いやすい.自家用車やバスの中で本など見ようとしようものなら、たちまち気分が悪くなる.どうも俯く体勢が良くないらしい.車の中で地図を見る時はなるべく上の方に掲げるようにする.それでも長い時間見ているのは無理である.そんなわけで、バスの中では本が読めない.東京から筑波に向かう高速バスの中などで、本や論文を読んでいる人を見かけると、つくづく羨ましくなる.長距離バスの中ではずいぶんと時間がある.考えごとばかりしているのも何だか疲れる.iPod にイヤホンを付けて音楽を聴いていても良いのだが、どんなにたくさんの曲を入れておいても、いずれも既知の曲である.疲れている時などに音楽に浸るためなら良いのだが、何かしら新しい情報を頭に流し込みながら時間を少しでも有効に使いたい時には、聞き覚えのある曲を繰り返し聞くのは少し悲しい.役に立つのはラジオである.私の仕事鞄には、いつも携帯ラジオが入っている.イヤホンが本体収納式になっていて、使用時には引っ張って引き出し、収納時にはボタンを押してスルスルと中にしまい込む.FM, AM, TV 音声 を受信できる.バスに乗る時には、こいつが頼もしいし、楽しい.いまどきのイヤフォンと違って、片耳しかふさがれないことにも安心感がある.とくに AM 放送は情報量が多い.ふだん考えもしないような内容を聞くことができる.今夕、東京駅から筑波大に向かうバスの中では『世界の観光地の専門日本語ツアーガイドが現地で行っている観光ガイドをやってみせるシリーズ』というのを聞いていた.今回は、ナイアガラの滝のガイドだった.観光客を楽しませるためによく練られたエピソードとその語りは、大変に興味深かった.授業や自然観察会での話の仕方に活かせるかもしれないと、ちょっと思った.携帯ラジオの出番は他にもある.新幹線の中では、FM ラジオで音楽放送チャンネルを受信することができることもある.それに、何か災害があった時にも、ラジオが身近にあれば、デマに惑わされず情報収集を行うことができるだろう.携帯ラジオは偉いヤツなのである.

2008年12月14日日曜日

ハリガネムシの季節

 バッタやカマキリの姿が見えなくなると、地面のあちらこちらに黒いビニール紐のもつれたようなものが転がっているのが、かなりの頻度で見つかるようになる.水分が無くて光沢があって、とても生き物には見えないのだが、これを水の中に放り込むと、見る見るうちに吸水して膨らみ、のたくり始める.昆虫の腹から脱出したハリガネムシたちが、干涸びた状態で水を待っていたのだ.水を与えられない状態でどれくらい生き続けるのか知りたいところだ.それにしても、不思議きわまりない生き物だ.こんな綱渡りのような暮らし方をして、よくぞこれまで種として存続してきたものだ.寄生生物が寄主を操ることがあるらしいから、ハリガネムシたちも自分たちの都合の良いようにカマキリたちを操縦しているのかもしれない.

2008年12月13日土曜日

ラップだったなんて

 『俺ら東京さ行ぐだ』という歌謡曲がある.吉幾三がもう 20 年以上も前に歌って大ヒットした曲だ.この曲のカバーがまたヒットしているらしい.なんでも若手のラッパーがカバーして、それに吉幾三自身も協力しているという.これに関連して新聞の日曜版に面白い話が載っていた.そもそもこの曲の誕生は、吉幾三がスランプで体調を崩して病床にある時に聴いたレコードがひとつのきっかけになっているらしい.友人がたまたま持って来た海外のレコードをなんとなく聴いていて、その時の記憶が『俺ら東京さいぐだ』の作曲の時に甦ったのだという.その時のレコードがラップであったらしい.なるほど、聞き返してみれば『俺ら東京さいぐだ』はラップである.あの頃は、私の知る限りでは『ラップ』という音楽は日本国内では一般的ではなかった.泥臭い演歌だと思っていた曲は、海外の音楽と日本の演歌が癒合した日本産ラップのはしりだったのだ.吉幾三がもし病床でラップの洗礼を受けなければ、日本産ラップの誕生はもっと後になっていたかもしれない.私にも少しばかり似た経験がある.十余年前に腰痛で 2 週間ばかりの入院治療を余儀なくされていたとき、ひょんなことから病床でマイルス・デイビスのトランペットの演奏を聴いて、突然ジャズにはまってしまった.それまで、ポップスや歌謡曲にしか興味のなかった私にとっては、ある日突然ジャズが空から落ちてきたような感じだった.新鮮な経験だった.どうも、ひどく深刻ではない病床にある時というのは、心が白紙に近い状況、いろいろな情報を吸収し易い状況を得易い傾向があるのかもしれない.入院の心境を日常生活のなかで作ることができたら、素晴らしいと思う.でも、入院はしたくない.

2008年12月12日金曜日

ドクターエル・シート登場

 長い時間事務椅子に座ってデスクでの作業をしていると、腰が辛くなる.以前腰痛で苦しんでからは、座布団を二枚折りにしたものに細い枕をはさんで椅子の座面の後半分に当てがって、要するに座面が前傾するように工夫していた.先日、JAF MATE という 日本自動車連盟 (JAF) の月刊誌を見ていたら、巻末のショッピングコーナーに、座面を 6 ° 前傾させる座布団である『ドクターエル・シート』というのが掲載されていたので、購入してみた.
http://www.jafservice.co.jp/shoji/lineup/product/08_12/06.html
本体を折り畳めないためにずいぶんと大きな箱で届いたが、40 cm x 35 cm の大きさで、両面の硬さが異なっていて、好みで硬軟を使い分けることができる.試してみると、大変に座り易くて、快適だ.二つ折り座布団のような不安定感や違和感が全くない.自然な感じで背中がスッと伸びて、心地が良い.これは、良い買い物をしたかもしれない.

2008年12月11日木曜日

ワカメ蒔き完了!

 暖かで波も穏やかな、よい日和となった.近隣の漁師たちは、午前中のうちからワカメ蒔きを始めた.毎シーズン鍋田の入江に 5 本、大浦の入江に 5  本のロープが張られる.ロープの両端はアンカーで海底に固定してある.海面直下に張るロープ 1 本の長さは通常 160 m で、20 m 間隔でオレンジ色の浮玉が取り付けられている.浮玉にはさまれた 20 m の部分をマスと呼ぶので、1 本のロープには 8 マスあることになる.鍋田と大浦では若干環境が異なるので、不公平がないように毎年場所を入れ替える.我々のロープは今年は鍋田側だ.我らのグループのワカメ巻きスタートは午後からで、 3 名の技術スタッフと大学院生の I さんが 2 隻の小舟に乗り分け、2 チームで長いロープの両端からワカメの種糸を巻き付けていった.仕事の時間は 1 時間半ばかりで、この作業を初めて体験した I さんは笑顔で帰還した.船上作業はずいぶんと楽しかったようで、陸番だった私も一安心した.これで今年もワカメが育ち始めて、私の今シーズンの仕事が始まる.

2008年12月10日水曜日

フグとマンボウとペンギン

 魚のなかでもフグの仲間は特別に奇妙な泳ぎ方をする.多くの魚は尾びれを使って主な推進力を生む.ところがフグの仲間では背びれと尻びれが推進力を生み、尾びれは舵取りを行うに過ぎない.しかも、この背びれと尻びれの動かし方が不思議である.上下のひれを同じ方向に倒しながら進むのだ.フグでは注意して観察しないとこの動き方を認めにくいのだが、フグの仲間で最も大型の魚、マンボウでは、背びれと尻びれが上下に大きく突出しているために、右に左に上下のひれを倒しながら泳ぐ姿を観察し易い.水族館で飼育されているマンボウのこの泳ぎ方を見ていると、ずいぶんと不格好で効率が悪いように思えてならなかった.ところが、2 ヶ月前に発表された論文によると、マンボウのこの泳ぎ方は、ペンギンの羽ばたき遊泳法と全くいっしょと考えてよいらしい.
http://www.plosone.org/article/info:doi/10.1371/journal.pone.0003446
要するにペンギンが横になって泳いでいる状態がマンボウの遊泳であって、決して非効率な泳ぎ方ではないようだ.かなりの速度も出るらしい.生物を見る時に動きが左右相称だと安定したものに見えて、安心感がある.これが横倒しになっているだけで、奇妙に思えるという、そのことも人の感覚として面白い.

2008年12月9日火曜日

夜の高速バス

 今朝の講義のために昨夕 6 時半に下田を出て、東京駅に午後 9 時過ぎに到着した.大学構内の宿泊施設に向かうには、秋葉原に出てつくばエクスプレス (TX) に乗ってつくば駅で降り、駅前のつくばセンタ−からバスで大学に向かうのが通常である.しかし、この時間に秋葉原に向かって TX に乗ると、つくば着が 10 時をだいぶまわって、つくばセンタ−から大学までのバスをつかまえられなくなる.そうなるとタクシー利用を余儀なくされることになりそうだった.平素ならバス定期券で行けるところをひとり乗りタクシーで行くのは浪費である.そこで久々に東京駅発筑波大学行きの高速バスを利用した.最近、筑波大学から東京へ向かう上りは『上り専用回数券』による大幅割引があるために頻繁に利用していたが、下りにはメリットがなかったので、しばらく遠ざかっていたのだ.しかし、つくばセンタ−まででなく大学まで運んでくれるというのは、今回は大きなメリットだった.だいぶ機能的な感じに様変わりした八重洲南口のバスセンターで午後 9 時 40 分発のバスに乗ることにした.発車は 5 番線からで、午後 9 時 25 分くらいに行ってみると巨大な夜行高速バスが停まっていた.青森行のラ・フォーレ号で、私のすぐ前では 20 代半ばくらいのカップルが別れを惜しんでいた.静かな感じの細身の女性は、男性とつないでいた手を解くと、可愛らしいバッグを抱えて青森に向かってバスに乗り込んだ.一方、手に包帯を巻いた生真面目そうな職人風の男性は、女性が乗り込んでカーテンの陰に姿が見えなくなったあとも、近くの柱に寄りかかって発車まで見送っていた.何かしら物語が埋もれていそうな様子のふたりで、映画のワンシーンのようだった.次にやってきた筑波大学行きの高速バスは、青森行の立派さに比べて何だかずいぶんとお粗末に見えて、ボディサイドのつばめマークが少しばかり寂しかった.車内はつくば方面への帰宅客であっという間に一杯になった.仕事帰りで疲れて眠る人々が多く、まるで寝台バスである.夜の下り新幹線こだま号の車内と同じような雰囲気だ.忘年会シーズンでもある.無理からぬことだ.それでも、桜土浦で高速道路を下りると皆眼をさまし、ひとりふたりと順次自宅の最寄りバス停で降りてゆき、最後に大学近くで降りたのは私だけだった.帰宅する人々の中で、ひとりだけ出勤するという状況に置かれるのは、ずいぶんと寂しかった.

2008年12月8日月曜日

ワカメそろそろ

 12 月に入ると『ワカメ蒔き』の時期を窺うことになる.毎年概ね 12 月の第 2-3 週に幼胞子体を付着育成した『種糸』と呼ばれる凧糸を海面直下に張った太いロープに巻き付ける作業を行う.今季の養殖ワカメの育成スタートとなるわけだ.ボートに乗った 2 人のひとりがロープを支え、もうひとりが種糸を巻き付けてゆく.ロープの撚りの隙間に種糸が埋まらぬようロープの撚りと反対向きに巻いてゆく.この時、種糸の幼ワカメの密度を見ながら全体が過密にならぬよう、かといって粗にならぬように加減するのが難しい.ワカメは高水温に弱い.18 ℃を超す海水温が続くとまともな生育が望めなくなる.近年、年によっては 12 月に不規則に海水温が跳ね上がることがあって、最近では一昨年は眼も当てられないほどの悲惨な不作となった.海水温が十分に下がったと思って育成を始めたあとで高水温にやられてしまったためだ.ことしは良い具合に寒い日が続いて、海水温も下がってきたようだ.ワカメにとって良い冬となることを祈りたい.

2008年12月7日日曜日

あらら忘年会

 私は昔からそそっかしいのだが、最近とみに怪しげな間違いをするようになって、まずいのである.昨日土曜日は毎年 12 月の第 1 土曜に開かれる W 先生の忘年会だったのだが、完全に失念していて、夜もだいぶ更けてから研究室の学生諸氏に言われてようやく思い出した.慌てて駆けつけて 2 次会には顔を出すことができたのだが、まことに面目なかった.今年は、元々この週末に私が予定していたイベントと重なっていたために、いちどは出席を諦めたのだ.しかし、イベントが中止になって参加できるようになったのに、前の記憶が更新されていなかったようだ.しかも午前の巣箱作りイベントに参加が適ったことでホッとして『もう今日はこれでおしまいだ』という強力な刷り込みができていたらしい.これ以上大間違いをしでかさぬように、気をつけねばならない.

2008年12月6日土曜日

鳥の巣箱を作る

 娘を連れて鳥の巣箱作りに出かけた.東京大学樹芸研究所で行っている自然観察講座のひとつで、まず鳥の観察を行ってから、巣箱を自分たちで組み立て、最後に巣箱の掛け方や管理の仕方を学ぶという内容で実施される予定だった.ところが、私たちは早とちりで樹芸研究所に向けて出かけてしまい、午前 9 時前に到着しても誰も姿が見当たらず、女房に行き先を再確認したところ、樹芸研究所の青野研究林というところで実施することになっていると伝えられて、慌てて向かった.しかも青野まで出かけてから場所が分からなくて、山の中を走り回ったあげく、結局 1 時間も遅刻してしまった.方向音痴の本領発揮となってしまい、まことに恥ずかしく、研究所の方々には大変に申し訳なく思った.私たちがようよう到着した時にちょうど巣箱づくりが始まっており、鳥の観察をスキップしたかたちにして参加させて頂いた.ひさしぶりに鋸とハンマーを使っての工作は実に楽しかった.西風は強かったが、空は抜けるように青く、森の空気が心地よかった.巣箱にはペイントマーカーで自由に絵を描かせてもらうこともできて、鋸引きや釘打ちも手伝った娘は、完成した巣箱を飾るのにも夢中になっていた.持ち帰った巣箱は、昼食後にさっそく庭のシュロの木に取り付けてみた.巣箱に鳥が入るのを待つのは、これから毎日の楽しみになりそうだ.我が家族にとって、冬の楽しみが 1 つ増えたことになる.素晴らしい青野の森をまた別の季節にも訪ねてみたい.

2008年12月5日金曜日

寒冷前線の訪問

 日本列島の上に巨大な寒冷前線が横たわり、本州の上をなめるように通過していった.午前中は曇天で暖気の中にあって奇妙なくらい暖かだったが、午後にはいきなり強風が吹き始め、雷とともに短時間猛烈な雨が降った.そして急に冷え込み始めた.何だか教科書的な寒冷前線の訪問だった.何も知らずに空を仰いでいれば、ずいぶんと急激で不思議な天気の変化だと思うはずである.天気予報がとんと当たらなかった昔は、私たち個々人にも天気予報にチャレンジする資格があった気がする.中学の時、授業だか理科クラブだかでラジオの気象概況を聞き取りながら、天気図を描いていたことを思い出す.『モッポ』という名が妙に耳に残っている.等圧線の引き方がめいめいで違って、仲間たちの中でもいろいろな天気図が生まれた.大学時代には谷川岳を 2 週間ばかりも縦走しながら、天気を気にしつつ行動した.チームの気象係担当の時はテントの中、ランプの灯りの下で天気図を描いていた.いまや、ほとんどリアルタイムの衛星画像をチェックしながら、10 分ばかりあとの天気でさえ正確に予測できる時代になった.そして、空の不思議さが薄れ、天気に挑む甲斐がなくなった.

2008年12月4日木曜日

昔のカメ

 鳥は恐竜の末裔であること裏付ける化石が続々出てきて、中国は考古学研究の一大拠点となってきたが、今度はカメの祖先の化石が出て来たらしい.現生カメの甲羅の形成過程について、肋骨由来説と皮膚由来説があるらしいが、海に暮らしたと考えられる祖先カメの化石には背中の甲羅がなく、腹側のみが肋骨の発達によって形成された腹甲に覆われていたという.これで肋骨由来説が圧倒的に有力になったようだ.研究者のコメントでは、下から攻撃してくる敵に対してまず腹甲を作って防御したのだろうということだ.現生の海の魚でもいわゆる青魚の背側が青く腹側が銀色なのは、上方からの敵に対しては海面の青、下からの敵に対しては太陽光の反射を模した銀色にカモフラージュしていると考えられている.全身が銀色のヒイラギという魚では腹側を昼間に発光させて下からの敵に対する防御策とするという話を聞いたことがある.古代カメがまず下からの敵に対する防御策をとったということは、上から狙われる可能性がより低かったことを示すのだろうか.興味深いところである.それにしても、腹甲だけに覆われたカメというのは、いかにも滑稽だ.海に進出した哺乳類の中で鯨類はかなり洗練されたフォルムだが、イタチなどから分化してからの歴史がはるかに浅いラッコでは、海面で暮らす生活の仕方も奇妙だし、形もかなり滑稽である.あの可愛らしさは中途半端な適応進化の滑稽さに起因するところが大なのかもしれない.そのような意味では、進化途上の祖先カメはかなり可愛らしい動物であったのかもしれない.

2008年12月3日水曜日

冷蔵庫の付喪神

 エコブームが押し寄せてきて、エコでない冷蔵庫を排除しようということになったようで、冷蔵効率の悪い昔の冷蔵庫を探し出して新しいものに替えようという動きがある.大学でも購入後 10 年以上経った冷蔵庫のチェックが行われた.驚いたことに、あまり人が頻繁に利用しない部屋の薬品保管用冷蔵庫に 38 年経っているものがあった.物を一定以下の温度に冷やすという機能に特化していたから長く使われて来たのだろうが、こんなに長い期間故障せずに動き続けて来たのは驚異的だ.近頃の家電製品やパソコンではこんなことは考えられない.まず機械として10 年を超えて使い続けられるものは少ないし、動いたとしても機能が時代についてゆかないと、特にパソコンやその周辺機器などは使い物にならなくなる.我が家のプリンタも購入してわずか 2 年ばかりで動かなくなりやむなく買い替えたが、同じくらいの価格で以前はプリンタのみの単機能であったものが、新しいものはスキャナも付いてカラーコピーもできる多機能型だ.こんなものが 1 万円未満で買えるとは驚きだ.物を大事に長く使うよりも、どんどん買い替えてゆく方が得だし、企業側もそう仕向けているのは自明である.より電気効率の良い製品が開発されて、それにあわせて旧製品をどんどん買い替えてゆくのが当代のエコなのだろう.畑中恵の『しゃばけ』シリーズにはいろいろな付喪神が出てくる.100 年も大事に使われたものには神が宿るということなのだが、わが職場の冷蔵庫は神になる道を近々断たれそうだ.

2008年12月2日火曜日

ドアの手提げ袋

 筑波キャンパスでの朝の講義が終わって、午前中からお昼過ぎまで遠隔地センター教員共用のオフィスに居た.すると 1 時間に 1 回くらいの頻度で、ドア前で足音が止まるのにノックはなく、ドアを引っ掻くような音がして足音が遠ざかってゆくことが繰り返された.最初は奇妙に思ったが、すぐに気がついた.学生がレポートの提出に来ているのだ.筑波大学は3学期制なので、3 学期の始まった今頃が 2 学期の成績評価時期である.11 月末に試験を行うこともあるが、レポート提出で成績評価を行うこともある.レポートの提出先は事務室のレポートボックスか教員のオフィスである.しかし、教員のオフィスは不在時には鍵がかかっているので、先生方はドアの表に授業名を書いた手提げ袋をぶら下げておくのである.我々のオフィスにも M 先生の講義レポート用の手提げ袋が下げられていたのだ.足音とドアのカサコソ音の正体はレポート提出の学生の来訪を知らせていたのである.教員のオフィスの連なるフロアでドア表にぶら下がる手提げ袋はこの季節のキャンパスの風物詩である.

2008年12月1日月曜日

新聞のページ

 インターネットが世界を覆うようになった世の中でも、毎日届く新聞は私にとって最も大切な情報源のひとつだ.Web は気の向いた時にしか覗かないし、何かを見たり調べたりする時はどうしても検索の範囲が自分の興味のある特定分野に偏ってしまう傾向がある.新聞は忙しかろうが何だろうが否応無しに毎日朝晩届く.数日放っておくと「早く読んでくれよ!」と山をなして脅迫してくる.新聞の提供する毎日少しずつの情報も馬鹿にはならない.例えば新聞の下の方に載る新刊書の広告をまめにチェックしていれば、久々に東京の大きな書店に出かけて新刊書のコーナーを見たときでも、ある程度目に馴染んだタイトルが並んでいるので、情報のギャップにびっくりしなくて済む.書店の新刊書コーナーに並ばないような地味な本を、新聞の広告から見つけ出すこともある.新聞には自分が元来興味をもっていること以外の情報も満載されていて、知らぬうちに眼を通していることも多いため、知識の偏りを補正してくれる気もする.1 ヶ月ばかり前のこと、混雑する新幹線の車内で、3 列シートの通路側に座っていたら、通路をはさんで向こう側の 1 列前の 2 列シートの通路側、私から見て左前のシートに座っていた 50 歳代くらいの品の良い感じの女性がおもむろに朝日新聞の朝刊を取り出して拡げて読み始めた.年配の女性が電車の中で新聞を拡げて読んでいるのをあまり見たことがなかったので、ちょっと新鮮な風景に思えてしばらく様子を見ていたら、新聞の 3 面記事から開いて後戻りするように読み始めた.私も同じような順番で新聞を読むことが多いので、ちょっと親近感を抱いてしまった.池上彰著の『新聞勉強術』という本によると、人は新聞の左ページに眼が行きがちなので、新聞記事というのは奇数ページにより重要な情報を載せるそうである.また、同じページであれば、左上ほど大切な情報が載っているらしい.だから、急いで新聞を斜め読みする時は、左のページ中心に左上から眼を走らせれば良いので、そのためには後ろから開いてゆくのは、けっこう効率の良い方法なのである.新聞がどんなつくりになっているのか、考えながら読み直してみるのも面白いものである.

2008年11月30日日曜日

あをきのひもの

 熱海の駅前に『あをきのひもの』という大きな看板がある.気になってネットで調べてみたところ、有名な干物屋さんらしい.経営者の方の名字は青木である.『あおき』でなくて『あをき』なのが不思議だが、歴史的な由来もあるのかもしれないし洒落ていると考えてのことかもしれない.私も青木で、日本ではかなりありふれた名字だが、これをローマ字化するとかなりのくせ者になる.『AOKI』は頭から母音が2文字続くために、外国人になかなか上手に発音してもらえない.海外のホテルのフロントでは必ず名前を聞き返される.たいてい「エイオキ?」または「エイオカイ?」と聞かれ、オーストラリアやニュージーランドでは「アイオカイ?」である.「エイオーケーイ?」と読む人もいて、これだと『万事オーケーだいじょうぶ!』というとても良い意味になるそうだ.きちんと日本語と同じように発音してもらいたい場合『AHWOKHI』とでもするしかなさそうだ.ちなみに私の名の方の『まさかず』に近い英語の単語は『MASSACRES』で、『大量虐殺』という意味の語の複数形である.英語論文を書く際の名前のローマ字化にはいろいろな人たちが苦労されているようで、『ゆういち』を『EUICHI』としている友人がいる.また、『けんいち』や『しんいち』が『KEN-ICHI』とか『SHIN-ICHI』とされている場合もある.外国語への名前の変換は、文字のうえでも意味のうえでも、なかなかに難しいものである.

2008年11月29日土曜日

エチゼンクラゲは?

 ここ数年日本海の漁業を脅かし続けてきたエチゼンクラゲが今年の秋は全く確認されていないそうだ.日本に漂流してくるクラゲたちの発生地と考えられている中国や韓国でも目撃数が少ないらしい.今年こそ『京の丹後屋』のエチゼンクラゲアイスを食べてみたいと思っていたのだが、値上げはしないだろうかとちょっと心配だ.もっとも、昨年までの在庫量はいやというほどあるはずだから、心配には及ばないのかもしれない.冗談はさておき、このまま大量発生がなければ漁業者たちは安心して漁ができるだろう.しかし、大発生の原因解明がないままには本当の安心はできない.発生地の沿岸海洋の富栄養化に原因があるなら、経済環境の変化が関わっている可能性もある.オリンピックが終わったせいなのか、世界的な不況のせいなのかとも勘ぐりたくなる.あるいは地球温暖化のせいだろうか、でもそれならなぜ今年はやって来ないのだろうかとも考えてしまう.それとも、アジやイワシなどの魚種交替のような大きなサイクルの周期的現象なのだろうか?経済か?環境か?自然のサイクルか?原因が何にしても、きちんと訪れる季節の顕れが予定通り訪れないような世界、何が平常で何が異常なのかを判別できないような自然環境こそ恐ろしい.何かのはずみで稀に生き物の大量発生があってもそれはそれでちょっとした自然のアクセントだとも思えるが、できることなら予測可能な四季の移ろいを末永く楽しみたいものである.

2008年11月28日金曜日

絵本:かさ

 子供に読み聞かせをしようと思っても『読む』ことのできない絵本がある.文字のない絵本、絵が語る本である.太田大八の『かさ』にも文字がない.ひとりの小さな女の子が自宅から駅まで傘をさして父親を迎えに行く様子が描かれているのだが、絵の中では女の子のもつ傘だけが赤で、他のシーンは全て黒一色だ.女の子は父親の黒い傘をしっかりと手に持って自分の赤い傘をさして歩いてゆく.女の子が商店街や交差点や鉄道の陸橋を移動してゆく様子が近景になったり遠景になったりしながら淡々と描かれてゆくのだが、絵本を見る者は赤い傘の居場所を眼で追いながら、女の子のいる場所の情景を自分も体験してゆくような気持ちになる.子供と見ている時には、途中で出会う人や物、道沿いの店々などについて、親からも子供からも思わず知らずにあれこれと言葉が出てくる.まるでいっしょに風景の中を歩いてゆくような不思議な気持ちになるのだ.赤い傘は女の子の不安感と緊張感に点灯する信号のようにも見える.駅に到着して無事に父親を迎えて黒い傘を手渡すと、帰り道は赤い傘が閉じられて父親の黒い傘が開く.赤信号が消灯して安心感に包まれたような心持ちになる.『かさ』は赤という色がその力を思いきり発揮した、魔法のような絵本である.

2008年11月27日木曜日

iKnow! にはまる

 SNS (ソーシャル・ネットワーキング・サービス)によって自分のつくった音楽の売り込みを続けてファンを増やし、やがてライブを開いてメジャーデビューを果たすことができたという、そんなミュージシャンの話が数日前の新聞に載っていた.SNS によって繋がってゆく人々の輪というのは、心ときめくものがあって素晴らしいと思う.でも、そんな話を聞くばかりで SNS に触れるきっかけのなかった私が、SNS 英語講座の iKnow! に、はまってしまった.3 週間ばかり前の新聞の土曜版に載っていたので気になっていたのだが、掲載誌の行方を見失ったためにアクセスの仕方が分からなくなっていた.その後、出張から戻って新聞のまとめ読みをしている時に再発見して Yahoo! の ID でアクセスしてみた.何しろ無料なのだ.さして期待していなかったのだが、これがとんでもなくよくできたソフトで、ものすごく面白い.隙間時間に少しずついじれるし、飽きさせないしくみが楽しくて仕方ないのだ.カレンダーを示してその日に勉強しなければならない量を教えてくれるし、学習の進捗状況をグラフで見ることができる.現在のスキルや学習済みの語彙の量は大きな数字で表される.次々に出される問題を制限時間内に答えられそうにない時には、ヒントを出してもらって解決もできる.つまづいた問題については出現頻度が高くなって眼に触れる機会を増やしてくれる.今日できた問題でも忘れることがあるかもしれない.そのあたりも考えられていて、学習内容は少しずつ後日再出するようになっている.そのあたりのさじ加減が心憎いのだ.語彙増加のトレーニングと併せて聞き取りテストのディクテーションをやってゆくと、相互に文章が共通していて復習にもなるようにできている.ひたすらいじるうちに英語が脳味噌に忍び込んでくる感じがする.それに、SNS の特徴をフルに活かして、ネットで繋がった他の学習者の学習進度や成績ランキングを見ることもできる.フレンドの登録をしておくと、仲間同士で励ましあったり競争しながら学習を進めることもできる.まことに、至れり尽くせりの学習ソフトだ.こんなソフトを無料で利用できるとは、本当にありがたい.NHK のラジオ基礎英語から始まって艱難辛苦を乗り越えて、なおかつ英語に不自由を強いられている我が身としては、なぜもっとこの世に早く現れてくれなかったのかと嘆きたくなってしまう iKnow! なのである.

2008年11月26日水曜日

巨大!

 今年も稲生沢保育園の作品展を見てきた.子供たちの作ったリースや飾りや絵や焼き物など多種多様な作品が所狭しと、でも整然と並んでいる.貝殻のろうそくや絵を染めたバッグは今年の新作のようだ.浜辺の打ち上げゴミを使った作品も浜辺の様子を再現した展示になっていて、新しかった.今は小学校高学年になった上の子の時から数えると、私の作品展通いもこれで 7 回目なので、少しは目利き(?)になっているのだ.何だか天井を突き抜けて羽ばたいているような、まぶしいような子供たちの感性に触れるのが、年末近い毎年この時期の心の洗濯になっている.素敵な作品群の展示スペースを抜けると、パイプオルガンのホールに出る.このホールには、子供たちがグループ毎にテーマを決めて作った作品の展示がある.すごいのはそれら作品群の途方もない大きさだ.毎年いろいろな発想での展示があって、今年はキャンプファイヤーの山小屋や雪遊びの情景、運動会のフィールドと万国旗、磯あそびの潮溜まりなど、1年間の体験をもとにしたものが多かった.いずれも大きな展示だ.山小屋は大人でも戸を開けて入れるし、雪だるまは実物大だし、運動会のトラックは子供たちが走ることもできる.潮溜まりも実物の大きさで、水がない代わりに糸で吊るされた数えきれないほどたくさんの魚たちがキラキラと泳いでいた.いろいろな展示の中でも群を抜いて大きかったのが昆虫と恐竜だ.3-4 m もありそうなオオクワガタとカブトムシ、巨木には大人の身長ほどの蝉がとまっている.そのセミをつかまえようとする巨大な子供の人形は網を構えて立っている(写真左、背景に巨大なセミが見える).一方、ほとんど実物大のティラノサウルスは歯を剥き出してとらえたディノニクスをくわえている(写真右上).それをホールのはるか上の方から吊り下げられた巨大な黄色の翼竜が上から襲おうとしているのだ(写真右下).なんて途方もない大きさだろう!これらを作る子供たちはあらゆる抑制から解き放たれて、自由に工作できるのだ.そして、展覧会の会期が終わったら、これらを思いっきり壊す楽しみもあるのだという.つくづく子供たちが羨ましくなった.思わず近くにいた M 先生に「私もこんな保育園に行ってみたかったなあ!」と嘆息したら、「どうぞ、いつでも遊びに来て下さい」と返された.私は『こんな保育園での幼少期を経験したあとで成人した私を見てみたかった』と言いたかったのだが.考えてみれば、我が家の子たちはいずれもこの保育園での生活をたっぷりと体験している.うちの子供たちの成長の様子をこれからじっくりと観察して『稲生沢効果』を調査してみたいと思う.


2008年11月25日火曜日

恵比須島の中潮の磯にて

 須崎の恵比須島に朝から出かけた.平日磯観察会ということで、海洋自然塾の中で旅館業などを営んでいて休日に磯観察会に参加できない人のスキルアップのつもりで資料を準備して出かけた.しかし、現場に着いてみると、予想はしていたものの哀れなコンディションだった.雨は上がって天候は良くなりつつあったものの晩秋の中潮で潮は引かず、風がびゅんびゅん吹いて高波が岩場に押し寄せる状況で、なんとか観察会ができそうな磯は辛うじて海面から露出している西側の 5−6 坪しかなさそうな場所のみだった.しかも、そこでさえ高潮位であるためにめぼしい動物も海藻も目につかない状態だったのだ.塾長の K 氏との下見の段階では中止も考えたのだが、下見を終えて集合時間をちょっと過ぎた頃に集合場所に戻ってみると、10 名以上の参加者の方々が既に集っていた.何だか引っ込みがつかない状況になってしまったので、いずれにしても当初予定をいくばくかでも果たそうと K 氏と腹をくくった.私にとっては、今回の参加者の半数が地元須崎の民宿の経営者の方々であったことも腰の引けてしまった理由のひとつだった.準備してきたスキルアップ的な内容と民宿の方々の希望とがうまく噛み合ないだろうと思ったからだ.ところが、実際に観察会をやってみたら、心配は全くの杞憂だった.須崎にやってくる修学旅行などの教育旅行の折りに子供たちを磯に放つだけでは何も意味がないから、少しでも磯の生物についての蘊蓄を語れるように学びたいという民宿の方々は、高齢の方もあったけれどみなとても柔らかな感性をお持ちだった.こちらの生き物話もよく聞いて下さったし、須崎でのそれらの生き物の呼称や料理法、美味な時期や不味な時期などいろいろなことを話して下さった.それらの情報のやり取りが滑らかで、温かで、とても心地良かった.皆さんが狭い磯からいろいろな生き物を一生懸命見つけてきて下さったことも心に沁みて嬉しかった.通り一遍の生き物の知識の一方通行の伝達だけではなくて、地元の人々の生活のなかにある生き物のあり様を私たちももっと学んで、それらも含めた大きな生き物のイメージを、もっと広い視野から伝えられるように努めなければいけないと、そんなふうに学んだ磯の観察会となった.

2008年11月24日月曜日

写真館の生存戦略

 勤労感謝の日をはさむ 3 連休の初日から 2 日は七五三関連行事で費やした.そして 3 日目の今日は溜まり仕事やら磯観察会の準備やらで過ごしている.天気が私の都合に合わせてくれているようなのが、嬉しい.七五三では、 7 歳娘と 5 歳息子の着付け→写真撮影→宮参り→着替えて一休み→夕食会、というおそらく一般的な段取りで行事を進めた.写真撮影は写真館で行ったのだが、東京から来ていた老父母に珍しがられた.東京近郊では、昔から続いていた写真館の閉館が相次いでいるという.言われてみれば、下田には町の大きさの割にずいぶんたくさんの写真館があるように思う.地元に密着して、いろいろなサービスを行っているからだろうか.今回我が家で利用した写真館もずいぶんといろいろな工夫をしているようで、面白かった.デジカメ一眼レフとスタジオ撮影とパソコンでの画像編集という技をうまく生かして、とにかくたくさんの撮影が行われた.親と子供と祖父母を併せたいろいろな人の組み合わせ、小道具の組み合わせとポーズで多種類のシーンをそれぞれ連写してゆく方法だった.結局、10 種類以上のパターンで撮影してもらった.2 日後の今日には撮影されたなかから約 100 枚をカラープリンタでプリントアウトした仮の写真ファイルが送られてきた.その中から好きな写真を本格プリント用に選んで、記念写真用の大伸ばしにして、希望により1枚から6枚を一組にしたアルバムにして貰って購入するわけである.数多く撮っているために、動きや表情が自然なものも多くて、仮ファイルを見ているだけでも楽しい.アルバムに組んでもらうと高いが、小さな版のプリントにしてもらうこともできるし、撮影データの CD-ROM を購入することもできる.客側としては、懐具合や目的によって種々の選択を行うことができるのだ.写真館の生き残り戦略としては、なかなか良いのではないかと思った.もし東京近郊の写真館が絶えてきているのであれば、下田市内の旅館と美容院と呉服店(または貸衣装店)と写真館と観光業者が連携すれば『下田七五三ツアー』も成立しうるのではないかと思った.成人式、誕生日、結婚記念日、入学式、卒業式など家族の記念行事というのはいろいろある.こんな形で記念写真を目玉にした観光があっても、よいのではないだろうか?

2008年11月23日日曜日

イスタンブールでベリーダンス

 ウェリントンでの夕食は毎晩だいたい午後8時以降だった. ある晩のこと、キューバストリート沿いのレストランを物色した結果、『イスタンブール』というトルコ料理のレストランが少しばかり空いているように見えたので、オーストラリアの研究者らと入ってみた.間口の狭い割に店の中が思いのほか広く、レンガ壁に囲まれた店内の 100 以上あると思われる席はほとんどが埋まっていて、おしゃべりと熱気が薄暗い店内に充満していた.トルコ料理の『なんとかディップ』(写真右上)と『フィッシュ&チップス』(写真右下)などひとりずつ注文したのだが、一皿あたりの量が途方もなくて、2 時間かけても食べ切れなかった.我らの席でもなんやかんやとおしゃべりしながら飲み食いしていたのだが、突然賑やかな音楽が流れ始めたと思ったら、窮屈に並んだテーブルの間を縫うようにして、ベリーダンスの女性が巡回してきた.きらびやかな飾りのついた明るい水色の衣装に身を包みくねくね腰を振りながら、にこやかに笑いを振りまく.最初は何とはなしに眼のやり場に困ってしまったが、孤軍奮闘で踊る女性の爽やかさが楽しくて、ホールの雰囲気が変わってゆく感じにほっこりと心が温かくなった.

2008年11月22日土曜日

シャツが1枚だけ 

 飛行機で旅する時、着陸後にターンテーブルで荷物の出てくるのを待つのは時間の無駄だと思うし、妙な不安を抱えて過ごすあの時間はやり切れない.海外で荷物が他の空港に送られてしまうトラブルを経験したこともあるので、少なくとも往路はできる限り荷物を減らして、手荷物 1 個か 2 個を機内持ち込みにする.海外旅行の時にもこの原則は崩したくない.向こうの気候に合わせたシャツとズボンが 2セットに下着類が 3 セットもあれば、 1 週間以上でも何とかやっていける.下着はシャワー室か風呂場で洗濯するし、不快になればシャツやズボンもランドリーで洗う.要は洗って干した衣類が乾くまで、今の衣類を着ているというルーチンをうまく回すことだ.予想外の気候で困る時は、現地で衣類を買えばよい.今回のニュージーランド行きもシャツを 2 枚持ってゆくつもりで準備していた.ところが、現地に着いて学会通いを初めて 2 日目の朝に持ってきたはずの 2 枚のシャツのうち、どうした手違いか薄手の方の 1 枚を入れていなかったことに気付いた.洗濯してしまうと、乾くまでに着ているシャツがなくなってしまう.仕方ないので、近くの百貨店か衣料品店でシャツを買おうと思い定めた.ところが、学会の講演を夕方まで聞いて、そのあと話などして明るいうちにホテルに戻っても 7 時過ぎになることばかり続いた.暮れる時間の遅いのも時間感覚を狂わせる.ホテル周辺の商店はすべて午後 7 時に閉店になるので、シャツが買えない.朝夕は涼しいくらいなのだけれど、日中は T シャツの人も見かけるくらい暖かくなる.持っていった厚手の長そでシャツでは昼間は暑くて、腕まくりして過ごさねばならなかった.でも、結局買い物の機会を逃し続け、今回は、ついに 1 枚のシャツで貫いてしまった.もう 1 週間続いていたら、周囲に獣の臭いを振りまく羽目になっていたかもしれない.

2008年11月21日金曜日

すごいぞ Student Session !

 今回のニュージーランドでの学会(第 5 回アジア大平洋海藻会議)では、口頭発表によるシンポジウム講演と一般講演それに一般のポスター講演に加えて、学生が発表するための Student papers というセッションがあった.分類学・生態学・生理学などテーマ別に分かれて、決められた15分という時間の間に発表と質疑を行い、それを評価委員の先生方が採点して部門毎の優秀者を決め、表彰するのだ.通常の口頭発表は大きなホールで行われるが、学生のためのこのセッションは 100 人ばかりがやっと座れるようなコロシアム型の小さな部屋で行われた.最前列の 10 人ばかりの審査員が発表学生をぐるっと取り囲むように座り、その両横には発表の終わった学生と発表待ちの学生が並んで座る.一般の聴衆は彼らのうしろの席に陣取ることになる.ここでオーストラリア、ニュージーランド、韓国、タイ、マレーシア、インド、日本、ベトナムなどの学生らが自分の発表技術と発表内容を競いあった.ひとりひとりの発表にピンと張りつめた緊張感があって、国際的な真剣勝負は見ていてスリリングですらあった.今回私たちの研究室の学生はポスター発表にしてしまった.でも、若い人たちはこんなセッションでこそ発表して自分に磨きをかけるべきだと心底思った.次の機会にはぜひ我らの学生たちにもこのようなタイプの学会発表にチャレンジしてもらいたい.

2008年11月20日木曜日

ビールからオゾンホール

 TE PAPA 博物館のすぐ近くに Mac's Brewery というビールの醸造所があって、オープンテラスでビールを飲めるようになっている.中ジョッキくらいのいろいろな種類のビールがだいたい 8 ドルくらい(このときで 500 円くらい)だった.夕方までの講演が終わって懇親の夕食会が TE PAPA で開かれるまでに時間があったので、会場での休憩時間に知り合った研究者たちと連れ立ってビールを飲みに出かけた.オープンテラスのベンチに思い思いに座ってビールをすすり始め、私は隣の女性研究者と話をした.ベタベタの Japanglish を駆使しながら日本人は英語が第2外国語で大変だねーなんて言われながら、結構話が弾んだ.ニュージーランドの南島の最南部で研究していて、紅藻類の海藻に紫外線が与える影響を調べているという.なぜ紫外線についての研究なのかと聞いたら、ニュージーランド南島ではオゾンホールの拡がる時期に、紫外線の放射が強烈なものになるという.その影響を現場調査を主体として調べているということだった.それまで、なんて美しいのだろうと思っていた澄みきった青空が、少しばかり怖く思えてきた.

2008年11月19日水曜日

木を焼く楽しみ

 ウェリントンのウォーターフロントに TE  PAPA という名前のニュージーランドの国立博物館がある.入場料は無料だが、自然科学や民族から技術や芸術にファッションまで幅広く扱っていて見応えがある.展示の仕方も、眺めるというよりは見学者が包み込まれるような感じのものが多かった.なかで印象深かったのは、ヨーロッパ人が 19 世紀から入植してきたことによる自然環境の改変についての展示だった.入植時から現在に至るまでで、もとの植生は高地を中心に 25% 程度残っているに過ぎないという.その理由は入植者たちが牧草地を確保するために原生林を片端から焼き払ったからだという.焼き払ったあとは醜く黒焦げになるが、その次の春には美しい草々が芽吹き、鮮やかな緑に被われる.その当時の入植者の女性の日記が紹介されていて『木を焼く楽しみ』が述べられていた.環境保全の立場で現在の人々から考えれば、ゾッとするような話だが、未開の土地に入ってきた人々が、森を開いて自分たちの故郷の風景に近づけようとした気持ちは理解できる気がする.自分たちの祖先の、今から見れば負の歴史を博物館に展示している所は学ぶべきであるとも思った.街中ではそこここに英語とマオリ語の併記が見られて、学校ではマオリ語も学ぶという話を聞いた.この国の人たちの心根の美しさを垣間見た気がした.

2008年11月18日火曜日

ニュージーランドのワカメ

 ワカメは外来侵入種としてニュージーランドで注目されている.在来生物に影響を与える厄介者として問題になっていると言うべきかもしれない.今回の学会(第 5 回アジア大平洋海藻会議、3 年に 1 度開催される)でもワカメの侵入に関する発表が少なくとも 4 題はあった.ニュージーランドでは、タイプ標本の産地である本家本元の下田よりも生育期間が長く、夏の 12 月から 1 月にかけて姿が見えないだけで、1 年中存在するという.下田では不在期間が半年に及ぶので、ニュージーランドでの生育状況は日本の東北地方沿岸に近い感じがする.ウェリントンのウォーターフロントで、船着き場周辺の桟橋辺りの海の中を見下ろしてみると、めかぶがしっかり発達生長した大きなワカメが杭や岩の周りに所狭しと付着していた.在来海藻が生えない場所や何かの拍子にはげ落ちた場所には、すぐにワカメがはびこり始めるという.ニュージーランドの人々もワカメを食用にはしているようだが、あんなにたくさんそこいら中に生えていたのでは、値打ちもなくなるし食欲もわかなくなるだろう.

2008年11月17日月曜日

STOP LOOK LIVE

 ニュージーランドの首都はオークランドだと思っていたら、私たちの向かうウェリントンが首都だと、行きの飛行機の中で観光ガイドを見て知った.自身の口頭発表の準備が間に合わなくてギリギリの状態なのに、学生の発表の手伝いなどやっていたら、行き先についての予習をするどころではなくなってしまったのだ.実際のところ、現地で発表の準備の続きをやるはめになり、ホテルでパソコンが使えないとアウトの状態に追い込まれた.念のために、成田に向かう途上で秋葉原のヨドバシカメラに寄って、小型変圧器と変換プラグを買い込んだ.でも、哀れなジタバタ努力はなんとか実を結び、ミニシンポジウムでの私の発表も学生のポスター発表もなんとか無事にクリアできた.重圧から開放されて、ちょっと身軽になった気持ちで、ふらっと街に出た.ホテルはウェリントンのダウンタウンの繁華街を抜けるキューバストリートという賑やかな道のすぐ近くにあって、建物の外に一歩出れば人のうごめきの圧力が体に直ぐに伝わってくる.学会の1日が引けて商店も閉まった頃のキューバストリートを、私は海方向に北上した.3車線分くらいの幅の道に沿ってマレー料理、インド料理、タイ料理などの食堂、雑貨店、書店、アクセサリー店、それにいろいろなカフェが途切れなく並んでいる.昼前後には、道端でギターを弾いているひげ面の男や小銭稼ぎにバイオリンを弾く子供がいたり、両手にピンをもって大道芸を見せたい男が客を誘おうとしていたりもした.商店は午後7時には閉まるが、夜8時頃まで明るいため、ひどく夕方が長い.遅い日没を過ぎるとカフェやレストランは人であふれ始める.皆が本当に楽しそうだ.夜が遅く始まるせいかみな宵っ張りのようなのに、朝は7時頃には同じストリートをたくさんのビジネスマンたちが北のオフィス街を目指して競うように歩いてゆく.彼らは寝不足にはならないのかと、ちょっと心配になってしまう.キューバストリートの突き当たりをひょこっと右に曲がり横断歩道を向こう側に渡ろうとした時に、ふと目を落とすと、その渡りはじめの足元のところに、『STOP LOOK LIVE』と白いペンキ文字が書かれていた.『Stop, look and live』ということなのだろうけれど、『LIVE』の付いているところが、生々しいというかカッコ良い感じがして、思わず写真を撮ってしまった.ウェリントンの横断歩道の歩行者用信号はボタンを押してから青に変わるまでの時間も早いが、青が赤の点滅に変わるまでの時間もひどく短い.キツツキが木を叩くようなせわしない音に急かされる.どうしても急いで横断歩道を渡りたくなるのだ.だから『死にたくなけりゃ、止まれ!見よ!』なのである.

2008年11月9日日曜日

滝のおトイレ

 熱海の駅の改札口近くの少し奥まったところに、トイレがある.細い通路をたどって奥の方に進むもうとすると、放送が聞こえてくる.「右手に女性用トイレ、突き当たり奥が男性用トイレ」とそんな感じの案内なのだが、最初に聞いた時にびっくりした.男女トイレの案内の他に、次のようなガイドが流れてきたからだ.「左手前は滝のおトイレです」観光地だから、滝が流れ落ちるような名物トイレがあるのだろうかと、滝に向って豪快に放尿する男性たちを何となく想像してしまった.でもすぐに気付いた.『多機能トイレ』だったのだ.気付いた今も、やっぱり最初はどうも『滝のおトイレ』に聞こえる.話す人のスピードのせいだろうか.でも、よく考えると『多機能トイレ』というのもかなり奇妙な表現だ.トイレの機能にそんなにいろいろなものがあるのだろうか.

2008年11月8日土曜日

茶色のコカマキリ

 保育園児の次男は虫好きである.園に虫好きの先生がいて、師匠と仰いでいるらしい.家の周りの目立った虫を次々に捕獲してきては虫かごや飼育ケースに入れて、悦に入っている.彼が小さなカマキリをつかまえてきた.茶色のカマキリだ.名前を調べろとせがむので、図鑑をチェックしたところ、コカマキリと判明した.体色はいろいろあるようで、鎌のところの白黒のワンポイント模様が識別ポイントらしい.なかなかオシャレである.なんだか目玉模様っぽくも見えるのだが、あんな小さな目玉模様が役に立つのだろうか、と疑問に思った.オオカマキリには少なくともあんな模様は無いと思う.模様の謎を解きたいものだ.

2008年11月7日金曜日

氷解

 なんとなく「なぜだろう?」と思っていたことについて、ひょんなきっかけで答えを得ることがある.私は零戦のゼロが何なのか知らなかった.吉村昭の『零式戦闘機』を読んで、皇紀 2600 年の最後のゼロを取ったということを知って、97 式艦上戦闘機や一式陸上攻撃機などの名前の理由にも合点がいった.ずいぶん昔、小学校高学年か中学生あたりの時に、私は戦車や大和などの戦艦や伊号潜水艦のプラモデルづくりに夢中になった時期があった.『紫電改のタカ』というコミックにもはまっていた記憶がある.一式陸攻も作ったことがあって、イチシキリッコーという呼び易さもあり、妙に気に入っていた.その頃に、何となくなぜ『一式』だろうと思っていた.そのほのかな疑問のモヤモヤが 30 年以上経って氷解したのである.脳味噌の中を涼しい風がひと吹きしたような心持ちがした.

2008年11月6日木曜日

メバルが分かれた

 メバルが3種類に分かれた.クロメバル、アカメバル、シロメバルである.なじみの魚がこんなふうに分かれるのはなんだかワクワクして楽しい話題だ.長い間すっきりしなかったものが DNA 解析の裏付けもあってはっきり落ち着いたことになる.最近こんな例が多い.クロフジツボは 3 種に分かれた.日本産オニヤドカリは確か 5 種に分かれたはずだ.ヒザラガイの目玉模様ありとなしの タイプは 2 種に分かれたのだろうか.身近な生物がこれだけ種の分裂をすると、フィールド観察も心して行わなければならない.

2008年11月5日水曜日

いつも見る知らない景色

 通勤や通学などで同じ場所を電車で往復する場合、乗り換えの効率を良くするために、列車の特定の号車の特定のドアから乗り降りするようになる.すると、乗り換え待ちの時のホームでの立ち位置が固定されてくる.ホームで列車を待っている間に前を見ていると、向こう側のホームに立つ人々、行き交う人々が見えるかもしれない.絶え間なく変化する光景だ.でも駅の端にあるホームの外側に電車が着く場合、ホームから見える景色は、看板か外の景色になる.看板である場合は、毎日毎日、広告のなかの同じ写真や文字を眺め続けることになる.やがて、それらがすっかり眼に馴染んで、盛られた情報が眼を経ても脳を素通りするような感じになる.そんな頃になると、季節が変わったり、売れ筋商品が変わったりして、看板の広告が突然ガラッと変わる.眼はあわてて新しい情報を貪って脳に伝えようとするだろう.一方で、目前を遮る看板がなければ、毎日眺めるものは外の景色だろう.毎日見るともなく眺めて眼に馴染んだ景色は、アングルも構図も同じだけれど、時間や天気によって微妙に色彩や陰影が変わる不思議な絵のようなものだ.毎日見慣れていても、たいていの場合何を見ているのか積極的に探ろうとか調べようとかはしない.乗り換え駅であれば、なおのことそうだろう.いつも見るけれど、知らない景色だろう.自分や人の心を眺めたいと思う時に、時折、隣のホームのように、看板のように、そして、外の景色のように感じることがある.

2008年11月4日火曜日

仲間が逝った

 大切な仲間を失った.大学時代に同じサークルで辛苦を共にした仲間だ.もっと話をしておけば良かった.話は尽きなかったのに、いつも次があるさと思っていた.亡くなってしまえば、もう会えないし、話せない.そんな単純なことに、その時がくるまで気づかないなんて、救いがない.忙しさに紛れて長く連絡をとらなかった.口惜しい.悔やまれる.生きられる日々を与えられている私たちは、先に逝った友人に恥じることの無いように、一日たりともおろそかにせず、生きてゆかねばならない.

2008年11月3日月曜日

絵本:トマトさん

 年中向け『こどものとも』の一冊として届いたので子供に読み聞かせてやったのだが、その表現力の力強さ、もの凄さに一発でノックアウトされて、私の方が夢中になってしまった絵本が『トマトさん』(田中清代作、福音館)である.夏の日に太陽に灼かれたトマトが、小川で水浴をしたいのだが自力では動けず、動物たちの助けを得て小川に転がり込むという話で、動物たちが力を合わせてトマトを押し転がすところは『おおきなカブ』に似ているが、この作品の放つオリジナリティーは物語よりも絵そのものにある.日に灼かれて辛そうなトマトさんの顔、小川に飛び込むトマトさんのドアップの顔などは、ほとんど不細工なまでにリアルっぽくて、ついついトマトには本来顔が付いているものだと、錯覚してしまいそうだ.画面から飛び出してきそうな絵の大きさと動きと勢いには、はじめは少し身を引いてしまいそうになる.トマトを助ける動物たちが、いずれも擬人化されているのに、なぜだかみんな妙に自然な感じであるのも可笑しい.ひとつひとつの動物が、細部まで丁寧に描き込まれているために生じるのだろうか.不思議な感覚である.我が家の本棚にずらりと並んだ子供の本の中で、ついつい手を伸ばして見入ってしまい、そのたびに涼やかで爽やかな気持ちになる.私の清涼剤である.

2008年11月2日日曜日

多数の小さなヤシガニ

 吉村昭の『深海の使者』は、第2次大戦中に日本とドイツの間を行き来した伊号潜水艦についての話である.この小説のちょうど真ん中あたりに、海の生物についての興味深いエピソードがある.そこには、マレー半島の近くでイギリス潜水艦に伊号三十四潜水艦が撃沈される顛末が描かれている.沈没する潜水艦から辛うじて脱出した乗組員の数人が、陸を目指して泳いでゆく.その場面で、潮流に抗いながら必死で泳ぐ人々の皮膚を海面の浮遊物に付着した多数の小さなヤシガニが絶え間なく刺した、と語られているのである.筆者は綿密な取材をなさる方なので、この話は実際に命拾いした脱出者に直接取材して得たエピソードであろう.確かめようのないことなので、ここからは全て私の想像であるが、多数の小さなヤシガニが海洋を漂流するというのは、まずありえないことだ.海を漂うヤシガニの幼生はむしろエビのような形で、ヤシガニ型ではない.幼生期から着底した初期は海底で貝殻を背負って歩き、海表面にはいない.ヤシガニ型になる頃には陸上生活に移行するし、体もかなり大きくなっているはずである.おそらく、漂泳する人々を刺したのは『ヤシガニに似た小さな生物』だろう.思い当たるのは、カニのゾエア幼生やメガロパ幼生である.漂流物に多数付いていたもので、容易に視認できるほど大きな幼生だとするとイボショウジンガニあたりの幼生だろうか.カニのゾエア幼生はチンクイとかチンクイ虫と呼ばれて、ちくちくと人を刺すことから、サーファー達に嫌われている.これらが『小さなヤシガニ』の正体ではないだろうか.

2008年11月1日土曜日

プランクトン観察スノーケリング

 スノーケリングの目的は、水面をひたすら泳ぎ回ってスポーツとして楽しむこともそのひとつであるだろうけれど、ふつうは魚や海底の生き物を観察することにあるだろう.見知っているけれど珍しい魚を見つけて嬉しくなったり、見かけない魚の登場に頭の中のデータベースとの照合を急いで、合致データのない場合には一生懸命に特徴を覚えて帰って、図鑑で探してみようと思うのだ.あるいは岩場のカニを追ってみたり、少し潜って海底のナマコやヒトデを拾ってくるのかもしれない.でも、ちょっと趣向を変えて、プランクトンを観察するためのスノーケリングをやってみると、これがすこぶる面白い.プランクトンというと、ふつうはプランクトンネットというプランクトン採集専用の網で集めて、持ち帰ってから顕微鏡観察するイメージが一般に行き渡っていると思う.でも、人間の眼というのはかなり性能が良いものなのだ.ちょっとしたイメージの切り替えで、すんなりと海中プランクトン観察ができるようになる.眼でとらえようとするイメージの大きさを小さなものに変更すればよいのだ.要するに、ごく近いところ、目のすぐ前の数 cm から10 cm くらいの所をあえて見ようとすればよいのである.立ち泳ぎ加減で観察するのが良いかもしれない.水面直下に粒々の夜光虫が見えるときがある.夜光虫はたかだか0.5 mm くらいの大きさだから、これくらいのものは楽に判別できるのだ.逆光ぎみにするとよりよく見えることもある.小さな小さなカイアシ類たち(微小な甲殻類、ケンミジンコに近い仲間)は普通にたくさん見えてくる.ときに、蛍光色に輝く大型のカイアシ類であるサフィリナを見かけることもあるかもしれない.ススッと直進しては急停止する不思議な動きの細い棒状の生き物はヤムシである.微小なクラゲが多数漂っているのに驚くことがあるかもしれない.私は、手のひらサイズのクラゲを目前でよくよく眺めていたときに、表面にヨコエビの仲間のクラゲノミが付いているのを見つけたこともある.慣れてくると楽しくて、プランクトンの多い時には夢中になることもあるかもしれない.でも、用心が必要だ.周りがよく見えないので、自分がとんでもない所に流されていたり、人や物にぶつかったりすることがある.それに仲間がいないところで寄り目がちに水中観察をしていると、傍目にはそうとう奇妙で、変人扱いされる恐れがあるからだ.

2008年10月31日金曜日

三菱 MRJ

 先日、筑波大の宿泊施設に泊まって、就寝前にパック酒をすすりながらテレビを見ていたら、三菱重工でMRJ (Mitsubishi Regional Jet) という国産小型旅客機の開発プロジェクトが進んでいるというニュースが流れていた.いま私が読んでいる吉村昭の『零式戦闘機』では、第二次世界大戦の直前に海外の航空技術に頼らずに開発された国産戦闘機で、日本の航空技術を軽んじていた米英に脅威を与えた零戦の誕生と消滅が詳細に描かれている.その主な舞台となっているのが、三菱重工名古屋航空機製作所であり、主人公ともいうべき人物が堀越二郎技師だ.ひとりの人間を核として花開いた技術が太平洋戦争前半の日本の挙動に大きな影響を与えたことが活写されている.世界を変えてゆく大きな渦の中には、実はたったひとりあるいは一握りの人間しかいないことがままある.海外製の旅客機ばかりで占められた現代の空に国産機を飛ばそうという動きの真ん中では、やはり堅気の設計技師が知恵を絞っていたりするのだろうか.それとも、もうそんな時代ではないのだろうか.

2008年10月30日木曜日

トンボの無核精子

 修士論文の中間発表を筑波に聞きに行った.発表のなかにトンボの雄の繁殖戦略に関するものがあり、その話のなかに『無核精子』というものが出てきた.トンボを含む昆虫類のあるグループには精子に有核のものと無核のものがあると言う.精子の存在目的は遺伝情報を卵に運ぶことだと思っていたので、核が無くてはお話しにならなくて、何の役にも立たないのではないかと思って質問してみた.無核精子の存在意義については諸説あるそうだが、雌に精子を注入する際に、先立って交尾した雄が入れた精子を奥に押し込めて大量の無核精子でブロックし、自分の精子がより手前に来るようにするためというのが、有力な仮説らしい.より外側に有る精子ほど、有効な精子となって雌に使ってもらうことができるらしい.昆虫には交尾の際に既に雌に入っている精子を掻き出すものや、交尾後に雌が他の雄と交尾できぬように生殖口に栓をしてしまうものもあるという.ずいぶんと凝った工夫をするものである.

2008年10月29日水曜日

博物館と百貨店

 ショッピングが楽しいのはなぜだろう.目的とする物を買うことのみでなく、いろいろな選択の可能性を与えられるし、物の多様性を見て楽しむことができるからだろう.見たことのない物、類似物でも新規の物を目にすることは人の大きな喜びのひとつだ.服や小物や雑貨など分野を限定した店でも種類や色やデザインを比較して愛でることは楽しい.さらに分野によらずになんでも扱う百貨店やホームセンタ−などは商品の洪水のなかを泳ぎ回るだけでも楽しい.大きなホームセンタ−は他の大型店舗やレジャー施設と併設されてショッピングモールとなっていたりして、最近では家族が週末の一日を過ごすのにも楽しい場所となっている.よく考えてみると、陳列された多様な品物を見て楽しむというのは、博物館に似ている.違うのは、店では複数の同じ物があって手に取って買うことができること、骨董品でなければ全てが現時代の物品であることだろう.入館料の要らないことももちろん大きな特徴だ.でも、現代の大型店舗がそのまま数百年後の未来にタイムスリップしたら、そのまま科学歴史博物館もしくは民族博物館になることができるだろう.そんなふうに考えてみると、展示品を全て買うことができる『買える博物館』なぞがあったら、なんだか途方もなく楽しい気がする.どなたか実現して下さらないものだろうか.

2008年10月28日火曜日

パワポと板書

 パワーポイントを使って講義を行うようになって、良いことづくめだと思っていた.カラー写真を示せるし、アニメーションで図や写真を重ねて見せたりすることもできるし、動画だって見せることができるようになったのだ.講義の準備の手直しを直前まで行うことすらできる.講義内容に沿った資料を学生に配付しておけば、学生はノートをとる必要もなく、講義内容を聞くことに集中できる.そう思っていた.少なくともパワポを使い始めたころは新鮮さもあってか、それは正しかったのだと思う.でも、パワポを使っている時の学生の表情が、虚ろな気がすることが最近多くなってきた.学生のせいとは限らない.慣れのせいか私から何かが抜けていってしまい、それが学生に伝わっているのかもしれない.最近 M 先生と話をしていた時、彼がパワポを一切使わず板書に徹していることを知った.ホワイトボードではなく、黒板での板書である.彼の意見では、板書の速度と学生のノートとりの速度がうまく合うこと、手を動かすことが大切なこと、それに板書には教員のソウルがこもるからということだった.私から抜けていってしまったような気がするのは、授業に対峙するための私のソウルかもしれないと、その時に思った.私の講義する教室にはホワイトボードしかないし、そのうえスクリーンとホワイトボードが重なっているために、パワポを使うとホワイトボードが使えない.でも講義進行の工夫次第で、パワポと板書の時間をずらすこともできるはずである.私も少しホワイトボードにソウルを込めるやり方を工夫してみよう.あらためて、そんな気持ちになった.教員も易きに流れてはダメなのである.

2008年10月27日月曜日

座席の肩にツノがある

 東京と熱海の間を新幹線こだま号で頻繁に往復するようになって、気になるものがいろいろと見えてきた.ここのところどうも気になって仕方なかったのが座席の肩の部分に飛び出しているキリンの角のような突起だ.乗る時によって、有ったり無かったりする(右の写真がツノあり、左の写真がツノなし).東海道線などの車両や昔の新幹線ではボックス座席のこの位置には金属の取っ手があって、つかまり易くなっていたように思うが、その代替物であろうか.座席の肩の部分に何もついていない場合、それが通路側に来ると、満席状態で立って乗車する人には手掛かりがない.他人の背中ぎりぎりのところを不器用につかむはめになるだろう.そのような意味では突起物があればつかまり易いはずだが、ハンドル状になっている方がつかまり易い気がする.カバンかなにかを掛けられるようになっているのだろうかとも思うが、そんな使い方をしている人は見かけないし、なんだか恥ずかしいだろう.そんなことを考えて『新幹線、座席、でっぱり』で検索してみたら、やはり私と同じような疑問を持つ人たちは居るようだ.存在目的についての答えも提示されている.人がつかまることを目的として造られた人に優しいデザインの突起物らしい.それにしても不思議な構造物だ.優しさと使い易さというのは別の次元に存在するのだろうか.今度乗車する時は、あの突起物をゆっくりと撫で回してみよう.

2008年10月26日日曜日

25 年を経て

 昨夕東京で大学時代のサークルの卒業 25 年後の会合があった.このような長い時を経ての同窓会というものの経験がなく、パーティーの催される部屋へ踏み込むことに怖れのようなものがあった.会場には私の学年の 3 年上の先輩から 1 年下の後輩までの 56 人が集っていた.風貌に経年変化らしいものが見られる人、ほとんど昔の面影のない人、時に取り残されたように面影の変わらぬ人などいろいろいたが、話をしてみれば、昔と何も変わることなどなかった.ただ、話題に仕事や家庭の話が加わっただけだ.時間は遡ることができるのだということを知った.1次会から参加者の多くが2次会に移り、過去の時間に身を浸す楽しさに場を去り難かったが、終電車という現実が皆に迫ってきて、解散となった.4 年間を同じ場所で過ごして散り散りになり、25 年を経て再会して漸くもつことの許された 5 時間だったが、かけがえのない時間だった.いまの自分の足元を見つめ直し、気持ちのリセットを図るための、いわば命の洗濯となった.

2008年10月25日土曜日

口笛とハーモニカ

 口笛が好きだ.物心ついたころから、父の口笛を聞いていたせいかもしれない.父は随分と上手だった気がする.口笛は便利なもので、耳コピーした曲を楽器なしで直観的に真似ることができる.たいそう便利だ.でも、どんな音が出ているのかはチューナーでチェックしなければ分からないし、自分で正しい音を出しているつもりでも本当にきちんと音が出ているのかはわからない.音域が限られるので、高い音や低い音が出せなかったり、かすれたりする.ブルースハープが口に馴染んでくると、まるで口笛のような気がしてくる.ベンディングで音を操れる 2 穴や 3 穴はもっとも口笛的だ.正確でかすれない音の出せる口笛を吹けるようになった、そんな心持ちになるのである.最近 7歳の娘が私の口笛を真似ようとすることがある.代目の誕生となるかもしれない.

2008年10月24日金曜日

篤姫ですよ!

 NHK大河ドラマ『篤姫』のドラマとテーマ曲にはまってしまった.テーマ曲をハーモニカで模したかったのだが楽譜がないので、耳コピーでクロマチックを吹こうとしたのだけれど、なかなかはかどらない.ふと思い立ってブルースハープでメロディーを吹くことを試みた.どうせ出ない音があるだろうと、たいした期待もしないでいろいろなポジションで試してみた.すると、3 穴の吹き音から始めれば、何とか始めから終わりまで、欠ける音なく吹けそうだということが分かった.そこで、今度は録画した放送でテーマが流れる音に合わせて、キーを探ってみた.手持ちのハーモニカでいろいろ合わせてみたところ、ハーモニカのキーが A の時にぴったり合わせて吹くことができることが判明して、嬉しくなった.タイトルの出る最初のところの『ズン、チャラー』という出だしのあとの前奏から吹くなら、6 穴の吸い吹きからスタートすれば良い.いま、繰り返し繰り返し吹いてみて、楽しんでいる.

2008年10月23日木曜日

割り箸のつまようじ

 コンビニ弁当や駅弁などで、割り箸を箸袋からシュッと取り出すと、つまようじがポロッと落ちることがある.箸をスッと抜いた箸袋を丸めてゴミ箱に捨てようとして、つまようじの尖端が手に刺さることもある.私はなぜ箸につまようじが添えられているのか、ずっと理解できないでいた.人前で食後につまようじを口に突っ込んで歯をせせっているおじさん達は、とてもぶざまものだと小学生のころから思っていた.だから、割り箸につまようじが付いていることは、ぶざまかつ下品なことが公認されているような気がして、不思議だったのだ.ところが、である.自分が 40 歳という年齢を超えてみて、ようやく謎が解けてきた.二十歳をとうに過ぎて年齢を重ねると、歯茎の歯肉が後退して、歯間の隙間が増してくるのだ.自ずと食べた物のかけらが歯の間にはさまりやすくなる.必然的に、食後のつまようじが欠かせなくなってくるわけだ.若い時には思いもよらないことだった.肉体的に年を経るということがどういうことなのかに、こんなことから気付いたのだ.でも,私はつまようじが使えずにいる.羞恥心なのか、認めたくないものが或るせいなのか.

2008年10月22日水曜日

黒電話

 筑波で私の使うオフィスには黒電話がある.全体に黒い光沢があって 700 系新幹線の前端部を圧縮したような形の前面には大きな数字のダイヤルが付いている.受話器は本体に対して横掛けになっていて、コイルした弾力のあるコードで本体とつながっている.プッシュホンでは全ての番号は対等であるけれど、ダイヤル式では数字によって送信に要する時間が異なる.ダイヤルを廻して電話番号を送信するのには結構時間がかかるので、その間に相手先の受話器に出るべき人とのやり取りの出だしや道筋を考える暇もある.呼び出しベルは喧しいけれど電子音ではないせいもあってか、なんだかのどかで温かな緩い感じがする.要するになんだか人間臭い電話なのである.私の小学校低学年のころ、父母の田舎には黒電話よりも前の呼び出し式の電話もあった.私たちの世代は電話機の変遷をずっと眺めてきて、とくに黒電話との付き合いは長かったのだが、プッシュホンが現れてからの変化は早かった.あっという間に黒電話が駆逐された.子機というものが出現して、家庭内でワイヤレスになったと思う間に、携帯電話というものが出現して、世界中がワイヤレスで繋がるようになってしまった.私たちが子供の頃に親しんだアニメである『スーパージェッター』では、時間旅行者で未来から来たジェッターが愛機である『流星号』を呼ぶ時に、腕時計型トランシーバーで「流星号、流星号、応答せよ!」とやっていた.あのころ、ジェッターのトランシーバーには電線がないのに話ができることを、私も同級生たちも不思議に思い、未来はすごいなあと思いつつも、おぼろげに実現しないだろうなあと思っていた.でも、今やそれは携帯電話という形で完全に実現してしまった.僕らは、いつのまにかジェッターの居た未来に来てしまったのだ.

2008年10月21日火曜日

オオバモクは変なモク

 オオバモクはホンダワラ類の海藻の中でもとりわけ変わった存在であると、私は思っている.ホンダワラ類の海藻のきわだった特徴といえば、丈が数mに達するために、藻体を水中で立たせて維持するための浮き(気胞)が枝葉の間にたくさん付いていることである.浮きの形や大きさは種によってさまざまに異なっているが、オオバモクのものは群を抜いて大きく、ひとつの長さが 3 cm を超すものもある.それに、ひとつの株のなかにも球状に近いものから円柱状で細長いものまで、いろいろな形があって、楽しい.なにが楽しいかと言えば、『つぶしがい』があって楽しいのである.指先で押すとプチッとかパリンとかバリバリといった感じでつぶれる.さまざまなバリエーションがあって飽きがこない.『むげんプチプチ』なぞ敵ではないのだ.浮きだけではない.葉の大きさもホンダワラ類のナンバーワンである.他のホンダワラ類は枝葉の細いものが一般的で、海中でつかむとモサモサふわふわした感じがするのだが、オオバモクをつかむとパリパリごわごわした感じなのだ.生育する季節も変である.一年生のアカモクや根だけ多年生のヤツマタモクたちは春になると藻体が流されて失くなってしまうが、オオバモクだけは結構な量がモサモサと夏の最中にも居残っている.繁殖期にしても、他の多くは春なのに、こいつは秋なのである.なんだかへそ曲がりで他の仲間と交わり難い感じが、私にとっては可愛らしい.
 ミステリアスな側面もある.日本海側には、同種とされているけれど枝葉がとても細いヤナギモクというのが居る.下田の水深の深いところには、よく似ているのだけれど葉がギザギザのオオバノコギリモクという種も居る.これらの親戚(?)たちとはどんな関係があるのか、知りたいものである.こんな話も聞いた.九州からオオバモクがどんどん無くなっているというのである.実際に、私もかつての群生地を九州天草に訪ねたら、全く無くなっていてびっくりした.現地の研究者方に聞いたところでは、ホンダワラ類の混生している藻場で植食性の魚が、オオバモクから優先的に食うそうなのである.近年の海水温の上昇でアイゴなどの植食性魚類が北上し、オオバモクが真っ先にやられているということらしい.魚たちにとってもオオバモクは特別な存在なのかもしれない.
 下田の沿岸で海に潜ると、浅い海底でもっとも目立つ海藻のひとつがオオバモクである.江戸時代末期に下田に黒船が来航したおりにも、オオバモクは目立つ海藻だったのだろう.オオバモクは他の数種の海藻と共にペリーたちに採集されて黒船に乗って海を渡り、当時の海外の研究者によって新種としての命名がなされている.下田はオオバモクのタイプ産地(新種をつくる際に基準となった標本の産地)であり、オオバモクという海藻にとっての真の故郷なのである.

2008年10月20日月曜日

最終ゴーヤ

 今朝の食卓にゴーヤとベーコンの和え物が出た.小ぶりのゴーヤは、今年我が家で穫れた最後のひとつだろう.毎年ゴールデンウィークを過ぎてからゴーヤの棚を組む.今年はホームセンタ−で購入した 2 株の苗に活躍してもらった.例年通り、高さ 1 間幅2間の棚を斜めに組んだ.そして、半分はキュウリ 、半分はゴーヤに使って 2株ずつ植えた.しかし、キュウリは盛夏を過ぎるとすぐに終わってしまい、途中からはゴーヤの独壇場となった.苗から始めて、葉の数の少ないうちに摘心して 3 方向に伸びてゆくように仕立てているので、苗の数は本当は 1 株でも十分なのだ.でも、毎年苗の購入時になると、1株植えて育たなかったらどうしようかと考えて 2 株買ってしまう.やがてシーズンの終わりになると、やっぱり 1 株で十分だったなと振り返る.その繰り返しである.10月になっても株はまだ生きているようだが、枯れ葉が多くなって、そろそろ仕舞い時だ.今年も大小いろいろ取り混ぜて、30 個以上収穫できた.いろいろな料理を楽しめたし、家計にも役立った.ゴーヤさん今年もありがとう.来年もまたフレッシュな苦みを運んできてほしい.

2008年10月19日日曜日

崖を登って削岩機を使う

 職員宿舎の横の崖の崩落がひどくなった.大きな岩塊が転がり落ちて、イノシシ防除フェンスを直撃した.最初、イノシシが蹴落としているのかと思っていたが、どうも最近のゲリラ豪雨のせいらしい.放置しておくと破壊されたフェンスをイノシシが乗り越えてくるかもしれないし、それより何より崖を岩が転がり落ちてくるのは、それだけで危険である.そのようなわけで、草の生い茂っていた崖の壁面にモルタルを吹き付けて固めることになった.金曜の深夜に筑波から戻って丑三つ時くらいに眠った私は、土曜の朝 7 時頃に削岩機の音と排気ガスの臭いで叩き起こされた.寝不足でぼんやりした頭で音と臭いに悩まされながら朝食を終えてオフィスに出かけ、崖をあらためて眺めたのは、正午過ぎに昼食を摂りに戻った時だった.崖の表面からは既に草は無くなり、岩肌の露出した壁面では 3 人の男たちがロープにぶら下がりながら、削岩機を操作していた.一見すると、消防士の垂直壁降下訓練のようであった.削岩機にはこんな使い方もあるのかと、ひたすらに感心してしまった.

2008年10月18日土曜日

嗚呼、助成金!

 助成金の申請シーズンである.王様である科学研究費補助金の申請時期だし、他の民間助成金の申請時期でもある.全国の研究者が PC に必死に向き合っていることだろう.われらの筆、もといキータッチに巨額の研究費の獲得可否がかかっているのだ.さりながら、こちらは例によって、締め切り間際にじたばたしている.おかげで、出張から帰ったばかりの週末なのに、書類書きばかりしなければならない.必ず当たると分かっていれば、いや、せめて5割以上当たるのであれば、もっと気合いも入ると思うのだが、何分にもユウレイと闘っているような心持ちなので、今ひとつパワー不足になる.出しても滅多に当たらない.でも、出さねば絶対に当たらない.限りなく宝くじに近い.僅かな可能性に賭けて、我らは頑張るのである.

2008年10月17日金曜日

すごいぞ!ゲルインク水性ボールペン

 こちらの大学の生物系の購買部は書籍と文具が同じ部屋に収まっている.小さな部屋でも生物系の本の品揃えは素晴らしい.本を眺めたあと、出口側にある文具コーナーで、ゲルインクの黒の水性ボールペンが欲しくて、ペンの並ぶ棚からそれとおぼしき 0.28 mm の三菱 uni-ball signo を 1 本手にとって、レジで会計を済ませて 7 階の部屋に持って帰った.わたしのダイアリーは細かな文字で埋め尽くされているため、極細のゲルインキのペンでないと書き込みができない.使っている黒ペンのインクが近々途絶えそうだったので、新規購入したのだ.新しく買ったら、とにかく試筆してみたい.ダイアリーに少し文字を書いてみたところ、なんだか文字が茶色っぽい気がする.よくよくペンの軸を見ると、ブラウンブラックと書いてある.そういえばキャップもわずかに茶色っぽい.それにしてもブラウンブラックなどという色をつくるのは、たいしたこだわりだなとなんだか感心した.白い紙に線を描いてみると、ずいぶん面白い色だ.なんだか魅せられてしまったので商品交換は止めにして、翌日あらためて黒インクのものを買いに出かけた.前日は気にしなかったけれど、あらためてペンの棚に眼をやって、びっくりした.20 色近い signo がずらりと3段に並んでいる.よく見ると、段の違いは太さの違いで、0.5 mm と 0.38 mm と 0.28mm がある.
http://www.mpuni.co.jp/product/category/ball_pen/signo_gokuboso/spec.html
中サイズには19 色、他のサイズには 17 色が揃っているようだ.ブラックだけでも、ボルドーブラック(0.38 mm のみ)、ブルーブラック、ブラウンブラック、ブラックがある.ピンクは3種類、オレンジは2種類、ブルーも2種類あって、色名も素敵で、色も美しい.全部で 53 種類ということになるが、全て欲しくなってしまった.せめて 4-5 本と思ったが、ぐっとこらえてブラック 1 本のみ買って帰った.でも、次に行った時には、我慢ができないかもしれない.

2008年10月16日木曜日

製本とクリーニング

 午後8時半過ぎ、私は停留所でバスを待っていた.道を挟んだ向かい側に、間口が一間半程度で奥行きばかり長い建物があって、道路に面して店舗があった.両側に建物がないので、道端に店舗の灯りがぽつんと浮かび上がっている.店舗の向って左側はコピーと製本の店で、『早い!安い!並製本、金文字入り製本、2−6日でできあがり(要予約)』と貼り出してある.右側はドライクリーニングの店になっていて、左側の店舗と境なくつながっている.両方の店舗に共通のカウンターの中には、白髪をきちんと調えた60代くらいの実直そうな主人が居て、棚の紙を降ろしてカウンター上に拡げる作業を行っていた.製本とクリーニングというのは妙な取り合わせだなと思ったが、よく考えると両者には共通点がある.客から物を預かり、それに加工を加えて収入を得る店である.元の形を損じないように慎重に加工を加えて客に返却しなければならない.どうも店の人間の仕事の本質的なところは同じようだ.強いていえば、製本は(表紙を)加えて返す仕事で、クリーニングは(汚れを)減じて返す仕事だろうか.マイナスとプラスでバランスをとっているのだろうか、などと考えていたら、8 時 50 分になるとシャッターの支柱が店内から持ち出された.支柱が立てられてクリーニング店側のシャッターが下ろされ、表の灯りが消されて、そして製本店側のシャッターが下ろされ、鍵がかけられた.道路向う全体が暗くなって、私は何も見るべきものが何もなくなった.5 分ばかり経って、さきほどの店主が店の横から現れて道路を渡り、私の背後に並んだ.ほどなくバスがやって来て、私たちはそれぞれのねぐらに運ばれていった.

2008年10月15日水曜日

黒板が好きです

 講義を行うために教室に出向くと、大きなホワイトボードが部屋の前面を占めている.私はこのホワイトボードとボードマーカーというものがどうも好きになれない.まずホワイトボードは表面がてらてらしている.ものを書いてそれを人が見る場所の表面が無用な光の反射を許すなどということはよろしくない.それにボードマーカーというものは、一見しただけでは使えるかどうかが分からない.新品のような外見なのに、全く書けないものがあるため、講義の前にいちいち試し書きをして使えるものを選んでおかなくてはならない.全部使える見込みがない場合には『インクの補充は事務室で』と貼ってあるシールの指示に従って、慌ただしい時間帯なのに 5 階の講義室から 2 階の事務室まで下りてゆくはめになる.講義では話の流れや間というものが大切である.それなのに、ボードマーカーではいちいちキャップを外し、また直ぐにはめなくてはならない.たくさんの生物種の分布を異なる色で表したい時、グラフを色分けして表したい時など、忙しいうえに、間が悪くてかなわない.私はやっぱり黒板が好きだ.チョークが好きだ.人間味にあふれているし、夢がある.チョークの粉には閉口するし、チョークまみれの手をズボンの脇で拭いたりすると繊維から粉が容易には落ちなくなる.思わぬタイミングでチョークが折れることもあるし、黒板をきれいに拭き取るのも容易な作業ではない.それでも、黒板とチョークには、人のイマジネーションを刺激する何かがある.チョークが身をすり減らしながら黒板の上で色を出して滑ってゆくとき、手に伝わる擦れ合う感触や文字や図のできてゆくスピードが、何か人の感性によくシンクロするのではないだろうか.黒や濃緑の背景に粉で描かれる図や文字の方が、てらてらの白いボードの上のつるつるの文字よりも、何か重く説得力をもつような感じがするのである.

2008年10月14日火曜日

酔い止めの秘策

 うちの子供たちは 3 歳くらいまでは車酔い知らずだった.ところが、4 歳あたりから車の中で急に気持ちが悪くなって青い顔をすることがままあるようになった.時にはいきなり嘔吐することもある.子供の成長とバランス感覚と車酔いには何か関係があるのだろうか.乗り物酔いと言えば、その王様は船酔いだろう.我々の臨海実験センタ−で実施される臨海実習は春休みや夏休みの時期に筑波キャンパスの学生達が 4 泊 5 日や 5 泊 6 日の予定でやって来て、講義や実習を受けるものである.この折りに、たいていの学生は 18 トン 30 人乗りの研究調査船『つくば』に乗り込んで 40 分くらいの乗船時間で沖合プランクトンの採集を行う.海がかなり静かでない限り、学生の中に毎度船酔いの犠牲者が数人出る.そこで、私が最近学生たちに乗船前に授ける船酔い止めの秘策は次のようなものである.例えば同じ自動車に乗っている運転手と助手席にいる人の場合、同じ道路の上を走ってゆくにも関わらず、運転手はまず酔わないのに、助手席の人が酔うことはしばしばあるだろう.これは乗り物に対する働きが能動的か受動的かの違いによるものだと何かで聞いたことがあるのだ.自発的に乗り物を動かす時には酔わないということになる.これを応用する.船に乗った時に揺れたら、揺られていると思わずに、この船は自分が揺らしているんだと強くイメージし、そのように体を動かすのである.これだけで、相当船酔いに強くなる.本当である.試して頂きたい.

2008年10月13日月曜日

お会式の万燈を見逃す

 昨夕下田を発って東京に来たが、案の定大渋滞に巻き込まれて、ふつう 4 時間で移動するところを 6 時間以上要した.早めに到着したら、子供たちと連れ立って池上本門寺お会式(おえしき)の万燈(まんどう)を見に行こうと思っていたが、到着が遅くなったために見逃した. 本門寺は実家の近所であるため、私も小学生くらいまではよく見に出かけたし、万燈行列は今よりも遠くまで巡回していたようで、地域全体がもっとお会式に親しんでいた気がする.もっとも、実家周辺の下町エリアでは、古くから知り合いの家族のほとんどが転出し、いまやマンションと小さな 3 階建ての戸建建物が溢れて、『地域』というような意識は薄れてしまったのではないだろうか.

2008年10月12日日曜日

保育園の万国旗

 朝から午後2時まで、下の子の通う稲生沢保育園の運動会だった.保育園にとっては記念すべき第 60 回目の運動会で、わがファミリーにとっては 7 回目だ.運動公園の会場に入ってすぐ目につくのは会場中央のはるか高い所から 9 方向に放射状に広がる万国旗だ.ひとつのロープに 50 以上の旗があるように見えるから、総数は 400-500 枚くらいだろう.女房の話によれば、この万国旗は運動会毎に先生やサポーターのお母さん方で 1 枚ずつロープに取り付けるという.ロープの撚りを緩めて旗の紐を差し込んで固定してゆくのだそうだ.会が終了すると全て外して、洗濯してから収納するという.旗の中にはソビエト連邦のものも混ざっていたから、少なくともソ連崩壊前から繰り返し使っているものもあるのだろう.この保育園のそんなこだわりが、私は好きなのだ.

2008年10月11日土曜日

割れたハーモニカ

 ひとりでぽつんと楽器を練習していると、何かトラブルのあった時に、それがどれくらい普通でないことなのか、あるいはどれくらいよく起こることなのか、皆目分からなくて途方に暮れる.ハーモニカでも難しかったし、今でも難しい.メンテナンスについてはテキストにはあっさり書いてあることが多い.また、ある程度詳しく書いてあっても、自分の直面している状況への解がなくて、途方にくれることが多い.よくテキストに書いてあるのは、使用後は唾液をよくきって、マウスピース付近はよく拭いて、風通しのよい所にしまうとか、密閉容器に乾燥剤を入れてしまうとかである.また、ブルースハープなら、ときどき分解してリードプレートを歯ブラシでこすったり、洗剤で洗ったりするようにとも書いてある.クロマチックでは、分解法や手入れの仕方、ネジの外のチューブの交換法やスライドグリスの使い方などの裏技的なことなども最近の T 先生のテキストには書いてあって、これはとても嬉しかった.もっともっと早く知りたかった.でも、テキストに載っていなくて分からないことはいろいろとあるのだ.最初の頃、もうずいぶん昔だが、ハーモニカに使われているネジや本体のプレートがやたらに錆びるので、使用後によく拭いて風通しの良い所に置くようにしていたが、全く改善しなかった.これは、自分の唾液が特殊なものであるのか、その量が尋常でないのかなど、いろいろ考えたが、どうも分からない.下田に住んでいて、海に近いことから潮を含んだ空気が届いているせいかと思い、TCHS (東京クロマチックハーモニカソサイエティ)のメーリングリストに聞いてみたら、そんなことは聞いたことがない旨コメントがあった.でも、仕方ないのでタッパーに保存するようにしたら、収まったように思えたので、海風のせいだったのかもしれないと、とりあえずは納得した.でもタッパーでは湿気がこもるといけないと思い、タッパーにたっぷりのシリカゲルを入れて、クロマチックを大事にしまってきっちりとフタをしておいた.しばらくして取り出して、大きなショックを受けた.クロモニカ270 とメロートーンの木部が無惨に割れていたのだ.乾燥させ過ぎたわけで、2ヶ所割れているものもあった.安いものではないので、悲しくて、対処の仕方が全く分からないので、またTCHS のメーリングリストに相談した.すると、今度は早速お返事を頂けて、ままあることだから心配しないように、そして木工ボンドで補修するようにとのアドバイスを得た.この時は本当に嬉しく、教えて頂いた通りに補修して、すぐに復旧できた.そんなこんなで、あれこれ試みながら、自分なりの方法に行き着いて、今は保管している.ブルースハープはマウスピースをエタノールで拭いた後タッパーの中へ、クロマチックはマウスピースをエタノールで拭いた後タオルでくるんで風通しの良い室内へ、というところである.あとは時々の分解掃除だ.それでもクロマチックは時々黴びるし、何となく錆びやすい.そんなわけで、皆それぞれに自分の居場所で手入れの工夫をしていて、対処法が異なるためにメンテの正解のようなものがないのかなと思い始めている.楽器自体に手入れについての説明書の添付がないのもそのせいか、手がかかるからこそ可愛いのか、などと自分を納得させているのだ.

2008年10月10日金曜日

かくれ上手のホソワレカラ

 海藻に棲むワレカラにも、潜って観察した時に見つけやすいものと、なかなか探し出すことのできないものがある.海藻につかまる時に上半身を持ち上げるタイプの種類は比較的に見つけやすい.一方、ホンダワラ類の海藻などの枝に体を伸ばしてぴったりと身を寄せて、体色も居場所に似せたまるで海藻に溶け込むかのような種類では、その存在を知ることが難しい.写真は野外で見つけたホソワレカラの雌で、ヤツマタモクの枝につかまっているのだが、眼の所在に気付かなければ、見つけられなかったと思う.ホソワレカラは藻場にも見つかるし、流れ藻からもしばしば採集される.ワレカラたちがいかに巧みに隠れても、海藻をよじ登りながらギョロギョロとエサ探しをするオハグロベラのような魚類は欺けないことが多いようで、魚の消化管内を調べると見つかるワレカラの数は多い.

2008年10月9日木曜日

赤い光

 夕方にジャーナルゼミがあって、S 君が BMC Ecology という雑誌に掲載の興味深い論文を紹介した.ふつう海の中では水深が 10 m を超えたあたりから太陽光のなかの赤色成分がほとんど届かなくなり、深くなると青色と緑色から、やがてほとんど緑色成分の光に満たされた世界となってしまう.赤色というものがない世界なので、深所の魚たちは赤色を見る必要がないと考えられていた.ところが、魚の種類によっては海に届く青や緑の光を浴びて赤い蛍光を発しているという.しかもそれらの魚の近似種間では赤い光のパターンが違っていて、種間識別などにも使われているらしく、網膜に赤い波長帯に感度のある細胞も見つかっているらしい.派手な色の光を放てば捕食者にも居場所を知らせることになる.赤色は遠くまでは届かないので、控えめに発光して近隣の個体との信号交換に使うのかもしれないという.魚以外にも海の中の無脊椎動物には、サンゴ類、海綿類、ゴカイ類ほか赤色蛍光を発しているものがけっこう多いそうだ.むかし生物発光の研究をかじり、海の生物の発光原因についてあれこれ考えていた身としては、また視界の開けるような気がした.折りも折り、オワンクラゲの発光研究がノーベル賞を射止めた知らせが巷を流れた日のゼミだった.

2008年10月8日水曜日

白と黄色

 東京駅の14 番線ホームで、名古屋行こだま号の 5 号車寄りのほうの 4 号車の入り口の前に並んで、車内清掃の完了を待っていた.所在なくて前方を見上げると、左上の方におそらく40 階以上フロアのありそうなビルの上部が見えた.下の方は向こう側の駅舎に隠れていた.午後7時少し前だったのにそのビルには全フロアに蛍光灯と思われる灯りが点いていて、その灯りの色はほとんどが白かった.ただ、上から数えて8-9 番目の 2 フロアのみは黄色だった.おそらくレストランなどのフロアなのだろう.白い灯りは仕事用、黄色い灯りは寛ぎ用ということだろうか.そのあと乗車した新幹線の窓からしばらく外を見ていると、アパートやマンションでは白と黄色の窓がまだらになっていた.白い光の部屋に住む人たちと黄色い光の部屋に住む人たちは、何かしら違いがあったりするのだろうか.そんなことを考えた.
(写真は、14 番線 4 号車入り口付近から見た日中の同じビル)

2008年10月7日火曜日

低緯度と高緯度

 今日の生物多様性についての講義で、地球上の低緯度地域では高緯度地域よりも一般に生物多様性が高いという話をした.このことは、何となく当たり前のように思っているが、理由についてすっきりした答えを用意することは難しい.講義では、仮説をいくつか紹介した.すると、前回も質問をしてくれたHさんが、先生はどの仮説を支持するかと問うてきた.そこで、私は、代謝の高まりと共に世代時間が短くなり、早期成熟と短寿命化に伴って突然変異率が上がるために、種分化も生じやすくなるのだろうと、そう考えていると答えた.すると、低緯度での早期成熟と短寿命化は人間でもそうかと聞かれたので、その傾向はあるでしょうと答えると、貧困のためではないのですね、と聞き返してきた.なんだか不意を衝かれた気がした.

2008年10月6日月曜日

われらベントス

 伊豆海洋自然塾では、ニックネームで呼び合うことが多い.私は当初アオさんだったのだが、メールでやり取りするうちに何となく『ベンさん』に変わって来た.ベンはベントスのベンで、ベントスは浮遊生物のプランクトンや遊泳生物のネクトンに対して使われる底生生物を表す言葉だ.海の底に這いつくばって過ごすのがベントスだとすれば、陸上の大気の底で這いつくばって過ごしているわれらは、空気の底のベントスだ.空中を舞って移動する花粉や胞子や乾燥状態で休眠中の微小な生物たち、それに熱気球やら飛行船がプランクトンで、鳥や飛行機はネクトンといったところか.スノーケリングがあんなに楽しいのは、水中で空を舞う鳥の気分がひととき味わえるのが理由のひとつかもしれない.そういえば、ツリークライミングをして高木のてっぺんから他の木々を眺めたとき、それから岐阜大学の流域圏科学研究センタ−で樹冠研究用の高いタワーの上の空中回廊から森の木々を見下ろしたときは、スノーケリングで海中林の上をゆくとき、ガラモ場の上をゆくときとよく似た感懐があった.

2008年10月5日日曜日

海洋自然塾第5期生養成講座2日目

 早朝7時からの講座スタートに皆さんピタッと集合してくださり、私の講義がスタートした.休憩なしで2時間半の長丁場だったにもかかわらず、受講生の方々もスタッフ一同もお付き合い下さり、本当にありがたかった.引き続いてお昼までK氏の講義があり、講習会のプランニングやグループコントロールについてのアイデアは大いに役に立った.昼食後、ピンポイント予報通りの天気となり、午後から曇ってパラリパラリと雨が落ちてきた.浜に吹く風も強くなってきたけれど、受講者もスタッフもスノーケリングのグループ指導、リーダーとしての引率、海面曳航、溺者の陸への引き揚げなどの練習に熱中していた.休憩時間にいただいたカフェオレとチョコレートが実に美味しかった.浜での実習のあとはH氏が心肺蘇生の実習を行い、皆で会場の清掃をして、5時半ごろには閉講式となった.受講者とスタッフが午後6時過ぎに全員門を出るまで、雨は本降りになるのを待っていてくれた.実に濃密な2日間を過ごし、心に清々しい明りがまた一つ灯った感じがする.

2008年10月4日土曜日

海洋自然塾第5期生養成講座1日目

 船上から我々のスノーケリングの監視をしてくれていたセンタ−スタッフの T 氏が、海底の岩礁上にハタタテダイとソラスズメダイがいるのが見えているから、そちらに向うようにとアドバイスしてくれた.今日初めて海に入った I さんを囲んでゆるゆると海上を進んでいた私たちは、おまけにコロダイの幼魚も見ることができて、まずは大喜びだった.本日午後の鍋田海岸は湖のように静かで透明度も高く、水の中にいるのが途方もなく心地良かった.
 伊豆海洋自然塾第5期生養成講座の初日は好天とほぼ定員に近いたくさんの参加者に恵まれ、私はなんだか温かな心持ちで過ごすことができた.スノーケリングに先立って、午前中はK 講師による自然体験活動のコンセプトについての話があり.スノーケリングの後は夕食後、堤防での灯火採集とウミホタルの採集、引き続いてそれらの顕微鏡観察を行った.午前9時にスタートして午後9時ちょっと前に解散となった.スケジュール的には少々ハードだったが、ふとしたきっかけで集ったいろいろな生業の人々が一緒に時を過ごし、それが楽しいものであれば、ほんとうに素敵なことだ.

2008年10月3日金曜日

研究室名略称の秘密

とても下らない話なのだ.
研究室の略称名を新規 HP に掲示した.この名には秘密が隠されている.下田海洋生態学研究室ということで、Marine Ecology Laboratory in Shimoda で、MELS とした.『メルス』なので、逆さに読むと『スルメ』である.かめばかむほど味が出る.なんだか良いではないか.まだある.MELS の真ん中に I を加えて並べ替えると、SMILE になる.真ん中に愛があれば、微笑みが生じる.ますますもって、良いではないか!


2008年10月2日木曜日

研究室のホームページを一新

 研究室のホームページを一新した.卒業生が作ってくれた何代目かのホームページはここしばらく更新がなく、書いてある内容も古いものになってしまっていた.公開しているだけにとても恥ずかしくて、でも、公開をやめてしまったらホームページの作成はもう二度と行わない気がして、プレッシャーを感じながらそのままにしていた.ここしばらくの間に自分のホームページを公開し、ブログを書くようになって思ったことがある.ホームページへの情報公開やブログへの投稿というものが、人に情報を提供する機会であると共に、自分の考えをまとめたり人に伝える工夫をしたりする機会として有用なものであることに、やっと気付き始めた気がするのである.かつて恩師のひとりであるW 先生に「送電するためには発電が必要である」と言われた.これは教育と研究についての関係を示す言であると共に、研究成果の発表と研究の関係であると考えていた.十分な送電を行うために、十分な発電が必要になる.深い知識に根付いた本当の教育をしっかり行おうとすれば、自ら新規知見の発掘をしつつ勉強をして、それに備えねばならない.論文執筆や学会発表をコンスタントに行うことを自分に約束するなら、それを目指して調査や実験を行って解析すべきデータを蓄えなければならない.同じことで、Web 上に情報を公開することを決めれば、それを意識したネタ探しや情報整理を行うようになる.アウトプットの促進が生産性を高めるのであった.個人にとってそうであれば、研究室でも同じことだろう.研究室ホームページを整備して、そこを窓としてWeb 上への有用な情報の提供ができるように努力すれば、新陳代謝が高まって、生産性がより向上するに違いない.完成した研究室ホームページは、素朴な作りではあっても、私には嬉しい大きな窓である.有効に活かしてみたい.

2008年10月1日水曜日

ワレカラモドキはなぜモドキ?

 図鑑に写真が掲載されているせいか、ワレカラモドキはダイバーさんたちによる認知度がけっこう高い種類である.ワレカラの仲間としては 3 cm を超えるサイズのものもあって大きめだし、シロガヤやアカヤなど大きめのヒドロ虫の群体の茂みに隠れているので、比較的に見つけやすい.体色はすみかとするヒドロ虫の色に似ている.この種の大型の雄では、体の前に構えるカマ(第2咬脚)も大きく、その構え方が非常に好戦的な感じで、顕微鏡で拡大観察すると、目が合った時にちょっと怖くなる.いかにも立派なワレカラなのに『モドキ』が付くのにはわけがある.海藻などにすんでいる日本産のほとんどのワレカラの種類は同じ属に入っている.属というのは同じような種をまとめた上位の分類群であるCaprella 属というのがその分類群でキャプレラともカプレラとも読めるのだが、ワレカラモドキはこの属に収まる種類ではないのだ.体の半ばにある2対の鰓の上部に、Caprella 属では何も無い.これに対して、ワレカラモドキの属するProtella 属では、脚の痕跡と考えられる突起が鰓の上にそれぞれ1個ずつ付いている.そんなわけで、ワレカラとはちょっと違った少数派ということで『ワレカラモドキ』となっているわけだ.雌親は生まれた子供を体にしばらく乗せておく子守行動を示すようだが、その期間や意味合いについては、まだ何も分かっていない.

2008年9月30日火曜日

体重を毎日記録

 東海道新幹線こだまの車内には、車内ドアの両脇にひとつずつ広告が掲示されている.それらは都内の通勤電車にかかっている吊り広告とはちょっと毛色が変わっていて、繊維や金属などの製造メーカーの広告やお土産菓子の広告などが多い.どうも出張や通勤のビジネスマンを意識したものらしい.ここしばらく見かけるものに『体重を毎日記録』というのがある.大流行りのゲーム機に感圧とバランスのセンサー内蔵の台をオプションとして売って、健康づくりにいそしむ人々をゲームの世界に引き込もうとしているのだろう.でも、たかだか体重を量るのに電気のスイッチをあちこち入れなければならないなんて、なんだか可笑しいし、面倒くさそうだ.実のところ、私はこの10年間、自宅にいるときはほぼ毎日体重の記録を朝晩行っている.道具立ては簡単だ.古いバネ式の体重計と10年前の1冊のダイアリー、それにボールペンが1本だ.いずれも風呂場と洗面場の近くに置いてある.朝起きてトイレに行って、服を着替える前に計量、夜風呂に入る前、服を脱いだら計量だ.朝は白丸、夜は黒丸をダイアリーに書き込んで、線でつないでグラフをつくる.同じ罫線の中にいろいろな年のラインが色や線種を変えて並んでいる.計量は既に癖になっていて、体が自然にそのように動く.体重を記録していると,滅多な不摂生はできないし、不摂生しても復帰の仕方が分かる.私の場合、夜あまり飲食しなければ、体重は寝ている間に0.5-1.0 kg くらい減る.1日を過ごすと夜には体重は同じくらい増えてもとに戻るが、体をよく動かすとてきめんに体重は減る.また、暴飲暴食すると体重は最大 2.5 kg くらいまで増加し、そうなると普通の食事に戻しても、もとの体重に戻るのにほぼ1週間を要する.この 10 年間で体重は最大 10 kg 増加したが、ここ数年の節制で、最大体重マイナス5 kg以上に戻りつつある.季節的には,夏から秋にもっとも軽くなり冬にかけて増加するパターンは毎年繰り返される.そのようなわけで、体重の毎日記録から得られる情報はいろいろあって、健康維持に役立つことは疑いない.でもそのために電気機器に頼るのは、いかがなものであろうか.

2008年9月29日月曜日

ハーモニカと腹式呼吸

 ハーモニカを吹き始めた頃には、腹式呼吸の有り難みはなかなか分からなかった.腹式呼吸が大事だということは先生からずいぶんと言われたし、どのテキストにも書いてある.腹式呼吸を体感しながらハーモニカを吹くもっとも簡単な方法は、仰向けに寝て吹くことだろう.腹式呼吸の練習としては、ハッと暖かい息を吐きながら口の前の紙を動かす方法や、立ったまま前屈して息をする方法などもある.でも、私の場合は、吹き始めの頃にはうまく音を出すだけで精一杯で、頭で分かっちゃいてもなかなか腹式呼吸にならなかった.大きな袋にストローを付けて、袋をおさえながらストローから空気を出す感じが腹式呼吸だろう.優しく安定した息を出すことができるわけである.腹式呼吸でなく、力まかせにブーブー吹くと、どうも厄介らしい.リードに気まぐれな嵐が襲いかかるようなもので、激しい風雨にハーモニカは苦しむのだ.最初の頃にやたらにリードが駄目になったのはそのせいだろうと、今になって思う.なんでもそうだが、ある程度の修練を積まないと、力の抜き方というのは分からないものなのだ.低音域や高音域の音の出しにくい部分がふだんより出にくかったり、オーバーブローできなかったり、なんだか滑らかに音の出ない時は、腹式呼吸をど忘れしているときだ.

2008年9月28日日曜日

ノルマンタナイスで生物検定を

 ノルマンタナイスで生物検定をする話である.例えば船底に塗るための新しい防汚塗料を開発したとき、その生物に対する効果を調べることは案外に難しい.ちょっと考えると、塗料を塗った板を海水に入れて、その海水の中で生物の生死判定を行えばよさそうである.ところが海洋生物で、こういった目的に適った材料がなかなかない.採集しにくくてもダメ、飼育しにくくてもダメである.また小さすぎたら見えないし、大きすぎると扱いづらいうえに数を揃えられないだろうし、それにコストもかかりすぎる.また、生死を判別しにくい生物も厄介である.私が塗料会社との足掛け10年の共同研究の中で思いついたのが、ノルマンタナイスを使うことだった.ノルマンタナイスはふつう3-4 mm くらいの体長なので、慣れないと肉眼での生死判別は難しい.だが、巣を造る性質を使うと、巣の大きさは肉眼でハッキリ分かるくらいなので、都合が良い.大腸菌の数を寒天培地での培養後のコロニー数から知るのと、ちょっと似ている.シャーレの中に塗料溶出液や塗装板片を入れて、巣材と海水を入れて、30 分ばかり待つ.そして、さっと巣材を洗い流せば、巣がシャーレ面にハッキリ残る.タナイスが元気であれば、たくさんの巣が残る.これまでの試験から、この方法が使えそうなことが分かってきた.塗料性能試験ばかりでなく、海洋における微量物質に対する試験などにも使えるかもしれない.飼育が容易なので、累代飼育等で感受性の異なるいろいろな系統を創ることもできるかもしれない.夢は膨らむのだが、実験時間や人手がなかなか確保できないのが、残念である.

2008年9月27日土曜日

ハトの針地獄

 伊東にはハトヤがあるが、熱海にはハトの地獄がある.下田から東京に向かう時に、乗り継ぎが悪いと熱海駅で30分以上待つことになる.そうした時に読み物の持ち合わせがなかったり、持っていても疲れていて読む気がしなかったりすると、吹きさらしのホームで時間を過ごすことになる.そんな時は、周りにいる人の様子を眺めたり、通過列車の観察をしたりするのにもすぐに飽きてしまう.あるとき、ふとホームの上方を見上げると、傾斜した屋根の下のところに、長くて細い針がホームの端から端までびっしりと植え付けられていることに気付いた.始めは何のためだか分からなかったのだが、人から聞いた話によると、ハト除けらしい.新幹線の駅舎の屋根下は、鳩にとっては魅力的なねぐらなのだろう.かつては糞害がものすごかったという.最近ハトもハトの糞もホーム周辺で見かけないところをみると、針地獄は効果てきめんのようだ.大学時代に東京でドバトの営巣場所探しを、調査のアルバイトでやったことがある.その時聞いた話では、ドバトはガード下や歩道橋下など、人の生活圏のごく近くに、あえて営巣するらしい.エサの確保に加え、カラスなどからの防御のためでもあると聞いたような気がする.熱海駅の針地獄を逃れた鳩たちは、どこに営巣するようになったのだろう.少々気になるところである.

2008年9月26日金曜日

つくばエクスプレス TX

 筑波から東京駅に向うのに電車で行くかバスで行くか、つくばエクスプレスができてから選択が可能になった.時刻の正確さを要するときは迷いなく電車であるが、高速バスが値下げ運転を始めて、そのうえ筑波大発の便が運行を始めるに至って、バス利用の回数が再び増えて来た.高速バスは東京に向う上り便の運賃が安いので、筑波から急いで帰る時には電車で、地下駅の上り下りをパソコンの入った重いカバンを抱えて我慢する.大学での講義や会議に疲れて、しかも帰宅を急ぐ必要のない時にはバスをとる.今日はバスにした.高速バスの窓から外を見ていると、遠く見渡せる薄闇の中に延びる高架の向うから、長く連なる光の塊が飛ぶように近付いて来た.つくばエスプレスだ.筑波周辺は開けてきたとは言っても、沿線周辺の駅から遠い場所では、夜になれば闇が濃い.その中を飛んできた光の列車は、そういえば『となりのトトロ』のなかの『ねこバス』に似ていた.でも、私にはつくばエスプレスのロゴマーク TX が、どうしてもカタカナのイヌに見えて仕方がない.そうしてみるとあれは『ねこバス』ではなくて、『イヌ列車』であったか.

2008年9月25日木曜日

イセエビ漁の朝

 昨日の午前中のうちに、水深 10 m のカジメ基地ポイントに潜って計測作業を行う予定だったが、まだうねりがあり、海が濁っていて潜れなかった.今日は濁りが去るのではないかと思い、朝から海の様子をうかがっていた.しかし、イセエビ漁から戻って来た漁師からの、潮がひどく暗かったという情報によって、再度の潜水延期を決めた.月曜に再挑戦することになる.イセエビ漁が解禁になって、朝のうちは研究棟玄関の前が、近在の漁師たちの作業場となる.海から帰って来た漁師たちは、獲物の仕分けと計量に専心する.ここ鍋田のイセエビ漁師の数は10人にも満たない.平均年齢はかなり高くなっているが、みな朝からエネルギーに満ちている.やがて形やサイズ別に分けられたイセエビは、漁協のトラックに積まれて、センターの門を出てゆく.朝から活気があって、秋のこの光景が私はとても好きだ.

2008年9月24日水曜日

冷蔵庫のイソギンチャク

 2ドア冷蔵庫の冷蔵室の片隅に海水の入った500 ml のフタ付きガラス容器があって、その中に1匹のイソギンチャクが生きている.フタには『2003年6月17日北海道エリモにて採集』と黒マジックで書いてある.この日に採集されてから、冷蔵庫の中で既に 5年以上を過ごしているのだ.このイソギンチャクを採集したのは、我々の研究室の卒業生で、今は大洗水族館でイルカトレーナーをやっている E さんだ.北海道襟裳岬での藻場調査の折りに、藻場付近の磯からカニ類や貝類と共に採集した.それを他の藻場サンプルと共にクール宅急便で下田に送り、研究室で同定や計数を行おうとした.ガラス容器に一緒に入って送られて来た他の生物は、取り出されて標本としての固定処理などがなされた.しかし、イソギンチャクは同定が難しいこともあって最初から検討の対象となっていなかった.瓶底に張り付いて取り出しにくかったこともあって、そのまま放置され、やがて忘れられてしまった.概ね1ヶ月くらいたった頃、他の用事で冷蔵庫の中をさらっている時に、イソギンチャクの瓶は再発見された.中を覗くと触手を開いて元気でいる.びっくりしたが、北海道の水温の中で生きてきたから冷蔵庫の水温でも大丈夫なのだろう、と私も学生も納得し、なんだか面白いので、海水を入れ換えてまたフタをして、冷蔵庫に戻しておいた.小さいために見逃されて中に取り残されていた数匹のタマキビの仲間が、2-3ヶ月は一緒に生きていたので、これらが餌になっていたのかもしれない.再び放置されて数ヶ月が経ち、再発見されたときはイソギンチャクは元気で、小さな巻貝たちは空殻になっていた.そして次の数ヶ月後の発見のとき、イソギンチャクは触手を縮めてまんじゅうのようになり、死んでしまったかに見えた.そこで海水を換えて、今度は冷凍アサリのほんの小さなかけらを入れて、瓶をよく振って、戻しておいた.さすがに気になって、翌日見てみると、すっかり元気になって触手を伸ばしていた.こんなぐあいに、忘れかけた頃に海水を交換して、アサリの小片や無脊椎動物用の液体餌を滴下したりして、だらだらと5年以上が経過してしまったわけである.おおきさが大きくなるわけでもなく、ときどき触手を拡げたり、ときにはギュッと縮こまったりしながら、冷蔵庫の暗闇の中で過ごしているのだ.なんだか、成長とか老化とかそういうものを超越した存在に見えてくることがある.一生懸命に世話をしている気は毛頭ない.でもさすがに、いつまで生きるのか気になってきた.

2008年9月23日火曜日

オシロイバナの鼻鉄砲

 昼食後すぐのことである.仕事に出かけるため玄関に出ようとしたところ、庭で秋の虫を追い回して遊んでいた4歳の次男が、泣きながら駆け込んできた.切羽詰まった様子で、痛い痛いと鼻をおさえて叫ぶ.どうしたのか聞いても、全く要領を得ない.転んでぶつけたのかと聞くと、首を振る.兄さんにぶたれたのかと聞くと、これも首を振る.よく見ると、鼻の左側のつけ根をおさえて騒いでいる.虫でも入ったのかと思い、鼻に何か入ったのかと聞いたら、うなずいた.泣き声でとぎれとぎれに語るには、突然タネが飛び込んだという.半信半疑で鼻の穴を覗いてみたが、何も見えない.小児科に連れて行くべきだと思ったが、念のため、右の鼻の穴をふさいで思い切り左の鼻の穴から息を出してみろと言ってみた.泣き顔のままで口から息を吸い込んだ彼が、鼻からブッと息を押し出したとたん、何か黒い塊が飛び出した.それは真っ直ぐに30 cm ばかり飛んで、玄関のすのこの隙間にはまり込んだ.指を突っ込んで拾い上げてみると、それはオシロイバナの種子だった.こんなに大きな種が自然に鼻に入るはずはないと思い、自分で入れてみたのかと聞いたが、ぜったいに違うと言う.よく聞くと、オシロイバナや雑草の生い茂る草むらに頭を突っ込んで、バッタを追い回していたらしい.いきなり片方の鼻の穴がふさがったという.オシロイバナの株の上に顔を近づけて思い切り息を吸い込んだ拍子に、近くにあった種がスポンと鼻の穴に入ってしまったらしい.椿事であった.心配していた私と女房は、大笑いした.泣き顔だった小僧は、ケロッとした顔でまた虫を追いかけに出かけた.

2008年9月22日月曜日

ヒメワレカラはどこにいる?


 写真は『ハネガヤにつかまるヒメワレカラの雌である.おそらく普通の人には、ハネガヤもヒメワレカラもなじみがないし、何をもって雌と判じているのかも分からないだろう.まず『ハネガヤ』というのは海藻等の上にくっついているヒドロ虫類の一種である.ヒドロ虫類というのはクラゲやイソギンチャクに近い動物で、ポリプがあって、そこには触手があって、その触手には刺胞という攻撃用の細胞が並んでいる.そこからミクロな針が飛び出してきて、チクンとやられると痛いわけである.ハネガヤはどれかというと、この写真では黒い下のところ(海藻の表面)から木のように林立している物のことで、その枝の上の小さく丸く膨らんでいるところがポリプのあるところだ.ハネガヤは丈が 5 mm に満たぬ大きさで、ほとんど透明だしあまりに小さくて繊細なために、付着している海藻を水から上げると、海藻の表面に貼り付いて、ほとんど見えなくなってしまう.ハネガヤを探すなら、潜って海の中で海藻の表面をよく観察するとよい.『ヒメワレカラはワレカラの仲間だけれど、海藻にすむナナフシっぽい形の種とはずいぶんと違った雰囲気である.水泳に例えると、ふつうのワレカラの動きはクロールっぽいけれど、こいつの雰囲気はバタフライである.体全体が左右に開いていて、3対の脚がハネガヤの枝をしっかりとつかんでいる.上半身は大きなハサミ(咬脚)をいい感じに構えている.頭の上に伸ばした触角はふつうのワレカラよりも毛が少なめだ.からだの真ん中あたりの丸いところが保育嚢(育房)で、ここに卵を抱く.これがあるから雌と分かったわけだ.雄にはこの部分がない.よく見ると育房からは、左右2本ずつ合計4本の棒のようなものが放射状に突き出している.これらは鰓である.ヒメワレカラの背丈はハネガヤとどっこいどっこいでとても小さいのだが、とにかく動きがユーモラスだ.ハネガヤの枝から枝へと移動してゆく様子は、サルが木々の間を渡るようだ.実物をご覧になりたい方は、まず海の中でハネガヤを探すことである.眼のモードを切り替えて、探す対象の大きさをグッと下げてハネガヤの茂みを探してみれば、見つけられるかもしれない.ヒメワレカラ探しに貴重なエアーを使って潜るのも、たまには良いかもしれない.
 

2008年9月21日日曜日

ノルマンタナイスの雄と雌

 ノルマンタナイスの雄(上の写真)とノルマンタナイスの雌(下の写真)である.大きさを示すスケールが入っていないが、オスが体長約 3 mm、雌は体長約 4 mm だ.一見して分かる通り、雄と雌とではかなり形が違っている.雄の体は全体にガッチリたくましい感じで、はさみ(鋏脚)の大きさも雌よりずいぶんと大きい.雌の体が少々ほっそりとしていてはさみが小さい.
 雌の体の両側にぶら下がってみえる袋(育房)に入
っているのは卵である.この袋の中で受精卵の発生が進み、袋から出て親を離れる時にはほぼ親と同じ基本型をもち、言ってみれば親のミニチュアサイズとなっている.プランクトンとして漂うような幼生期はもたない.ちっぽけな幼体も自前の巣を作って、脱皮を繰り返して成長する.
 この種類の性決定がどのよ
うに起こっているのかは、どうもまだよく分からない.野外では雌の方が多く見つかるのだが、実験室で飼ってみると飼育条件によっては雄ばかり生じてくる.どうも雄になるか雌になるかは、始めからは決まっていないようだ.環境か個体間の何らかの関係などのきっかけによって、性が決まるのかもしれない.成体になった雌は、自分の造った巣の中にいることが多く、雄は這い歩いて雌の巣を訪ねて廻るようだ.その途中で雄同士が出会うと闘いが生じるらしい.いずれにしても、繁殖生態についての詳しいことは、まだ分かっていないことばかりである.
  
 

2008年9月20日土曜日

台風13号が通過

 昨夜遅く台風13号が下田のすぐ側を通過していった.今回は雨台風だった.今年は夏の始めから全く台風の接近がなく、今回が初めてだった.台風が接近すると船の陸揚げ作業があり、台風が去ると近隣の漁師ともども総出で浜掃除を行い、構内のゴミを片付ける.雨漏りやガラスの割れ被害などのあるときはもっと厄介である.それでも、ある程度の台風来襲は海の生態系の正常な維持には、必要なはずである.海底は撹拌され、生物の運搬が起こり、海藻などでは大型個体が間引かれて、群落のリフレッシュが進む.全く台風の来なかった年の海底はどんよりと澱んだような様態になる.春の嵐と秋の嵐は、少なくとも日本沿岸の海の健康維持には必須の季節イベントだと私は考えている.それにしても、秋になってから最初の接近があったり、数年前のように10月になってから巨大台風が襲来したりする昨今には、やはり異常を感じる.できるなら、しかるべき時期にしかるべき個数の、ほどほどの大きさの台風を訪れさせて頂きたいものである.そんなふうにお願いすべき神様はどちらにおられるのだろうか?

2008年9月19日金曜日

合同臨海実習

 合同臨海実習が実施された.2つの異なる大学が同じ期間に同じ部屋を使って実習を行うのは、私の知る限り、下田臨海実験センターで初めてのことだ.年間約20回実施される臨海実習のうち、公開臨海実習と公開講座を除いて、通常の臨海実習は一つの大学のみで行われる.かつては一つの臨海実習の参加者数はどこも20名を超え、40名が臨海実習の受け入れ上限である我々のセンターでは、一時期に1大学実施しか不可能であったという事情もある.しかし、ここ数年臨海実習参加者はどこの大学でも減少傾向にあるようだ.今回のO大学とY大学は参加者数がいずれも少なめで実施希望時期も重なっていたことから合同開催することになった.Y大学の先生のひとりが全体を統括して、ほかの先生方が協力し合って指導や生活面のサポートを行なった.学生については一方は2回生、他方は3回生であったが、2大学混成班をあえて作った.すべての日程が終わって解散した今振り返ってみると、とても良い実習であったように思う.学生たちはすぐに馴染んで行動するようになり、懇親会の時には赤外線によるメアド交換の嵐であった.先生方は化学専攻、陸生昆虫専攻、海藻専攻など専門はいろいろで、話をしていて、相互に良い刺激があったようだ.最近、学生も教員も大学は縦割りの世界の中にはまり込みがちで、学会も専門に細分化されているために、異分野の方々と話をする機会は乏しくなっているのではないかと思う.合同臨海実習は教員にとっても学生にとっても得るところ大だと思う.今後、こちらからも広く合同実施を提案して、大学からの希望があれば、もっと実施してゆくとよいと思った。
 臨海実験センターは異分野の方々が行き交う交差点のようなものである.思わぬ出会いがあり、思わぬ発想の誕生する場であってほしい.
18世紀のイギリスで催されていたという『月光会』の話を外山滋比古氏の本で読んだ.多岐にわたる分野の知識人たちが定期的に集う会から、のちの科学の大きな発展につながる発見や発明がいくつも生じたという.そんな知性の化学反応が、臨海実験センターでもどんどん生じてよいはずだ.個人や小グループで臨海実験所を訪れる方々にも、もっと相互に交流をもってほしいし、臨海実習の合同実施もそんなきっかけにつながると期待したい.

2008年9月18日木曜日

イセエビと魚

 実験センターの深さ1mに満たない屋外水槽にイセエビと魚がいる.漁師が混獲したもの,釣り上げたもの,実習で捕獲した後に放したものなど来歴はさまざまだ.夜、ここに実習で解剖に供した小魚やウミホタル採集に使った豚レバーを上から放り込む.とたんに物陰から魚が飛び出してきて、餌が水底に達するまでのほんの短い間にくわえていってしまう.魚が鉢合わせした時には、互いに目にも止まらぬ速さで餌を奪い合う.魚はカンパチ、ハマチ、マダイ、コショウダイ、イスズミ、メジナなどだ.水底にいるイセエビが獲物にありつけるのは、イセエビの直近にうまく餌を落としてやった時と、魚同士が争って餌を取りこぼしてしまったときの漁父の利だ.イセエビは天然の海底ではどうやって魚をかわしながら、餌を得ているのだろうかと、少々心配になってしまった.

2008年9月17日水曜日

ヤマカガシの上半身

 昼休みに、背後に崖の迫った草むらの中をヘビがゆくのを見かけた.草のしげみが右から左に向って溝状に揺れて、赤っぽい斑の背がしげみ越しにチラチラと見えた.ヤマカガシだった.不意に逆S字に曲がった体が草むらから現れて、周りの様子を窺うかのようにススッと回転し、頭が私の方を向いて止まった.5 m以上の距離をはさんで、一瞬目が合ったような気がした.すぐさま体はもとのライン上に戻り、草むらの揺れ動きはそのままスピードを上げると、やがて気配は崖近くの樹の根方へ消えていった.その時ふと思った.草のしげみがもっと深かったら、ヤマカガシは体をもっと高く持ち上げたのだろうかと.周囲を見渡したい高さに応じて持ち上げられる体の部分は長くなるのだろうか、体長比でどれくらいまで持ち上げられるのだろう、と次々に疑問が湧いてきた.そもそもヘビに上半身はあるのだろうか、腰というものはあるのだろうか?

2008年9月16日火曜日

海の中のムカデ

 高校時代の友人であるA氏が訪ねて来た.高校教員をしている彼は多趣味で興味の範囲も広く、話が面白い.驚くようなエピソードがポロポロこぼれてくる.今回は1200 ccのオリジナルチューンナップのバイクで伊豆に来て神子元島で潜ったという.ボートダイビングのエントリー前に、なぜか頭のてっぺんをスズメバチに刺され、腫れ始めているのに心配しつつもエイヤッと潜ってしまったと、そんな話を聞いた.それで、自分も似たような体験をしたことを思い出した.外浦のアマモ場で調査潜水を行った数年前のことである.調査のためにチャーターした漁船からスキューバ潜水の装備で海に入ったとたん、右足のつま先に鋭い痛みを感じた.次第に痺れが脚を上ってきた.これはムカデだな、と感じたのだけれど、海の調査では万事段取りが決まっていて、潜水時間内での作業の割り振りも決まっている.漁協手配や漁船のチャーターまでしてこの日にこぎ着けたのに、自分がここで抜ければ、また全てやり直しになる.ムカデごときでそんなことになってたまるかと思い、痛みと痺れをこらえて作業を続行することを密かに心に決めた.その前に、本当に敵がムカデなのか確かめようと思い、海中でマリンブーツを脱いで、逆さに振ってみた.ゆらりと出て来たのはやはり中くらいのサイズのムカデだった.ムカデにしてみれば、海中に投じられるとは思いもよらぬ災難であったろう.海の中でまだ少し足を動かしながら、海底に向って落ちていった.ゆらゆらと沈んでいったムカデの姿が、『冒険者たち』というフランス映画の中で女性が水葬されて沈んでゆくシーンとダブって、なんだか困ってしまった.

2008年9月15日月曜日

灯りと闇

 夜の堤防にひとりで出かけることがよくある.ウミホタルのトラップを仕掛ける時とそれを回収する時、それに観察後のウミホタルを再び海に放流する時である.もう何年も前から学生実習や自然観察会のためにやっていることだ.始めのころは懐中電灯を持って出かけた.でも、バケツやらトラップやらに加えて懐中電灯まで一緒に持って歩くのは面倒なので、あるとき灯りを持たずに出かけた.危ないかなと思ったが、実際のところ何も困らなかった.暗さに眼が慣れると、たいていのものが見える.堤防付近は浜からの薄明かりもあるし、月明かりのある時はなおさら明るくなる.むしろ灯りのある時の方が、灯りの輪の外の暗さを強く感じる.当たり前といえばそうなのだけれど、闇の濃さは灯りがあると生まれることを実感した.

2008年9月14日日曜日

イノシシの話

 伊豆下田は海に面していると共に山が背後に迫っている.このため、カニが徘徊する海岸付近にもイノシシが盛んに出没する.近頃はお出ましの頻度が多すぎて、実験センター構内の土手をほじくり返されて地形まで変わる始末となった.我が家に関して言えば、庭の畑の作物は、収穫頃になるとみんな掘られてしまう.それに、庭でイノシシに走り回られたのじゃ、危なくってしようがない.そんなこんなで、ついに今年の始め、イノシシが活動開始する前に、実験センターの敷地をぐるっと囲う鉄柵が築かれた.これでイノシシの出現はぴたりと止んだ.おかげで、今年はトウモロコシも芋も豆も収穫できた.でも夜中に柵ぎわでブホブホと抗議の声をあげているのは何度も耳にしていた.夏の盛りの頃に、夜中にイノシシ柵近くを通りかかったところ、柵の内側に小さなウリ坊がいるのを見つけた.柵の網目をくぐり抜けることができるらしく、どうも出たり入ったりして遊んでいるような感じに見えた.まだ生まれて間もないのか、それとも生まれついて度胸がよいのか、人に対する警戒心も薄いようで近くまで寄ってきた.そのあとからセンター内でウリ坊の目撃情報が相次いだ.どうもだんだん大胆になって来たらしく、夜中のセンター構内を駆け回っているらしい.一昨日の夜中に久々に見かけたウリ坊は、ひとまわり大きくなったように見えた.まだ柵の網目を抜けることができるのだろうか、それとも秘密の出入り口のような場所を見つけたのだろうか.私が近付くと、かなり間合いがあるのに接近を察知して姿を消した.しばらくの間に少しは怖い経験を積んだのかもしれない.
 今朝女房から聞いたイノシシ話が面白かった.下田の旧町内でも、この夏はイノシシがかなり出没しているらしい.ある寺では、畑に作っていたサツマイモを一夜にして全部掘り上げられ、食われてしまったという.やはり採り時のよい頃合いに全部やられたらしい.悔しい思いをして畑に面した低い窓をふと見ると、イノシシが鼻先を押し付けてできた見事な鼻面マークが付いていたという.お寺の家族は、イノシシが芋のお礼に判子を残して挨拶していったんだなと、微笑んでいたという.そんな可愛らしい考え方のできる人たちは、心温かで素敵だな、と思った.

2008年9月13日土曜日

ひたすらデータいじり

 本日はひたすらデータいじりで過ごしている.環境省の全国藻場調査における葉上動物調査のデータとりまとめと報告書執筆が締め切りデッドラインぎりぎりの状態になっているのだ.2002年から5年間にわたって行った北海道から沖縄に至る129ヶ所の調査地のうち、葉上動物調査が行われたのは主要な30ヶ所あまりだ.採集後に仕分けしたサンプルは各分類群の専門研究者に送って、標本の所在がはっきりしていて同定が確かな生物リストを作成してもらった.また、各地における葉上動物量の比較検討を行うため、統一手法での定量採集も行い、動物群毎に計数と解析の作業を行った.只今これらの総括を行っているわけだ.長い調査の最終とりまとめである.藻場調査としては、構成海藻の定性および定量調査を行うのが常道だが、葉上動物の広域調査まで含めるというのは、世界的に見ても前例のない類いのものだと思う.頑張りたい.
全国藻場調査のホームページは環境省生物多様性センターのサイトにある.http://www.biodic.go.jp/moba/

2008年9月12日金曜日

タングブロッキングは素敵だ

 ハーモニカの奏法には、パッカリングとタングブロッキングがある.パッカリングは口先を突き出してハーモニカの1穴分だけくわえて単音を出す方法で、ハーモニカを吹く時一般にはこの方法が主流だろう.タングブロッキングはハーモニカをガバリとくわえて要らない音を舌でふさいで必要な音だけ出す奏法で、コツを飲み込むまでは単音を出すのがなかなか難しい.でも、オクターブ奏法やアタック奏法にすぐに移れる利点がある.ふつうは舌で左側をふさぐけれど、舌の動きで右ふさぎと左ふさぎを自在に行えると、いきなり1オクターブ音を飛ばしたり舌先トリルなぞもできるようになる(ちなみに、このあたりのテクは私は未だうまくやれない).
 もうずいぶん前になるけれど、私が渋谷にあったブルースハープ教室の門を初めて叩いた時のことである.ARI こと松田先生にどんな音楽をやりたいのか問われて、ジャズやブルースのようなジャンルをやりたい旨伝えると、それなら西村ヒロ先生に付くようにと言われた.その教室ではポップスやカントリーなら松田先生、ジャズやブルースなら西村先生という分け方になっていたらしい.いま思えば、その時が私がタングブロッキングへの道を知らずに選んだ瞬間だったことになる.あとで知ることになったが、西村先生は『タングブロッキングの第一人者』として知られる人だった.成り行きではあったけれど、自然にタングブロッキングからハーモニカを学び始めることになったのである.
 始めは音が出しにくくて、大変に厄介であったけれど、ハーモニカがなじんでくると、タングブロッキングは口腔内や舌の微妙な感じが直に音になる感じ、奇妙にアナログな感じ、何となくパッカリングよりも緩くて良いような感じなのである.タングブロッキングで困る点に、オーバーブローがやりにくいこと、高音部が出しにくいことがある.上級者になればタングブロッキングでもこれらが出せるようになるのかもしれないが、私はこのような場合にはパッカリングで吹く.でも、タングブロッキングの方がハーモニカとの密着度が高くて、楽器との一体感が大きいように思う.息もよりストレートにハーモニカに入ってゆく感じがする.タングブロッキングは素敵だ.

2008年9月11日木曜日

ウニの前後

 今回の実習の自由研究で、ウニという生き物に前後があるのかを調べた班があった.ムラサキウニでは、棘の短い方を前にして進み、横に動くことはあっても後退することがないということだった.一方、棘の長さに偏りのないバフンウニでは、特定の方向のみに動くことはなかったらしい.これらのウニの背面中央に位置する肛門の周囲には5つの生殖口があり、その近くにウニの水管系の水の取り入れ口である穿孔板がある.その存在によってウニの背面は完全な放射相称ではなく、左右相称になっている.その位置がムラサキウニの棘の長さや進行方向に関係あるのではないかと思って学生たちに調べてもらったが、全く関係ないという結果が得られたらしい.興味深い話だ.追試してみたい.

2008年9月10日水曜日

メジナの食べたもの

 只今A 大学の臨海実習の最中である.昨日のプランクトン観察はプランクトンの種類が多様で、まるで宝石箱をひっくり返したような状態だった.カイアシ類・エビやカニ類の幼生・二枚貝の幼生・巻貝の幼生・ヒラムシの幼生・オタマボヤ・ウキツノガイ・ユメエビ・ヤムシ、それに渦鞭毛藻類と珪藻類が顕微鏡の一つの視野の中にひしめいるような場合もあった.大学の臨海実習の多くは磯観察に良い時期に合わせて、春に行われれる.しかし、プランクトンは春の時期には植物プランクトン量が大変に大きく.動物の種類数はたいてい控えめである.いろいろな動物プランクトンをじっくりと観察するのであれば、初秋の臨海実習がお勧めだ.
 今日は磯採集を行った.採集した動物については、班ごとにさまざまな観察を行っていた.貝類の歯舌を調べるもの、アコヤガイの鰓を調べるもの、ウニの外部形態や顎の構造を調べるもの、フジツボの体のしくみや交尾針内の精子の観察を行うものなど、みな熱心に取り組んでいた.ある学生がメジナの幼魚の腸管内容物を調べたところ、ほとんど1種類からなる大量のカイアシ類が見出された.試しに概数の推定をしてもらうと、43,600 匹という数が出た.おそらく中層付近でカイアシ類のスウォーム(群れ)を襲って食したものであろうが、学生たちには単一種が大量に入っていたことが不思議だったようで、ちょっとした推理ゲームのような様相となった.手元にある小さな発見について、海の中を思い浮かべながらあれこれ考えるのは、なかなか楽しいものである.

2008年9月9日火曜日

海を渡るアゲハ

 今日の午前中は A 大学の臨海実習でプランクトン採集を行った.午前9時に船着き場から研究調査船『つくば』(18 t、30 人乗り)に乗船した.下田沖約 2.5 km の採集地点に向う途中、2 km ばかり進んだあたりの海上をアゲハチョウが一頭舞っていた.モンキアゲハかナガサキアゲハだったように思う.少し強く吹き始めた北東風の中、水面から 2-3 m の高さを沖に向って飛んでいた.ほんの短い時間だけ目にした光景だったが、その印象は強かった.アゲハチョウはのびのびと自由に見えた.少なくとも陸に留まってるのとは明らかに違う何かを感じて飛んでいるのだろうと思った.でもどうなってしまうのか、心配でもあった.その後、無謀な飛行を続けて海の藻屑となっただろうか.上手に風に乗って石廊崎あたりに首尾よくたどり着いただろうか.風に押し戻されて出立した陸地あたりに戻っただろうか.あるはずの真相を、知りたい気がしない.

2008年9月8日月曜日

検索してみた

 『つれづれ雑感』に記したあんぱんとコーヒーの相性の話、新幹線のシートベルトの話、通勤電車の6つドアの疑問、それに熊本県庁前のギンナンの話について、試しにキーワードを入れてグーグル検索してみた.いずれについても,情報を得られる可能性について、あまり期待しないで検索した.ところが、世間は広いものである.

1)あんぱんとコーヒー:相性についての意見交換やウェブページをたくさん発見した.
  同志を見つけた思いで、嬉しい.
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q127129842
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116792536
  http://eggnog.exblog.jp/1762123/

2)新幹線のシートベルト:同じ疑問を持つ人々がいた.やはり、着用した方がいいには違いないらしい.
  http://blog.so-net.ne.jp/a-cyan_chichi/2008-02-07
  http://okwave.jp/qa2705816.html 
  http://ch01617.kitaguni.tv/e549372.html 

3)通勤電車の6つドアの疑問:通勤ラッシュ対策の車両らしい.混みそうなところにつなぐのだろうか?
  http://tetsuomiya.at.webry.info/200706/article_24.html

4)熊本県庁前のギンナンの話:なんと、この件についても情報が得られた.
  早朝に拾っていた人がいるらしいことも明らかになった.
  熊本県庁ではギンナンを拾って業者に売っているという噂もあるようだ.
  http://ameblo.jp/hometheater/archive1-200508.html
  http://tarou.269g.net/article/5577306.html

 自分の感性がどれくらい他の人たちとずれているかとか、自分の感じた疑問を他の人も疑問に感じ、それに対して答えを得ているのかとか、そんなことを即座に調べることのできる、面白い時代になった.

2008年9月7日日曜日

バスに乗って

 熊本県庁前から高速バスが出ているのに気付き、当初の予定を変更してバスで博多駅に向った.到着まで2時間を要さず、運賃は 2,000 円だった.バスと市電を使って熊本駅に出て、そこから博多に向っていたら、特急が自由席でも総額は 4,000 円近くなっていたはずだ.重い荷物を持って駅間を移動する必要もなくて、とても楽だった.差額で家族への土産を買うこともできた.ああ、知っていれば、往路もバスを使ったのに!

2008年9月6日土曜日

県庁の銀杏

 熊本県庁前は幅の広い遊歩道のようになっていて、門を完全には閉じないために休日や夜間や早朝など時間外にも出入りができる.十数階建てのお城のような県庁ビルとその前に広がる自由な緑の対照が面白い.正門側から西門方面に構内を抜けようとするとイチョウの並木道を通ることになる.イチョウは、東京周辺で見慣れたものよりも、ずいぶんと葉が小さい.今の季節はギンナンがあちこちに落下している.その実もずいぶん小ぶりのようだ.そういえば、あの独特の臭いもしない.ずいぶんとたくさん落ちているのに、人に拾われている様子もない.あのたくさんの落下ギンナンはどうなるのか、ちょっと興味がある.

2008年9月5日金曜日

バスを待つ

 学会の会場を出たのは夜8時ちょっと前だった.滞在ホテルに向うバスに乗るために、会場近くのバス停に向った.街灯から遠くて薄暗いなか、バス停のポストには既に1グループ6人ぐらいが並んでいた.そのうしろに女性がひとり連なっていた.私はその後に並んだ.バスを待つ.来ない.バスを待つ.来ない.やって来たと思ったら別の系統で行き先が違う.またバスを待つ.まえの女性がふと振り返って、ちょっと驚きの表情を見せた.つられて振り返って、私もびっくりした.バス待ちの列は遙かうしろまでいつの間にか伸びていた.でも、バスはまだ来ない.もう後ろも振り返らないで、じっと待つ.ちょっと先の交差点の信号からぐるっと左折してバスの車体と系統番号が見えて、それが私たちの行き先を示すものだった時、皆からオオッとどよめきのような声があがった.なんだか拍手したい気持ちになる.奇妙な一体感を感じた.30分あまり薄暗闇の中でじっと押し黙って過ごして、そして生じた一体感だった.それは、バスの入り口ドアから先を競ってステップを登る時には霧消していた.

2008年9月4日木曜日

シートベルト

 早朝、高速バスで筑波から東京駅に向った.3枚で1,900円の上り専用回数券ができて、しかも大学発が運行し始めたので、寝不足で荷物が重くてTXの地下駅の階段をバタバタ登り降りしたくない朝には、高速バスがぴったりだ.このバスはシートベルトの着用が義務づけられている.少なくともドライバーさんが放送ではそう言っている.でも、着用の有無をチェックする人もいなくて、周りを見回しても真面目に使っている人は少ないようだ.私は生真面目な人間なので、たいてい律義に着用している.こちらのドライバーがどんなに頼れる人でも、対向のトラックが突っ込んでくることもあるし、最近では対向車からはずれたタイヤが観光バスの運転手の顔を直撃した事故もあった.どんなに恐ろしい事が突然起こるか分からないのである.
 今回は空路を使わず、ひたすら陸路西に向い、博多からは『リレーつばめ号』で熊本を目指した.その途中の窓外には、あちこちに建設中の九州新幹線の高架コンクリート橋脚が見えた.完成すれ
ば八代で現在の九州新幹線の営業路線につながって、博多から鹿児島まで新幹線で行けるようになるのだ.夢のような話だけれど、完全実現の折りには、是非とも皆が利用してほしい.赤字路線にしてほしくない.
 今回いろいろな座席を乗り継いだ.N700系のぞみの車両内にはパソコンや携帯電話用の電源コンセントまで窓際座席にはあって,存分に学会準備のパソコンいじりも行えた.つばめ号内部は航空機内のようなコンパクトだけれど落ち着いた感じで、座席テーブル以外に肘のところにドリンクテーブルもついていて、おまけに足載せまであった.リレーつばめ号はガンメタル塗装で鬼の面のような奇妙な顔をしている.西日本に来ると変な顔の特急がいろいろあって、なんだか楽しい.遊び心を感じる.熊本から水前寺まで乗ったワンマン電車は2両編成で座席の座面が各々独立していて、みんながチョボンと座っている感じで、全体的になんだかかわいらしかった.いろいろなのに乗ったなーと順番に高速バスまで思い返して、ふと考えた.新幹線はあんなに途方もない速度で走るのに、乗客はなぜシートベルトを着用しなくてよいのだろうか?乗っている時はスピードの恐ろしさなんて感じないのである.でも、熱海の駅で乗り換え待ちの時、駅ホームでたいてい上り下り2編成ずつくらいの通過車両を見送る.目前をあっという間に通り過ぎてゆく上り電車の風圧を感じる時、新幹線の速度が恐ろしくなるのだ.シートベルトを着用しなくてよいのだろうか?

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